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身体そのものを宇宙視点で感じてみる
身体の不快感を感じる。ただの過食なのか、過食症なのかはさだかではないが、この波をコントロールするために、過食についての本を最近読んでうんうんと知識をいれるも、それだけで満足できる日とできない日がある。家に誰もいない日があると自分は家族が買いおきしてある菓子だのパンだのを漁り過食する。
朝食べるものがないと特に過食はひどくなり、昨日は朝にチョコレートやパン、ミニケーキ、ヨーグルトなどをたらふく食べた。(めんどくさいという感情は厄介だ)「誰の目からも妨げられず普段食べないものを食べる」という行為が、正しさから外れたことをしている、一種の恍惚感みたいものが沸いてくる。そのあと運動と称して散歩に出かける。そしてクタクタに疲れることで、その日の食事の記憶はチャラにしようとするのがひどいときはある。
そんな身体をたずさえてもぬるい風呂にだけは毎晩つかる。代わり映えの無い身体を眺めているとふとある考えがおりてきた。
ごまかすことから自由になりたい
通りすがりの誰かは布に映し出されたシルエットを捉えている。冷たいようだが、身近な人も含め大半の人には他人の身体が肥えていようがいまいが、気に入っていようがいまいが、興味もないことだったりする。
闘いからおりたかった。この身体を何かの天秤にかけつづける時間よりも、ほしいものはそれではないからだ。
社会の誘惑に屈服して、取り繕ったりいそいそと綺麗な物体になろうとしているのだろう。誰のためにこの身体をシェイプして、ときには責めたりをくりかえして多くの時間を費やしてきたのだろう。ぼーっと身体を眺めていたらふと虚しくなった。
その身体を評価しているのはだれのため
身体を尊重するというのは、人間各々の身体(秘密)を抱えて生きているということだ。自分の身体を好きになれないかもしれないが、この身体は自分という人間の「秘密」と思ってみてほしい。宇宙でもいいけど。自分の身体はミステリーそのものだ。自分にも秘密があり、あなたの身体もあなただけの秘密だ。この素肌を、皮膚のあたたかさも、みにくさも自分以外の他のだれが、知っているのか、胸に問いかけてみてほしい。
正しいかどうか、過食か否かそう考えてしまうのは、誰かにやすやすと秘密を明け渡している状態とも言えた。みんながそれぞれの「秘密」を抱えて生きていると思ったら、評価するわけでもけなされることもないはず。
でもこの闘いを手放したら自分は一体だれなんだろう。
それでも他人が見ている身体の形はどうであれ、身体そのものは自分だけの秘密以外の何者でもないのだから。