Aは神戸連続児童殺傷事件の主犯ではない
うっかりしていて、半年も見過ごしていたのですが、こんなものが流布されていたんですね。
https://www.youtube.com/watch?v=pDX52ccC828
あの事件に注目して、細かい事実や捜査の経過などを記憶している者としては、この動画を見ると改めて、警察はいくらでも嘘をつくものだということを感じます。何が「捜査の真実」だと言いたい。これは捜査の虚偽にさらに記録の改竄を追加するものです。こういうことだから、元首相殺しの報道もめちゃくちゃなのだ。
* * *
§1 1997年5月27日、神戸のある中学校の正門で男の子の頭部が見つかり、その日、中学にほど近い雑木林の茂る丘の中腹にある放送用のアンテナの塔の立つ小屋の前で、胴体と四肢も発見される、というショッキングな事件が起こりました。
そのときは、最初、犯行の手口からも、酒鬼薔薇と名乗る自称犯人の犯行声明なるものの文章力からも、大人の犯行だということに衆目は一致していたのでした。
ところが、上記の動画で、当時捜査一課長としてこの件担当の責任者だった山下氏が語るのは、その点を自分に都合よく修正した、偽証です。
4分過ぎたあたりで山下氏が言っていること、そしてそれに続くアナウンサーの説明は、まったく事実と反対です。
事件発生直後の捜査初期段階には、犯人は少年だろうなどとは言われていませんでした。上記の動画で山下氏は、少年を追跡するために緘口令がしかれてから、メディアが「黒いビニル袋をもった男が現場にいるのを見かけた」という現場付近住人の証言を取り上げるようになったと言っていますが、これもまったく嘘です。初期の段階には、30代の黒ビニル袋をもつ男についての複数住民の証言だけが手がかりだったのです。
また、山下氏は、「酒鬼薔薇犯行声明」の文が稚拙だったので、少年の文章だろうと思ったなどと言っていますが、事実は、文学者やジャーナリストを含めた世間のすべてのひとたちが、文の達者さに感心し、犯人は大人だと(正当にも)推測したのです。だから、警察が真犯人は子どもだと発表すると、彼らは揃って、14歳の天才モンスターだとはしゃぎたてたのです。
しかし、Aが中学で書いた作文はもちろん、その後少年院で書いた文章も、あきらかに文章力の水準が酒鬼薔薇犯行声明には劣り、同一人物のものとは思われません。中学に提出した作文は、ごくふつうの中学生の書く稚拙な文章です。(Aは少年院でも文章を書いていますが、気取ってみても基礎的な文章力が欠けていることは隠しようがありませんでした)。だが、かりに14歳で酒鬼薔薇犯行声明のレベルの文章を書く少年がいたら、目立ってしまって、不登校などしていられなかったのではないですか。
兵庫県警こそ、初期段階に立てていた仮説を変更し、少年を犯人にすることに決めてから、考え方をずらしていったのです。おそらく、そのほうが、女の子の殺傷事件と同じ犯人という単純な仮説とつじつまがあって、都合がよかったのでしょう。不登校児に対する偏見がいまよりつよかった、あの当時ですから、Aのような不登校の子どもを犯人に仕立てておけば、世間がうなずいてくれるという兵庫県警の小賢しい「読み」があったのだろうと思います。
こういうところで、さりげなく、重要なディテールを誤魔化すところに、兵庫県警のやましさが現れている。まさに、語るに落ちると言ったところです。
§2 神戸連続児童殺傷事件(以下「神戸事件」)については、Page d'accueil pour A というサイトが、今も残っています。これは、たぶん同事件に関しては最も詳細で正確な内容です。このサイトでは、この事件はA以外の人間が主犯で、Aは主犯に利用されたという見方を取っています。
http://w3sa.netlaputa.com/~gitani/index.htm
同サイトのトップページにある「A君を無罪とせざるを得ない11の理由」という記事には以下のように述べてあります(文をやや変更しますが、内容は基本的に同一です)
1 少年逮捕は、物的証拠はまったくなく、自白だけによって、行われた。
少年が逮捕された日の夜、記者会見に臨んだ兵庫県警の山下警視正(捜査一課長)は、「凶器は?」と聞かれて、
「ナイフ」と答えたものの、しばらく沈黙し、それからやっと「・・・など」と答えるという、たいへん不審な挙動に出ました。
さらに
「刃渡りは?」と聞かれても、沈黙するほかなく、ようやく出た答えは、
「・・・わかりません!」
と、肩からうなり声を絞り出すような、苦しげなものでした。
あの少年逮捕は、凶器すら不明なままに行われたものだったのです。
山下警視正(当時)が、このようにいかにも苦しげに記者たちに答える様子は、上にあげた「捜査の真実」には、再録されていません。当然でしょうね。テレビ局が、あんな見苦しい画像は使うまいと、ソンタクしてくれたのでしょう。安倍政権いらい、ごくふつうなことです。
2 少年の自白は、警察が少年をだまして取ったものだった。
というわけで、Aが犯人だという警察の断定は、Aの「自白」のみにもとづいてなされたのですが、それも、警察が嘘をついて少年を騙してとった「自白」だったのです。このことは、神戸家裁の判決文にはっきり書いてありますが、当時、これを取上げたのは毎日新聞の記事だけでした。
こんなわけで、家裁決定書は、「警察の調書」は証拠として採用しないと書きました。
ところで、7月17日の検察供述を見ると、少年は逮捕後もまだ警察の嘘を信じ続けていたことが明らかです。
検察の供述は、少年が警察によって逮捕されたからこそ成り立つのですが、その警察が嘘をついて少年を騙した以上、警察の供述は証拠として採用しない、と判事が言うのは当然です。
しかし、そうならば、当然、その逮捕にもとづく検察の供述も疑われてしかるべきです。ところが、なんと、検察の供述のほうは証拠として採用されたのでした。
警察が「自白」をとって、そのあと逮捕すらしないうちに検察が尋問をして供述を取ったこと自体が違法なのに、そんな供述を、証拠採用したのです。
少年は、のちに警察に騙されたことを野口弁護士から聞いて、ぼくは騙された、悔しい、と泣いたと同弁護士は言っています。ところが、驚いたことに、弁護団もこれに抗告をしていません。
いったい、どうなってるんでしょうか?
こんな矛盾したことを書いた井垣康弘判事、そして当然の抗告をしなかった野口善國弁護士は、少年法改悪の騒ぎの中で、たびたびあちこちで子どもの人権を擁護する立場で発言していますが、良心の呵責はさすがに隠せないようです。
警察が、どのように、少年をだましたのか、また、この事件をA氏の犯行とすることがまちがいである詳細な理由は、次のURLでご覧いただけます。
http://w3sa.netlaputa.com/~gitani/wng/raisons.htm
3 野口弁護士から事実を聞いて、騙された、悔しいと泣いた少年は、なぜ、ぼくはやってないと言い続けなかったのでしょう。
ここからは推測になりますが、オトナの主犯(たぶん複数)が事件を起こし、そこで少年をパシリのようなものとして利用した、と考えれば、無理なく説明がつくのではないでしょうか。そのオトナたちは、少年に「オレたちのことを誰かに漏らしたら、お前はもちろん、お前の家族も命はないぞ」と脅しをかけていたはずです。
A氏は、あの事件に関連して本を書いたりしていますが、そこには真実は語られていないはずです。それより重要な真実を示しているのは、彼の母親が書いたとされる『A この子を生んで』という「手記」の一節です。それについては後述しましょう。
検事が少年から「取った』供述書(供述書というのは、容疑者が自分で書いたり口述筆記することはまずないもので、検事が作文して「認めろ」と言い、容疑者が頷けばそれでいい。この事件の供述書も、およそ中学生の文章ではない)を盗み出して文藝春秋に持ち込んだのは革マル派だったので、右からも左からも拒否反応があったのは不幸なことでした。当時、先入観を排してそれを読み、正当性を評価したのは大和維新塾という民族派右翼の団体だけでした。ぼくは以来、民族派右翼は侮れないとキモに銘じるようになりました(余談ですが、民族派右翼では、女性も女だから軽んじられるということがなくて居心地がいいんだと、複数の女性が語っています。元ミニスカ右翼と称していた雨宮処凜さんはその一人です)。当時ある雑誌で、ぼくが、革マルだから嘘だろうなどと決めてかかってはいけないと書いたら、革マルさんからお礼と集会へのお誘いが来たので、行って話をしたり、一緒に神戸市須磨区のタンク山を視察に行ったりしました。
§4 母親が書いたことになっている『A この子を生んで』という「手記」の一節にふれておきましょう。
母親は、少年鑑別所を2回訪問して息子と面会しています。1回目は父親同伴でしたが、少年が「帰れブタ野郎!」と絶叫して、とうていまともな面会にならないので帰ります。その後、少年は鑑別所の担当官に、母親だけなら会ってもいいと言い、母親と二人きりの面会となるのですが、上記の手記によれば、彼女が「ひとの命の大切さということを話していたとき」、少年がそれをさえぎって語り始めたが、その内容が、あまりに異常だったので、母親は頭の中が真っ白になってしまい、何が語られたかを思い出すことすらできなくなった、とのことです。
これは、不自然な文章です。いくら脳裏が真っ白と言ったって、何一つ思い出せないことがあるだろうか、という点もですが、だいたい、重大犯罪事件の容疑者となった我が子を訪問した母親が、何をおいても発するにちがいない問い、「あんた、あんなことを、ほんとうにやったの? もしウソならお母さんは世間を敵に回しても、あんたを庇うよ、ほんとのことを言って」というのが、ありません。「ひとの命の大切さ」なんて、校長先生のお説教ではあるまいし。
事実は、この「告白手記」の実質的筆者である文藝春秋の編集者、森下香枝があれこれ手を尽くして聞き出そうとしたが、母親は緘黙を守り通したのにちがいありません。女性に話を聞くんだから女性の編集者を、という文藝春秋編集部の期待は叶えられなかったわけです。なぜ、緘黙しなければならなかったのか・・・
森下香枝さんは、母親の緘黙に、ついに根負けし、これは絶対に言わない気だなと、ある時点で判断したはずです。森下さんにとっても、この本は不本意なものだったでしょう。
§5 こうなると、いったい真犯人は誰だ、またなんのためにあんな事件を起こしたのだ、ということになります。
つぎの諸点には、ぜひ注意を払っていただきたいと思います。
1 被害者の死斑は、赤かった。供述書には、死斑は青かったとありますが、それは事実に反します。少年は男の子の遺体を見ていないから、そういうデタラメを喋るのです。というか、検察官は無知だったから、そんな供述書が書けたのです。こういうのを「無知の暴露」と言います。少年は死体を見ていない。したがって、あの男の子の殺害そのものにも加わっていないのです。殺害に至る誘拐の手引ならやったかもしれませんが。
赤い死斑は、遺体が冷凍保存されたか、一酸化炭素か青酸カリで死亡した場合にできるものです。一酸化炭素や青酸カリを使った可能性まで考える必要はなさそうです。そして、いずれにせよ、数日間、被害者の遺体を保管する設備がなければなりません。少年の家にはそんなものはありません。
2 殺された男の子は小学校6年としては、大きめの体格で、犯人とされる少年は大柄ではないので、簡単に男の子をつかまえて、即座に気絶や絶命させて、人の目につかないところに運ぶなどということはできないでしょう。
被害者の父である土師守氏は、公刊した手記のなかで、息子の遺体には抵抗の跡がないと警察官から聞いたと書いています。 土師氏は、そこから、犯人は少年Aにちがいないという結論を導き出します。息子は用心深い子どもで、知らないひとについて行ったりはしない、日頃つきあいのあったAだからやすやすとついていって、凶行を加えられてしまったのだということです。
しかし、土師さんのこの推理は、Aがやったんだ、という結論を過信しているため、あまりに一面的で、ほかの重要な要素を見落としていると言うほかありません。
体格逞しくもない少年が、4歳くらい年下とはいえ、体格の大きめな小六の男の子を、抵抗もできないうちに、瞬時に意識を失わせたり、殺したりすることが、可能なのでしょうか? 被害者は激しく抵抗するはずで、抵抗の跡がまったくないというのは、少なくとも誘拐と殺害の犯人がA少年ではない、何よりの証拠なのです。彼は被害者をおびき出す役割を務めたということならあり得たでしょう。
3 男の子の遺体のうち、頭部以外の部分が置かれていた通称「タンク山」という雑木林の丘は、遺体発見当時、PTA などが犬を動員して山狩の最中でしたから、遺体を運び込むのも、首を切断したりするのも、少なくとも中学生一人では不可能です。
以上3点だけでも、自ずから浮かび上がって来る犯人像は、大人で、それも単独ではないと思われます。たぶん、車を使って、すばやく犯行を完遂したのだと思います。それも、普通の大人ではないでしょう。
さらにもう1つ付け加えるなら、被害者の遺体の胴体と四肢の部分が置かれていた通称タンク山のアンテナ基地の周りに、血液の残留を示すルミノール反応はまったくありませんでした。ルミノール反応は、血のついたシャツなどを洗濯して、血痕が目に見えなくなっていても、ルミノール液をかけると発光するもので、血液が数万倍に薄まっていても反応が出るものです。
また、A少年は切り取った被害者の頭部を家に持ち帰って保存し、風呂で洗ったと「供述」していますが、少年の家の風呂場からもルミノール反応は出ていません。それにそんなものを家に持ち帰ったら、腐敗して臭くて大変ではありませんか。
§6 ここから、ぼく個人として、もう少し突っ込んだ推測を述べます。
彼らは、クルマで乗り付けて、土師淳君を、即座に殺すか意識不明にして拉致することができ、遺体に細工をしたり、冷凍保存できるだけの設備を利用できるような人間たちです。社会的にきわめて有力な者でなければ、できないことでしょう。事件の真相を警察までが隠すのですから、なおさらです。CIAがやったという説を唱えるひともあります。それはあり得ることですが、立証は困難でしょう。
当時少年だったAは、まったく無罪でしょうか?
土師淳君に先立つ3名の女の子の死傷事件があります。ぼくは、A少年がそれになんらかの関わりを持った可能性はあると思います。また、土師淳君の拉致にあたって、淳君と顔見知りの近所のお兄ちゃんとして、犯人たちに都合のいいようにおびき出すという手伝いはしたことはあり得ると見ています。
だから、真犯人たちに「ほんとのことを喋ったら、お前もお前の家族もどうなるか・・」と脅されていたにちがいありません。警察で「犯行声明の筆跡がお前と同じだったことが科捜研の検査でわかってるんだ」と言われて「白状」してしまったのだと、あとになって知り、騙された、悔しいと泣いたのに、無罪を主張しなかったことは、以上のように考えれれば説明がつきます。
山下元警視正が、今回、当時の調査について、こんなデマを流しているのも、最初から少年が有力な犯人候補だったということにしておいたほうが、都合がいいからだと見るほかありませんが、それというのも、真犯人を明らかにしてはならないという、どこかの筋からの圧力がかかっているからでしょう。
彼らは、当初は正直に、黒ビニル袋を持った複数の男を追っていたが、途中で、どこかの筋にそれを禁止されたので、ニセ犯人をでっち上げるために、社会的に弱い立場のひとびと(知的障害者、在日外国人なども含む)を物色しているうちに、不登校児という、当時はつよい社会的偏見にさらされていた有力候補に至りつき、A少年が学校の授業の時間に近所をうろついているなどの噂を住民から聞き込んで、しだいに彼に的を絞っていったのだと思います。
付記 なお、社会的に注目を浴びる事件の捜査に当たる警察の様子を示す同様の例として、こんなものもあります。オウムの仕業とされながら迷宮入りに終わった警察庁長官暗殺事件の真犯人の告白です。神戸事件とは直接関係ありませんが、これくらい、警察の捜査というのは、変なことをする場合もあるのだと知っておく必要はあるでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=PzcTjGcZr-Y
また、草加事件や狭山事件をはじめ、冤罪事件、警察の予断によって捜査が狂う例は、容疑者が子どもや知的障害の場合はとくによく見られます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E5%8A%A0%E4%BA%8B%E4%BB%B6
https://web.archive.org/web/20021030104526/http://gomafu.hp.infoseek.co.jp/nin/nin01.htm
鎌田慧『狭山事件の真実』(岩波現代文庫)
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