【日記】大江健三郎のホットな時代の文を読む

 本当に、散文のジャンル分けがどうなるかが致命的で、重要で身動きにも似た重々しい意味を持っていた時代というのがあり、ただそれは当時にしても時代錯誤であるかもしれないが、それにしても何かと響いていたということはありそうだ。
 日付が変わるまで時間がないので取り急ぎ雑感だけ書き付ける。
 なぜジャズが特権的なジャンルとなり、今は形骸化してしまったのか、それもやはり当時の時代の風と、それを感じ取る感受性みたいなものに伴って理由を説明されるべきなのではないか、ジャズもまさに、伝統のないところに突如として起きた伝統であり、石碑に打ち付けられる楔の音があったればこそ、価値を持つのでのちにどれだけ指をなぞっても、読みうるものはあるのかもしれないがそれはすでに別の行為だとも言える。
 様式化する寸前の音を見極めて聞けということか。時間が日々変容するように感じる、私というものの存在にも響くかもしれない、というのはさすがに都合の良すぎる解釈だろうか。

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