スピルバーグが撮影スタジオで大泣きした
<バーアテンダント9>
コロナ禍の自宅時間を有効に使った人たちがいた。
映画監督スティーブン・スピルバーグと脚本家トニー・クシュナー。
ズームで交信し、2ヶ月でスピルバーグの青春の自叙伝を書き上げた。
いままで語られなかった7〜18才のスピルバーグ少年の日々
「フェイベルマンズthe Fabelmans(2022)」米国公開11/23/2022。
※「フェイベルマン」は、映画上の仮称。本文では「スピルバーグ」と呼称します
スピルバーグ家は、昼間も暗かった。
ホロコーストで虐殺された親戚、友人が亡霊のように、夫婦の会話に現れた。親戚、知人だけで20人近く、亡くしていた夫の話は、どうしても暗くなった。
深夜、ファルセットの大声が、家中にひびいた。動物の悲鳴のようでもあった。3人の姉妹はベッドに隠れ、長男のスティーブンが、階段を恐る恐る降りていった。父がわめきながら、母の膝に顔を埋めて泣いていた。父は、泣き虫だった。
悲しみから逃れるように、父は、家庭を忘れてコンピュータの仕事に没頭した。
母は、ピーターパンが好きなコンサート・ピアニスト。夫との性格は、正反対。
母が、一男三女の子供たちの面倒をみる一家のリーダーだった。そして、子供たちから、叔父さんと呼ばれていた父の親友が、父代わりをしていた。
父は、たまに家に帰ると、罪滅ぼしのように、家族を映画に連れていった。
映画以外に娯楽がない砂漠地帯のアリゾナに、家族が住んでいたこともあった。
その日の映画は、セシル・B・デミルの「地上最大のショウ」だった。スティーブン少年は、列車の転覆シーンに心を奪われ、どうやって撮影したのかとても気になった。家に帰って、電動の模型列車を猛スピードで走らせて、破壊実験をした。
父は、息子の好奇心に驚かされた。そして、自分の持っていた日本製の8mムービーカメラを貸し与えた。と言っても、いつもは家にいないので、息子の所有物になった。
学校では、スティーブンは、ユダヤ人のいじめられっ子だった。誰も彼をファーストネームで呼ばなかった。廊下で「スピルバーグ」と大声で呼ばれるたびに、「ユダヤ人!」と言われているようで、逃げたくなった。
しかし、スティーブンが、カメラを手に登校したその日から彼を取り巻く環境が大きく変わった。いじめっ子が彼のカメラから遠ざかり、はからずも、いじめ撃退の武器になった。クラスメートからは、カメラを持った気持ちの悪いやつと思われていたが、かまわなかった
この父の贈り物は、皮肉にも、妻の裏切りを捉えることになる。
ある日、親を亡くし元気のない母を励ますために、父がピクニックを思い立った。少しでも盛りあげようと、親戚や、自分の親友も招いた。もちろん、スティーブンが撮影を担当。
めいめいが、渓流のほとりに行ったり、森の中を散策して昼下がりを過ごした。
そんなとき、みんなから離れた母を、スティーブンのカメラは視ていた。
ピクニックの終わりが近づいた夕方には、車が半円形に並び、
ヘッドライトを点灯し、光の中心でみんながダンスした。
後ろからの光で、母のガーゼ生地のメキシカンドレスが透き通り、
下着姿が、みんなに、はっきり見えた。
気づいたスティーブンの3姉妹は、母にダンスをやめるよう叫んだが、
母は、笑みを浮かべながら上機嫌で踊りつづけた。誰かに見せつけようとしていたのか。
スティーブンが撮影した昼間の母は、夫の親友と手をつないで、夫にも見せない笑顔で歩いていた。
ピーターパン好きの明るい母親が、”ブラック・スワン”に変わったピクニックの1日だった。
スティーブンは、「母が、父の親友に好意を抱いていたのは、うすうす感じていたが、信じなかった。しかし、映像を見て、確信に変わる不思議な瞬間を知った」と語っている。
両親は離婚。夫の親友と再婚した母は、アリゾナにとどまった。
4人の子供たちは、シングル・ファーザーと一緒に、カリフォルニアに移った。
スティーブン少年の自叙伝には、「スタンドバイミー」のようなミルクセーキの甘い匂いはしない。
あったのは、息子スティーブンのレンズを通して描かれた、性格の違う夫婦の日常が壊れていくさまだった。
脚本・監督のスピルバーグが、スタジオのセットの陰で、大粒の涙を流していたのを、スタッフは目撃している。まるで、妻の膝で泣いていた父のように。
<映画好きのためのトリビア>
・スピルバーグの父は2020年103才で亡くなる。母は2017年97才で亡くなる。生前は、両親とも「私たちの映画はいつ作るんだ。生きているうちに作ってほしい」と、要望していた。躊躇していた息子に、友達のように子供たちに接していた母は「あなたが胸を張れる作品を作れると思ったら、作りなさい」と許可を与えた。しかし、遠慮があり、脚本にとりかったのが、没後になった。
・スピルバーグは、3姉妹に事実確認を取るために、脚本を見せていたが、試写室を出てきた彼女たちは、顔がこわばり、顔面蒼白だったとスピルバーグは語る
・「フェイベルマンズ」の後、映画評論家は、”スピルバーグの映画には、彼の家庭不和の体験が埋め込まれている。例えば夫婦仲の悪い「E.T」や、家族と別れる「未知との遭遇」などに演出されている”と言っている。
それを言えば、「インディジョーンズ」のショーン・コネリーの浮世離れした考古学者の父は、スピルバーグの技術者肌の父かも知れないと、憶測
・スピルバーグの父は、個人用コンピュータの基礎をつくった開発に貢献した
・少年時代にカメラを持った映画監督は3人いる:
[デイビッド・フィンチャー]8才で、8mムービーカメラ。8才で観た「ブチキャシディ&サンダンスキッド」に触発されて映画監督を目指す
[スタンリー・キューブリック]13才で、当時の最高機種のコダック・グラフレックス35mカメラ。写真誌Lifeのカメラマンになり、映画監督へ
[スティーブン・スピルバーグ]13才で、父の8mムービカメラ。「パパが16mムービーカメラを持ってるから貸してあげるよ」とクラスメイトの女性に誘われ、ファーストキスを体験。その後、「カリフォルニアに一緒に行かないか」と誘って、断られる。監督した映画は、(「ウエストサイド・ストーリー」を除いて)全てヒットする
・「フェイベルマンズ」では、ジョン・フォード役でデイビッド・リンチ登場。スピルバーグが出演依頼しても3ヶ月間辞退し続けたが、女優のローラ・ダンが頼んだら快諾。ジョン・フォードが実際に着ていた服装の復元と、スタジオにチートスが必ずあることを出演条件にした
・スピルバーグは、近年、失読症に悩まされている
・スピルバーグ監督は、映画「シンドラーズ・リスト」の個人収入を全て寄付した
・スピルバーグは、生涯1杯のコーヒーしか飲んでいない。こんなまずいもの飲めるかと思ったそうだ
・ユダヤ人として差別を受けたスピルバーグは、ハリウッドに入ったら、天国だった。スピルバーグという名前だけで、ユダヤ人の仲間が集まってきて、分かり合える仲間を得たと語っている
・スピルバーグのハリウッド・デビューは、(会社の配慮で)簡単なディレクション仕事が与えられた。しかし、スピルバーグは簡単な仕事を、簡単にしたくなかった。これがスタッフの反感を買い、スタジオから締め出された。これを見た、当時の大女優のジョーン・クロフォードは、「この若者は才能があり、正しいことを言っている」とハリウッドの上層部と掛け合って、スピルバーグを救ってくれた