【日記】はっぴいえんど周り
今、時間がすこしできたので今までどっぷりはまり込むことが出来なかった音楽のジャンルについて、知見を深めようというのをやっている。
前にここで書いた、現代音楽とかジャズを聞いたというのもその一環である。
最近は、はっぴいえんどとその卒業者の周辺の音楽を聞いている。
きっかけは、先日高橋幸宏が亡くなったということで、YMOの周りの音楽を、ほんとうに通り一遍でしか聞いてこなかったので、お三人のYMO前後の曲をしっかり聞いてみようというのがきっかけである。
しっかり調べてみるまで、はっぴいえんどは基本的に細野晴臣のワンマンのバンドであると、勘違いしていた。まさか、それに匹敵するかそれ以上のミュージシャンが、しかも四人も集まっているとは思うまい。
あのサウンドの多くを細野晴臣は担っていたのかもしれないが、少なくとも歌詞と世界観は松本隆が作り出したものだ。そして、四人とも、ギタリストの鈴木某という人は違うのかもしれないが、多くの、しかも質の良い別のミュージシャンの音楽のプロデュースをしている。何となく聞いていた音楽がまた別の響きをもって音が変化したかのように感じるほど感じ方が変わった。
人間、こういうことを体験するために生きているのかもしれない。
で、大瀧詠一の名は確かに知っていた。知っているというくらいのものではなく、親が本当に繰り返し聞いていたので、耳から骨の芯まであのエコーの深いサウンドが染みていると言っていい。
ロングバケーションという、大瀧詠一の代表作として名高いアルバムを聞いた。これは、オケと比べられるほどの楽器数、演奏者数が関わったバンドを構成して録音されたらしいが、今では驚くべきことなのかもしれない、全員が集まった状態で一発で通して録音されたということだ。その緊張感は、一度演奏に関わったりとか自分で録音したことのある人ならわかると思う。自分は、ここでいくつか公開していた気がするが、多重録音を用いていくつかのカバー曲をやってみたりしたが、もちろんそれはお遊び程度の品質でそれを超え出ようなどとも思わず作ったにもかかわらず、しかも多重録音だからパートごとに何度も取りなおしてなんら問題がないにもかかわらず、その一回一回の演奏の緊張感たるや、やはり普段味わうものとはぜんぜん別だ。まして、二十人近く集まった、クオリティ高い演奏家が一斉に演奏を始めて、その一人として自分が参加していて一箇所でも間違えたらすべてが台無しになると考えると、参加者の死ぬほどの緊張たるや、推し量ることができない。
しかし、どうも聞いていると、能天気なイメージを持った曲が多いと感じる。細野晴臣もそうなのだが、なんだかトロピックな、天国感が流れる、エキゾチックな曲がずいぶん多いと感じる。深い懊悩やら憂愁やらというのは、一見音楽を深く見せる要素になりながらぜんぜん必要のないものなのだということなのだろうか。それにしてもなあ、とも思う。