【日記】柄谷行人が語るバフチンのドストエフスキー論
仕事帰りに寄ったバス運転手の顔が、永野に似ていた。
永野とは、お笑い芸人で、「ピカソより普通にラッセンが好き」と歌っている(?)あの永野である。
永野は一発芸人と、よく呼ばれるが、あのフレーズ、なぜかことあるごとに思い出してしまう。
仕事中は、この後スーパー銭湯に寄ろうと、固く誓っていたのだが、帰り道になると、結局元気がないのと、着替えを持っていなかったから、やっぱり嫌だとなって、寄らなかった。
そして帰る際に、その永野に似た運転手を見たのだった。
大した話ではない。
今、いくつかの本を並行して読んでいるのだが、そのうちの一つに柄谷行人の講演録、無機質な数字なのでどの時代のかは忘れてしまった、1970年代から85年代あたりの講演の、たぶん自身による採録をしたのだろうという感じの本を読んでいる。
もっと早く読めばよかったと後悔した。柄谷行人は、けっこう明け透けに、自分の批評家としての立ち位置をはっきりと言ってしまう。どこというのはない。それが、講演録だから、うっかり出てしまう、ということなのか、そういう体にして、割と隠す気がないのか、そもそも筆から執った著書でもそういうスタンスなのか、ほとんど初めて柄谷行人の本に取り組んだので、わからない。しかし、他の何かを読みかけた時に、もっとそのあたりがわかりづらいと思っていたから、口述筆記とまではいかないものであろうが、それなりの平易さというものを得たのではないかという感じがする。
思考回路が、割とこちらにも見えてくるという感じだ。
ただ、それでいて、ドストエフスキーを論じるバフチンの立ち位置とか、悲劇の一般的な捉え方に滑りそうで滑らない感じとか、とにかくえも言われぬ批評の楽しみというのがあって、なんだかエンタメでも読んでいるような気分になった。
久しくエンタメというものに触れていない。映画などもエンタメなのだろうが、なんだかそんな感じがしないのである。柄谷行人の方がよっぽど面白い。