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【 noteで学ぶ 世界の名画とアート思考 】 浮世絵の神髄:葛飾北斎『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』が世界を魅了し続ける理由

= こんな人におすすめの記事です =

「 “ アート ”や“ アート思考 ” ってどうやら大事そうなんだけど、アートの見方もそもそも何なのかも、全然わからない。…でも、我が子に“ アート教育 ”はさせたい! 」

これ、僕の欲求です(苦笑)。
でも、あるある、ですよね?

ですが、なかなかどこを調べたらいいか分からないし、これらの情報にたどり着けないことがしばしば。

…ということで、このnoteでは、『 世界の名画とアート思考 』を週に1つずつお届けしております。皆様の一助になれたら嬉しいです!

なお、『 他にもこんな展覧会がおススメですよ! 』というものがありましたら、ぜひコメント欄で教えてください。教えてくださった方に、1コメントにつき100円をnoteのサポート機能でプレゼント!


= そもそもアート思考って? =

色々と言われてはいますが、

「 過去の状況を理解し、その中にある問題点や疑問を発見し、これまでに無い新しい価値観や方法を提案する思考法 」

と僕は理解しています。ここを意識しての名画を観察すると、“ あ!この名画はこういう観点でアート思考を取り入れているんだ! ”と理解しやすくなるので、おススメでございます。


= 今週の名画:富嶽三十六景 神奈川沖波裏 =

葛飾北斎の代表作『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』が毎年毎年バズる理由

葛飾北斎の『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』は、日本美術史上最も有名な作品の一つであり、今なお多くの人々に感動を与えています。この浮世絵は、1831年頃に制作され、巨大な波が船を飲み込もうとする瞬間と、それを背景に小さく描かれた富士山との対比が、見る者に強いインパクトを与えます。しかし、この作品の魅力は見た目だけではありません。北斎の人生や、当時の文化的背景、そして技術的な革新性を理解することで、さらにその奥深さが明らかになります。この記事では、北斎と『神奈川沖浪裏』について、彼の生涯や浮世絵の技術、そして同時代の作品との比較を通じて解説します。

葛飾北斎の経歴

葛飾北斎(1760年-1849年)は、江戸時代後期の浮世絵師で、日本美術史上最も影響力のある芸術家の一人です。

彼は江戸(現在の東京)に生まれ、幼少期から絵を描くことが好きでした。10代の頃に版画師の門下に入り、浮世絵の技法を学んだ北斎は、その後多くの師匠のもとで技術を磨き、自らのスタイルを確立していきました。彼は風景画、役者絵、美人画、読本の挿絵など、多様なジャンルで作品を手がけましたが、特に風景版画で有名です。

北斎が『富嶽三十六景』を発表したのは70代に入ってからのことです。このシリーズでは、江戸時代の庶民の日常生活や自然が描かれており、特に富士山がテーマとなっています。北斎の作品は日本国内のみならず、ヨーロッパの印象派画家にも大きな影響を与えました。特に19世紀末に起こった「ジャポニスム」の流行により、彼の作品は国際的に評価されるようになりました。

北斎の仕事と収入源

北斎の主な収入源は、浮世絵版画や挿絵の制作でした。彼は絵師や彫師と協力し、庶民向けの絵画や版画を多数発表しました。特定のパトロンを持つことは少なく、彼の作品は出版業者を通じて広く販売され、庶民の手に渡りました。こうした出版業者との関係が、北斎の創作活動を支える重要な基盤となっていました。

芸術的側面

『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』は、その強烈な構図と大胆なテーマが特に際立っています。巨大な波が船を襲う瞬間を描いたこの作品は、自然の力の凄まじさと、そこに立ち向かう人間の小ささを対比しています。北斎は波の動きや水しぶきの細部まで緻密に描き出し、見る者に迫力を感じさせます。波の形がまるで爪のように曲がり、船を飲み込もうとする様子は、緊張感と共に自然の美しさを強調しています。

また、手前に描かれた波と遠くにある富士山とのコントラストが、空間の広がりを感じさせるのも特徴です。北斎は限られた色彩の中で、波のダイナミズムと富士山の静けさを表現し、画面全体に独特のリズムを生み出しています。

技術的側面

技術的には、この作品は木版画の技法を用いて制作されています。木版画は、複数の職人が色分けして版木に彫り込み、一枚一枚手作業で刷り上げる技術です。北斎の作品は、遠近法を取り入れたことでも革新的でした。彼は、ヨーロッパ美術の技法を吸収しつつ、日本の風景や自然を独自の視点で捉えました。『神奈川沖浪裏』では、手前の波がリアルに表現されている一方で、富士山が遠景に小さく描かれています。このように、構図に奥行きを持たせることで、作品に広がりと深みが加わっています。

歴史的背景と革新性

この作品が生まれた1830年代は、江戸時代も後期に差しかかり、庶民文化が成熟しつつあった時期です。富士山は、当時の日本人にとって神聖な存在であり、庶民の憧れの象徴でもありました。北斎はその富士山を、庶民の目線で描くことによって、富士山と日常生活とのつながりを表現しています。

『神奈川沖浪裏』が革新的であったのは、波や水しぶきといった一瞬の動きを、極めて精緻かつ大胆に捉えたことです。それまでの浮世絵は美人画や役者絵といった人物中心のテーマが多かったのに対し、北斎は自然そのものをテーマにし、その中に人間の営みを描きました。さらに、この作品の大胆な構図や遠近法の活用は、従来の浮世絵の枠を超えた革新的なものであり、北斎の作品が国際的に評価される一因となりました。

同時代の作品との比較

同じ時期に歌川広重が制作した『東海道五十三次』も風景画として非常に人気を博しましたが、広重の作品は北斎とは対照的に、穏やかで静かな風景が特徴です。広重は詩的な風景表現を得意とし、旅路の情緒を感じさせる作品が多い一方で、北斎は自然の力強さと人間の関係を描くことに秀でていました。また、渡辺崋山の『鷹見泉石像』は肖像画の分野で傑出した作品ですが、これもまた風景画とは異なるジャンルであり、日本美術の多様性を示しています。

展示場所

東京国立博物館
住所: 〒110-8712 東京都台東区上野公園13-9
電話番号: 03-5777-8600
最寄駅: JR上野駅


大英博物館(The British Museum)
住所: Great Russell St, London WC1B 3DG, United Kingdom
電話番号: +44 20 7323 8299
最寄駅: Tottenham Court Road駅


* 合わせて読みたい関連ブログ *

色々なデータベースを引用されていて、勉強になります。


* 引用

イノベーション創出を実現する「アート思考」の技術

「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考

アート思考 ビジネスと芸術で人々の幸福を高める方法


= あとがき =

noteをご覧いただきありがとうございます。

会社員の傍ら、上海で塗り絵本作家になりました、KENTA AOKIと申します。日本・中国を拠点に、個展をしたり、アジアやアフリカの子供たちと塗り絵イベントを行ったり、塗り絵本を出版したり、そういった作家活動を行っております。

作家活動を進める中で、美大卒でもない、若輩者の私は、“ アート ”に関して日々色々なことを学び、そのうえでアート作品を創るようにしております。というのも、“ 美大卒でもない ”というのが結構コンプレックスなんです。

ただ、そんなことを続けていく中で分かってきたのは、

「 アートを学ぶ方法って色々あって、美大の知識は勉強したらつけられるかも!? 」
「 アートって実は科学的かつ論理的で、むしろ理系向きかも!? 」
「 アートを届けるには、ビジネスの知識も必要なんだな 」

でした。

学べば学ぶほど、アーティストだけが“ アート ”を学ぶ・理解するのは非常にもったいないなと思ったのと同時に、もっともっと“ アート思考 ”を応用すると、おもしろいものやサービスが生まれるんじゃないかと思いました。

日々本を読み、実戦しながら、学んでいる僕がこれらを伝えていくことで、よりリアリティを持って、学びが共有できたら嬉しく思います。僕と同じ境遇にある方々に届き、共感頂けたら更に嬉しいです。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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KENTA AOKI @ 会社員 × 塗り絵本作家 × ビール愛好家
頂戴いたしましたサポートは、インドネシアやタイの子供たちに塗り絵本を送るための活動資金に活用させていただきたいと思っております。 何卒よろしくお願い申し上げます。