【読書録】ルナン『キリスト伝』
長いこと図書館で借りていたけど、ようやく読み始めた。
キリスト教史の古典で、この人自身は十九世紀の人だけど、その時期に最大限深掘りをして、例えば福音書のうちヨハネの福音書は、前半は実は誰によって書かれていて後半は……などという話が始まる。
今やそのような見方が当たり前になったが、当時で考えて、キリスト教者にとったら、完全な冒涜の書になっていたのではないだろうか。
前に読んだ幸徳秋水の『基督抹殺論』は、似たようなことを主張していたが、あれは題名の通り、キリスト教を全否定する構えのもと、書かれていた。しかもこれは二十世紀の前半だ。それに比べて、一見キリスト教を貶めようという意図というか、スタンスは少なくとも見られていない。しかし、やっていることは、使途の手紙が実はバラバラの人間によって編纂されたとかいうものだ。これからどんどんキリスト自身の話に移っていくのだろう。そんなこと書いて、いいのか?
この本をなぜ読み始めたのかといえば、一つは、おそらく同時代人として、ニーチェの批判の対象になっていたからだ。それから、最近ちょくちょく手を出している、キリスト教の亜種、グノーシス主義についての本の関連からである。しかし、キリスト教を批判的視点から見る人々は、どこか、同じことを斉唱しているような雰囲気がある。当たり前のようではあるけれども、言いようがいくつもあるというよりは、肝心のキリスト教の痛点とは、数えてみてもいくつかしかない、究極的には、という所がぼんやりと見えてくるのが面白い。