エール
震災と卒業制作
もう11年前になる、東日本大震災。
私は福島県内で被災した。
自宅や室内のものが壊れていることはなかったが、ライフラインは全滅。
まだ電気だけ通っている友人宅で数日、その後友人の実家に1ヶ月ほど避難しお世話になった。
震災のあと、私は学生ボランティア団体に参加し活動していた。活動をすればするほど、のめり込んでいった。
既知の通り、福島県は震災後に放射能汚染の影響を受けた。
除染が完了するまでは子どもたちが屋外で遊べない時期があった。土遊びもできないし落ち葉も触れない。そんな時に、屋内の子どもの遊び場でイベントを継続して企画・実施し、それをレポートするということを、卒業論文?卒業制作?のテーマにした。
当時の自分は2部の学生であり、経済的事情からアルバイトも1日たりとも休みたくなくて、死に物狂いで動き回っていた。一番忙しかったときはこんな感じ。
1日目:朝〜夕方バイト→夜は大学で講義→夜中夜行バスで東京へ就活
2日目:八重洲口のマックetcで準備・時間潰し→昼まで試験
→昼行バスで帰り→大学で講義を受ける→帰宅後にイベント準備
(もちろん隙間時間にイベントの企画や準備)
これが2週に1〜2回、2ヶ月くらい続いていたような気がする。
…今はもうできないかもしれない(笑)
青すぎたころ
正直なところ、動き回りすぎていたからか卒業制作の内容はあまり覚えていない。
ただ一つ言えることは、「なんでも自分の力でやりとげてみせる」という気持ちがとても強かったことだ。だからこそイベントも毎回滞りなく開催することができたし、就活も(一応)無事に志望していた業界の企業に採用された。
しかし「自分の力で」という思いが強すぎたからこそ、自分から人に頼ることがなかなかできず、人を巻き込むのにも苦労した。人を巻き込んでこそのイベントなのに(笑)今もまだまだ青いが、当時は想像を絶するほど青すぎたのだ。
社会人になってから、あのときほど強い気持ちを持って過ごしたことがあったかどうか自問してみる。
このテーマで記事を書くことで、当時のがむしゃらだった自分に、少し背中を押してもらった気がした。
#わたしの卒業制作