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【STORY8】どうにもならない


そういえば、私が倒れたのは冬でした。
いつも通りのお布団なのですが、
毎日カイロを3つ貼って布団の中にいました。
それほど私の体は機能しておらず冷えきっていました。

地獄でしたが冬は過ぎ、世の中は春へと向かっていました。

私は母についてきてもらい、東京に戻ることにしました。

帰ったらよくなるかと思ったらそうではなかったという
「役立たず」という思い。
こんな田舎よりもなにかいい方法があるだろうという思い。
私のことを誰も知らない地だったら
情けないみっともない姿で出歩いてもまだ許されるという自分だけのプライド。

そして
今考えてみれば母親を実家から連れ出し、非難させたのでしょう。

飛行機に乗って座位を保つことすらできないと判断したので、
長時間の夜行バス、タクシーで移動しました。

YouTubeで調べた整体に通いました。
息切れが激しく、重力に逆らうことが精いっぱいだったため
祖母に借りた杖をついて歩いていました。

祖母は自分の孫に杖を貸さないといけなくなった状態に泣いていました。

このころの私は、傷病手当金かもらえる一年半のあいだに治ればいいというポジティブな諦めに変わっていました。
動いて誰かと話して体力をつけていけば回復していくだろうと思っていました。

それでも整体以外の時間は頭痛がひどく、薬が役立つわけもなく、一日中寝ているしかできませんでした。

一か月ほど経過し、母親は実家に戻りました。


つづく





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