浜崎あゆみが哲学であると・・・
いま浜崎あゆみが主人公のドラマが話題である。
かつて、平岡正明は『山口百恵は菩薩である』と言った。
山口百恵と同世代の私は、平岡正明がどのような人物であるのか、それまでの活動がどうであったのかも認識したうえで、当時若年であったこともあり、売れなくなった左翼文化人の売名行為と鼻で笑っていた。
現実を直視できない左翼が食えずサブカルに移って糊口をつないでいる、と嘲笑していたのである。
さて、歌謡曲大好きであった私は、当然の如く常に最新のヒット曲を追いかけて、付き合いではなく率先してカラオケで習得した成果を披露する若手サラリーマンとなった。
そうして2000年になって某東南アジア拠点に赴任しているとき、現地の日本人社会の大先輩から、「浜崎あゆみは、詩を詠んで感じろ!」と言われて驚いた。
こう言われたのも、私は当時浜崎あゆみを嫌悪していて、それを公言していたからだ。
意図的であるはずの舌足らずな物言いは気持ち悪い、“10代のカリスマ”・・・はぁ?訳わからん・・・と、いうことだ。
であったので、改めて“詩を詠んで”、すっかり憑りつかれてしまった。
seasons三部作など、いまでも泣ける。
日本に帰ってから、当時好きだった女性をさそってLIVEにも行った。お互い既に40代半ばだったが、行くと自分たちより年上の方々が多く、全く恥ずかしくなかった。
同じ思いの方々がたくさんいらっしゃったのだろう。
ドラマに係る事情は同世代の人間として多々仄聞していた話ではあるので、いまさら驚きはしない。
そんなことは、どうでもよい。
ただ、現役を引退してみると、ビジネス最前線にいる人間を魅了し、自省させた浜崎あゆみの詩(うた)を哲学として考えてみたいと思わずにはいられないのである。
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