交通事故と「罪と罰」
私はいま病室のベッドの上で痛みに耐えながら『罪と罰』(岩波文庫)を読んでる。そしてそんな私めちゃくちゃカッコええやん!永遠の文学少女やん!って思っている。
一昨日の朝のことだ。自転車で仕事に行く途中の細い道。交差点で出会い頭の事故だった。
バンッ‼︎
って音と同時に体が飛んで、地面に叩きつけられた。その瞬間感じるのは衝撃だけで、痛みは後からゆっくり追いかけて来る。
「‥あ‥痛ぁ」
黄色い軽自動車から降りて道路に倒れている私に、「だいじょうぶですか?」って声をかけてきたのはどことなくクドカンに似た気の弱そうな男の人だった。
「だいじょうぶじゃないから‥、救急車よんで‥、警察も‥。」
あちこち痛いし息がしにくい。曇り空を見上げながら道路で寝転んでいると、音を聞きつけて近所のオバチャン達が出てくる。「かわいそうに。寒いでしょう?」って毛布か何かけてくれた。アリガトウゴザイマス‥。貧血で目と意識が霞む。
救急車が到着し、顎を4針縫われた私はいま病院のベッドにいる。あした全身麻酔して鎖骨をボルトで繋ぐ手術してもらうから、起きたらサイボーグだ。頑張ってって?頑張るのはお医者さんやがな。
せやけど考えてみ?車にぶつかったら、救急車が来てくれて、病院でちゃーんと治療してもらえて、治療費も日当も私の労災で出るし、入院のために買ったパジャマやらタオルやらは相手の労災で降りるし、今回子供は夫と親がみてくれてるけどもし身寄りがなければ児童相談所とかが預かってくれる。これはすごいことやで。ほんまに。
だってさ、これが「罪と罰」の世界やってみ?すぐ詰むで。詰みとバツやで。いやアンタ笑い事ちゃうがな。
罪と罰という辛気臭いタイトルの本はドストエフスキーというおっちゃんが書いた19世紀半ばの帝政ロシアの都市が舞台の小説。
酔っ払いのマルメラードフが馬車に轢かれたら残された家族は路上でカンカン踊り(なんだそれ?)を踊って物乞いをする羽目になる。(マルメラードフが生きている間も長女のソーニャが売春して家計を支えてたり色々悲惨すぎるんだけど)
この時代にだって医者はいる。骨折ぐらいは治せる。でも労災とか、医療保険制度とか、生活保護とか、児童相談所とかないからなんかあったらすぐ詰む。
そんな世の中だと、お金を貯めておかないと不安だから未亡人のアリョーナは質屋のようなことをしている。年老いた未亡人が安心して生きるには理にかなったことといえる。
他人から強欲だ守銭奴だと言われながら金を貯めたアリョーナはしかし、貧しさゆえに大学を中退したラスコーリニコフに斧で頭をカチ割られて殺されてしまう。
つまり、お金が無いとなんかあったときすぐ詰む社会は、お金がなくてもお金があっても心穏やかに過ごせない社会なのだ。
きっと「老後に2000万必要」な世の中では罪と罰みたいなことがいっぱいおこる。それを阻止するために監視にコストをさいてディストピアを作るよりラスコーリニコフに給付型の奨学金をぽーんと出したったほうが未来に夢を見られるんじゃないかいとおばちゃんは思うね。
「罪と罰」にはお金の話がいっぱい出てくる。(この作品のメインテーマはお金の問題ではなく、大いなる理想の実現のために犠牲を払っていいのかということだけど今回は割愛)
↓このページによると1ルーブルは現代の価値にして2200〜2700円
計算しやすいように2500円にしてみると
ラスコーリニコフが質入れしたお父さんの形見の時計=1ルーブリ半=3750円
ソーニャ初出勤の稼ぎ=30ルーブリ=75000円
うーん、生々しい!
ドストエフスキーという人は金が支配する世界の恐ろしさを知ってたんだろうな‥
この小説は最終的に愛と信仰と大地に根差すことに希望を見出して幕を閉じる。このような社会において個人が幸福を追求しようと思えばたしかにそれは最適解であろうし、これからの時代を生きていく上でも重要なヒントにもなりうる。
でも、それはそれとして、すぐ詰む社会に住みたいか?ってことは考えてみてもいいんじゃなかろーか。ほら今年参院選あるし。
あとごめん、全然話変わるけど、これだけは言わせて!ソーニャがリザヴェータの十字架持ってるってことは、あの2人スールの誓い交わしてるよね!?
「消灯しまーす」
ナースが照明をおとした。さぁ明日は手術だ。麻酔覚めたら痛いらしいので今から戦々恐々だけど、麻酔のある時代でヨカッタ。
医療の発達に寄与した方々と、ナースさんお医者さん、そして全ての納税者の方々に感謝の祈りをささげます。おやすみなさい。
「罪と罰」は登場人物のキャラが立ってて鬱展開なのになんとなく喜劇っぽくて面白いです。私の筆では面白さを伝えきれないので未読の方は是非よんでみてね!