『朱鎔基伝 -反党右派から鄧小平の後継者へ-』
福光寛教授による“中国経済思想摘記”のマガジン「朱鎔基、厲以寧」
https://note.com/hiroshifukumitsu/m/m8633ab609951
特に
「朱鎔基の先祖と出生 1928-37」
https://note.com/hiroshifukumitsu/n/nec5069d7dae2?magazine_key=m8633ab609951
を拝読して、標題書籍が積読のままであったことを思い出した。
『朱鎔基伝 -反党右派から鄧小平の後継者へ-』(1998近代文芸社)
これは、中華民国で1996年に刊行された同名書籍の翻訳版である。
この種の香港・中華民国で刊行された中共内幕物は、金融機関勤務時代には個人的に大量に購入して、大いに参考にさせて頂いた。今も書斎に並んでいる。
鉄面宰相こと朱鎔基の業績は、その後の中華人民共和国の経済成長への貢献の観点から、評価して余りあるのは今更言うまでもない。
とりわけ、人民元二重為替レートの統一など、当時現場にいた人間として成功するはずはないと確信していたほどである。
また、98年ごろになって、清華大学を卒業した同年齢の国家計画委員会官僚から、中央の官僚全員に対して「全員一旦解雇扱い。新たに採用してゼロベースで勤務評定する。」と訓令されて厳しいPDCAが加えられたことも聞いた。
福光寛教授の投稿に詳しく記載されているので改めて説明しないが、このような徹底した執着心、実行力は、不幸な生い立ちと政治的な不遇を生き抜いたことから培われたものであろうことは間違いないであろう。
本書の結語を今読み返すと、感慨を深めずにはおれないのである。
彼は(中国共産党政権に)「最も危険な敵」と呼ばれて社会の最低層に落とされ、二十年以上の肉体的な苦難と精神的な苦痛を味わった。
・・・
彼はまるで奇跡のようにこの政権及びこの政党の首脳の一人となっていた。
・・・
朱鎔基が最近あるいは将来李鵬の総理という職務を継げるかどうかは大して重要な問題ではない。
重要なのは彼の名前と李鵬の名前が、人徳、能力各方面での比較の上で、中華人民共和国の歴史に、黒白はっきりと際立った意義を形成することだ。