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28年前の今日 冬のデンマーク

28年前の今日 冬のデンマーク

南スウェーデンのマルメ公演に行くまで
一週間をコペンハーゲン中心のクラブサーキットにあてようと
あるイタリア人のV氏というオーガナイザーからのオファーがあったので
一週間分のツアースケジュールをまかせていた。

その年の夏に何会場かお世話になっていたので 
その時は安心していたのだ。

コペンハーゲンの空港に飛んで 
ややカントリーサイドにある待ち合わせ場所
(海沿いにある、50メートルx20メートルくらいの工場跡地のような廃屋)に 午後の3時ごろ(約束の時間)に行くと

・・・なんと彼はいなかった。
そして
いくら待っても来なかった。

その廃屋は鉄をあつかうアーティスト達のアトリエも兼ねており 
夏は5~6人 人がいて
そこでバーベキューをしたり
そこに転がっている壊れた車でアーティスト達は寝泊りしたりしていたのだが
冬はあまりに寒いため雰囲気も違い
ほとんど誰もいなかった。

たまたま夕方に一人だけ通りかかったアーティストに 
「V氏を知らないか?」と言うと

「V?親父の体調がすぐれないからといって 
数日前イタリアに帰ったよ。」と言う。

「じゃ、俺はもうここを出るから。カゲロウも大変だけどグッドラック!」と言ってすぐにいなくなった。

気温は0度から3度くらい。

とにかく寒い。
気がつけば真っ暗。
風がしのげるだけ屋内の方がまだましというだけ。

さらに よく見ると天井は穴があいており 
屋根の代わりのビニールシートが
風でバサバサなびいている。

近所に店はない。
バスもない。
タクシーもこない。
食べ物もない。
電話もない。
(1996年当時)

・・・完全にV氏にやられてしまったようだ。

夏のツアーでずいぶん世話になったV氏が
事前連絡もなくこのような事をすることが
その時は全く理解できず、
しばらくの間 これからどうしようか考えようとした。

しかし とにかく寒く 
あたりは真っ暗で 誰も来ない。
(北欧の冬は14時過ぎには日が暮れる)

荷物も多く
時差ボケもあり 
外に出て歩き出す元気もない。

こわれた車の中に入っていた
汚れた毛布をかき集めてくるまりながら 
どうしようか考えた。

夏にここに来たときにあった 
ろうそくのありかを手探りで探しながら 
ライターで湿気を取って 火をつけた。

少し明るくなったが
空腹も渇きも疲労も寒さもひどく
「何か食べないと。」
と思った。

「夏の頃はここにジャガイモや玉ねぎがあったんじゃないかな。」
と カセットコンロの近くを手探りで探した。
すると いつここに持ってきたのかわからないような
芽が沢山出ている古いジャガイモと
ほとんど腐っている古い玉ねぎと古い米が出てきた。
秋の間にアーティストが持ってきて そこに置いていったんだろう。

手を洗うために川の水をホースで引っ張ってくる場所があったのを思い出し
枯葉まじりの水を使って
古い米を 持ち手のないジャンクのような鍋で炊く。
ジャガイモと玉ねぎを置きっぱなしになっている塩と香辛料と共に炒めて
かなり辛い味付けにしてご飯にかけて食べる。
あまりの辛さで少しだけ体があったまる。

枯葉交じりの水を沸かして
置きっぱなしの紅茶のティーバッグも見つけた。

少し食べ残したので
何回かに分けて翌日に食べようと置いておき
あまりの眠さに気を失うように車の中で眠る。

・・・しばらくすると
巨大な野犬が4匹くらい工場に入ってきて
その残りを取り合いだした。

びっくりして
車の中に犬が入ってこないように息をひそめた。
数十分して 犬は外に出て行き
再び静寂が。

毛布に包まりながら
傍らにはベースのケース。
夜中になり 気温はますます下がっていった。
「俺 何しに来たんだろう。演奏の為に来たんだよな。」
と思いながら
意識がなくなった。

翌朝は海辺の水鳥の鳴き声で目が覚めたが

人の気配。

しかも
自分が寝ている車の隣の車が揺れている。

コペンハーゲンのクリスチャニアに本部があると言われている
ヘル〇・エンジェルズの残党達が
薬物をキメながら
乱交を始めていた。

息をひそめて
彼らが出て行くのを数時間待つ。

・・・それから3日間は
誰もここには来なかった。

そのまま そこで3日間
寒さと飢えと戦いながら過ごした。

暗闇の中で 

「こうやって 人は死んでいくのかな。」

と 幾度となく死を意識した。

4日目 

ようやくある人がやってきて
その人に
「コペンハーゲンまで車で連れて行ってくれないか。」
と頼み込んだ。

おろしてもらったのは
中央駅前の商店街。
雪が降っていたが この日は少しだけ晴れ間がのぞいた。

失意で
あまりに悲しくて
何も意識していないのに
目からは涙が出ていた。

「・・・もうどうにでもしてくれ。
でも 今の俺には音楽が必要だ。
寒くても 腹がへっていてもいいから
音楽が必要だ。演奏したい!」

そう思って
バッグに入っていたピグノーズ(電池で動くアンプ)と
ホールドディレイに電池を入れた。



手がかじかんでよく指が動かなかったが
気持ちでベースソロを開始した。

プロモーションのために持ってきていた
カセットテープを10本以上 何となく並べながら・・・。

すると
どんどん 人だかりが。
そして ギャラリーから歓声があがり

どんどん適当な値段をつけていたカセットテープが売れ出した。

一時間後 誰かから呼ばれてきたのか
あるデンマークのミュージシャンが通りがかり

「素晴らしい。こんなベースは見たことが無い。
君のようなベーシストを探していたんだ。」

「君の力で 僕たちを有名にしてくれ。
今すぐレコーディングに参加してくれないか。」
と言ってきた。

「よしわかった。
しかし 俺はワールドワイドなプレイヤーだ
(心の中で苦笑しながら)。
忙しいので あと4日しかデンマークにいられない。
(4日間スケジュールが空になっていただけなんだけど(笑))
その間に 俺にフリーアコモデーションと
デンマークの美味しい食事を与えてくれないか。
ギャランティーとは別に。」
と 弱った身体をごまかしながら強がって言った。

彼らは 
「もちろんだとも。早速スタジオへ行こう。」
と言って 車に乗せてくれた。
疲れきっていたが 冷えた身体のまま 
必死に曲を覚えて 録音していった。

その後 暖かい部屋へ連れて行ってくれ
暖かいベッドと食事を4日間与えてもらい 
すっかり元気になった(笑)。

船着場で彼らと別れ
南スウェーデンに入り
マルメの公演先で
次のツアーのエージェントと何事もなかったかのように合流。
その後のスウェーデン
ドイツの公演ツアーは無事に終了した。

・・・若き日にこんな苦い思い出がある冬の北欧。

今は免疫もある上 経験もあるので
当然こんなヘマはもうしないが(笑)

冬の北欧のイメージを
素敵なものに変えたいものだ。

(2005年当時の日記より引用)

*この後の2005年の北極圏公演ツアーで
冬の北欧のイメージは素敵なものに
*当時は携帯電話がなく 私もクレジットカード 米ドルチェックを持っておらず 円チェックは現地換金不可 現金もほとんどなし
*当時家もパソコンもなかったV氏とは私書箱へのエアメールと突然の固定電話での国際電話でやり取りしていました

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今沢カゲロウ(Quagero Imazawa) プロフィール
(ベーシスト 作曲家 昆虫画家 昆虫食開発者 四国大学特認教授)
1970年2月 北海道江別市生まれ。早稲田大学卒業。
在学中からプロのベース奏者としての活動を開始。
オリジナルな発想と多彩な技巧によるソロベース奏者・作曲家としての公演活動を
世界各地で行う。近年は昆虫画家としても活動。
CD『ベースデイズ』(キングレコード)他ソロアーティスト名義でアルバム22作品発表。
通算21枚目のアルバムとなる最新作「takteq reta/ タクテクレタ」は
アフリカ・ルワンダで制作。iTunesチャート8位。
2024年1月現在、音楽監督を務めた映画『仮面ファイター』は
インド、アメリカ、フランスなど、8ヵ国14の国際映画祭において受賞。
今沢名義の22枚目のアルバムとしてサウンドトラック盤が2023年6月30日に
世界185ヵ国でリリース。
他、DVD『BassNinja DVD』(キングレコード)
教則ムック『絶対役立つベース超絶テクニック~
世界が認めた低音奥義のすべて』
(リットーミュージック)
映画『仮面ファイター(小楠健志監督)』『君はなぜ戦うのか』『Fight of the ring』音楽監督
『BASSNINJA film』『BASSNINJA movie(仮)』主演 音楽監督

http://www.bassninja.net/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%B2%A2%E3%82%AB%E3%82%B2%E3%83%AD%E3%82%A6




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