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ジョディ・フォスターの取扱説明書は、むつかしい

ジョディは、人と違っていた。それを楽しむ反面、知られるのを嫌ってきた。

そして、ジョディは弱かった。そのことをよく知り、人を利用してきた。

例えば、大柄な女性が好きだった。守られるイメージが心地よかった。

「羊たちの沈黙」(1991)

「違いをカミングアウトするのは、親友だけ」とジョディは、思っていた。

違うことを、感じてもらう。自分の中のゾクゾクする快感にとどめておく。
世間やマスコミに公言することではない。

親友たちも沈黙を守っていた。


ジョディ・フォスターが生まれたとき、バイセクシュアルの母親は離婚し、すでに女性のパートナーがいた。

ジョディにとって、レズビアンは日常だった。

3歳で文字が読めた”天才少女”は、フランス語も自由に話せ、13歳で中学生の売春婦を演じ、アカデミー賞にノミネートされ、”早熟少女”になった。

スコセッシ監督の「タクシードライバー」(1976)

ジョディは、名門イエール大学に進んだ。

憧れのジョディに近づこうと、男子学生たちは競い合った。

ジョディは、汗臭い学生たちを冷たくあしらった。

冷たくされると、よけい熱くなったひとりの学生がいた。

映画「タクシードライバー」のロバートデニーロのように、リーガン大統領を
暗殺しようとして、失敗。

警察で「凄いことをして、ジョディの気を引きたかった」と言ったため、彼女は
事件への関与を否定するため、裁判で証言させられた。

容疑者の電話や手紙が披露され、ジョディが否定したにもかかわらず、ツンデレのイメージが残っただけだった。


20代後半のジョディは、レズのケリー・マクギリスに好感を持った。

ケリーのレズ友達について相談にのったことがきっかけだった。しかし、短い
期間だったこともあり、パパラッチには気づかれなかった。

「トップガン」「目撃者」のKelly McGillisとジョディ


31歳になって、ジョディは、シドニー・ベルナードと仕事で出会った。

シドニーは、ジョディより10歳年上。将来を期待される凄腕プロデューサーだった。

Jodie and Cydney bernard

二人は、映画で共演した「アンソニー・ホプキンスは、恐ろしくて一言も話せなかった」とか、趣味、食事、仕事などから、週末のスケジュールなどを語り合う仲になっていった。

シドニーは、ジョディのために、プロデューサーを辞めた。
15年間、2008年までジョディの専属マネジャーになり、献身的に尽くした。

ジョディは、愛とは「他人ごとを自分ごとにする情熱だ」と思っている。
それがシドニーは出来ていた。

街中のジョディとシドニー

自分の心の動きまでわかってくれ、支えてくれるパートナーを得て、ジョディは
幸せだった。

しかし、二人にとってできないことが一つあった。子供を持てなかったこと。

シドニーと同居して5年、8年目に、ジョディは、懐妊。二人の男子を出産した。二人の子供として、ベルナード・フォスターの姓。名はチャールズとキット。

キットとベルナード、チャールズとフォスター

精子提供者は、ジョディが直接依頼(子供たちが父親の名前を希望すれば教えることになっている)。メル・ギブソンとも言われているが、根拠はない(ある授賞式で、二人の子供の隣席に偶然座り、顔が似ていただけ)。


あなたに必要なのは能力や才能ではなく、大ヒット作よ。『タクシードライバー』『羊たちの沈黙』以降なにもないでしょ」「ヒット作を呼び込む力は、メリル・ストリープのような派手さ。知性が邪魔して、あなたにはそれがない」挑発的に話しかけてきた女性がいた。

シンシア・モートという売れっ子脚本家で、プロデューサーが、笑顔で立っていた。ジョディは、彼女にオーラを感じた。

Cynthia Mort

人生半ば、45歳になったジョディが、こんなに酷評されたのは初めてだった。

最近のジョディは、天井を打った感じだった。かつての達成感もなく、自信も喪失していた。

心療内科の医師に相談すると「中年危機症候群(middel life crisis)」と言われた。達成感も薄れ、自信を失くした45〜65歳の中年に表れる燃え尽き症候群。
抗うつ剤など薬事療法はあるが、心理療法としては、現状のライフスタイルを大きく変える、あるいは過去の決断を捨てるくらいのことをしない限り、乗り切れないと言われていた。

ジョディもシドニーも子育てに追われ、ただの地味な女優とマネージャーの二人になっていたことを、お互い気づいていた。

ポンコツの自分を変えるには、今の生活を激的に変えるしかない。

偶然ここに現れた”太陽のような女性”についていくしかないと思った。

シドニーは、抵抗できなかった。ジョディのために、二人の別れを容認した。

最も愛してくれた人を、最も傷つけることになった。

シンシアは、自分のポジティブ思考法で、ジョディの人生を変えられると思った。

2007年12月クリスマスショッピングを楽しむジョディとシンシア


2007年、ハリウッドの受賞式挨拶で、ジョディは、シドニーに、15年間の感謝を込めた賛辞を贈ることにした。

ジョディが、生涯ずっと避けてきた”カミングアウト”を、聴衆は初めて聴くことになった。

「私の高潔なソウル・シスター」という最上級の賛辞で、シドニーをたたえた。

聴衆の記者は「レズとか、ゲイとかの言葉は一度も使わず、情にあふれた品格の
あるスピーチだった」と称賛した。

2008年、ジョディは、シドニーの引っ越しを自ら手伝った。
二人の子供は、双方が親権を持ちながら養育している。

長男は、映画俳優を目指し、シャイな次男は、俳優以外を目指すという


2009年、出会ってから2年で、”太陽の女”と別れた。理由は、性格の不一致だった。


2014年、女優で写真家のアレクサンドラ・ヘディソンと結婚。

62歳になったジョディは、パートナーではなく、結婚相手にアレクサンドラを選んだ。

彼女は、「喪失」をテーマにしたビルディングの写真集を出版するなど、ポエティックな写真家でもある。

ジョディより7歳年下のAlexandra Hedisonと結婚


結婚しても、子供のこともあり、二人は会っていた。

16年前には帰れない。ジョディとシドニーにはわかっているから抱きしめる力も強くなる。

永遠のソウルメイト



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