【1983年】ファミコンを楽しめなかった両親の話
本日は2023年7月15日。
ということで、1983年7月15日に発売されたファミコンが発売されてから今日でちょうど40年経ったみたいです。おめでとうファミコン!
マリオ、ゼルダ、カービィ、ロックマン、ボンバーマン、くにおくん…
自分も大好きな作品が多くありますが
今なお続くシリーズの原点の多くがここから生まれているわけで。
あまりにも存在が偉大すぎてどれだけ感謝してもしきれないですね…。
生まれてきてくれて本当にありがとう、ファミコン。
1983年の我が家
ファミコンが発売された1983年。
個人的にはちょっと覚えやすいというか、ゆかっている出来事がありまして。自分の両親が結婚したのがまさにこの年でした。
まもなく自分が生まれるわけですが
当時は両親とも20代半ばで、父親もサラリーマン3〜4年目くらい。
自分は長男なので二人ともはじめての子育てでした。
当然経済的にもそんなに余裕がある時期ではないのですが、まだ二人とも若かったですし、さすがに当時社会現象になるくらい話題になったファミコンですから。子育ての合間にでも遊べればと、自分が生まれ、少し落ち着いた頃にファミコンを手に入れたようです。
ファミコンを楽しめなかった両親
しかし思わぬ悲劇が起こります。
結論から言うと、自分の両親はファミコンを楽しめませんでした。
正確に言うと楽しめたはずなんですが、それが十分に叶いませんでした。
なぜか?
自分もこの話を最初聞かされたときびっくりしたんですが
当時両親がファミコンで遊びはじめると
毎回毎回なぜか僕がギャン泣きしてしまったらしいのです。
理由は両親も未だに分からないとのことなのですが、どうも構ってくれないから寂しいからとかそういうことではなくマリオでミスして一機減ったりゲームオーバーになったときのあの音が恐かったのかも…?とのことでした。
赤ん坊の面倒を見てあやして、ようやく寝てくれたね〜。
ファミコンでも遊ぼうか〜。起動。ポチ。
「デデッ、デッデデ、デ♪、デ♪(マリオのあれ)」
「おんぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!(とにかく全力のぼく)」
ええええ????なんでええええ??
あんなにスヤスヤ寝てたじゃん???
ともう本当に訳が分からなかったらしいのですが、とにかく再現性がすごかったようです。
ファミコンで遊ぼうとするたびに赤ちゃん(= ぼく)が毎度信じられない勢いで泣き始めてしまい、こりゃだめだ…となった両親は結局ファミコンをゆっくり遊ぶことはあまりできなかったようです。すまぬ両親。
親のファミコンは、子供のおもちゃへ。
そんなわけで僕が赤ん坊の頃はろくに遊ぶことはできず、その後自分が生まれた3年後には弟も生まれました。
二人の子育てがはじまり、自分が3歳4歳…と自分一人で遊べるようになった頃にはすっかりファミコンは子供(僕ら)のおもちゃになっていました。
もちろん両親が全く遊ばなかったというわけではなく、父親がゴルフのゲームを買ったりと自分の好きなソフトを買ったりもしていたのですが、色々と手がかかる中ゲームで遊んでる時は夢中になって遊んでくれることもあり、基本的には自分たち子供のためにファミコンのソフトを買ってくれていました。
親は徐々に離れ、子はドップリ
その後、スーパーファミコン、プレステ、セガサターン、64、PS2、ゲームキューブ…などなど。
年々進化し続けるゲームと共に自分は青春時代を過ごし、多少離れた時期もありますが今もゲームを楽しんでいます。
ちなみに最近は全人類ご存じティアキンを遊んでるわけですが
自分の最初のゼルダとの出会いはスーファミの神トラでした。
(今見てもこれが1991年の作品とは到底思えない。)
一方で両親はというと。
ファミコンは残念ながら当時ぼくがギャン泣きしてしまっていたのでじっくりは楽しむことはできず。その後ゲームは基本自分たち(子供)が遊ぶものになったこともありゲームが「自分の日常の中に当たり前にある」のような存在には明らかになっていませんでした。
むしろゲームといえば、僕らの世代であれば大体どこの家庭でも同じだったかと思うんですが
「ゲームばかりやってないで勉強しなさい!」
と、子育てにおける注意の対象で、親自身が楽しむことは割と稀だった気がします。我が家も多分に洩れずそんな感じでした。
自分の家はそんな険悪になるほど揉めたり注意されたりということはありませんでしたが、1時間まで〜のようなルールはありましたし、掃除機かけられて画面がバグるというお決まりの悲しいアレも当然経験しました。あれ以上の絶望は中々ない。
あれから40年
そんな感じで、ファミコンを手に入れてから割と最近に至るまで両親が自発的にゲームを遊ぼうとすることはなかったのですが、自分も弟も社会人になり親の手から離れ、両親がまた二人で暮らすとなったときに何かしら娯楽があった方が良いかな…と自分が社会人2年目くらいの頃Wiiをプレゼントしたことがありました。
ご存じの通りWiiは普段ゲームを遊ばない人でも遊びやすく、体も動かせる。ということで「健康は大事だよ?」とプレゼントの口実にもしやすく、実際大した説明も必要なく率先して楽しく遊んでくれるようになりました。
本当にWiiをこういうコンセプトで作ってくれて感謝です。
任天堂さんありがとう。
その後も自分がNintendo Switchのリングフィットで遊んでみせると「ゲームでトレーニングできるの?」「やってみてもいい?」と父親が興味を持ってきたので、遊ばせてみるとこれはいいな〜と楽しそうにしていたのでまもなくSwitchもプレゼントしてあげたのですが、それから数ヶ月経った頃
「ねえねえ、どうぶつの森って知ってる?」
と母親が尋ねてきました。
母親が自分でやりたいゲームを口にしてくることは記憶の限り初めてだったので内心すごくびっくりしたことを覚えています。どうやらYouTubeか何かで動画を見て楽しそうと思ったみたいです。
そんなこともあり翌年にはあつもりをプレゼントしてあげました。
思うに、以前Wiiをあげたときも、最近Switchやあつもりをあげたときも。
買ったそのとき特に何か深い考えがあったわけではないですが、もしかすると自分の心のどこかで当時ファミコン楽しませてあげられなかったことが引っかかっていたのかもしれません。
まぁ赤ん坊のやったこと気にしてどうするって話なんですが…笑
ただ、自分がゲームだったからこそ興味を持てたり知識を得られた分野が多くあったり、数えきれないぐらいの楽しい体験ができていたりと。ゲームがあったからこそ、それをさせてくれる環境があったからこそ、今の自分があるんだなというのは歳を重ねるごとに実感していまして。
そんな風に自分達に豊かな時間を与えてくれたものを両親にもちゃんと体験しておいてほしいなと。こういうものを自分達(子供)に与えてくれていたんだよ?と。なんかそういうのを感じてほしいのかもしれません。
自分と共に歳を重ね、今では両親も還暦を過ぎました。
興味だったり、熱量だったり、日々口にすることだったり。両親のそれに年齢なり老いを感じることも少なからずあるのですが、ゲームを日常的に遊んでくれるようになってからは割とポジティブなふるまいや話題が多くなった気がします。
ちなみに最近は帰省のたびにあつもりの自慢の進捗を見てあげるのがお決まり行事です。
そんなわけで。
書きたいことつらつら書くだけ書いて締め方が分からなくなったのですが
全てはファミコンがあったからなんだよな
と。せっかくならこの日に伝えておきたくて書いてみました。
とにかく伝えたいことは、ファミコンありがとう。これに尽きます。
昔も今もファミコン、そしてそこからから生まれたもので日々楽しく過ごさせてもらってます。これからもよろしく。
\祝!40周年おめでとう/
焼肉たべたい