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「施し」は自分のためである

<無財の七施>
お金なしで、心掛けでできる施しのこと。
眼施、和顔施、言辞施、身施、心施、床座施、房舎施の七つ。

本日は、

眼施(げんせ)

暖かい眼差しで「施し」を与えること。
「施し」とは自分を犠牲にして人のためにやることではない。
まずは自分のためであり、結果的に人のためとなる。

優しい眼差しをするとは、
見た目が優しい眼、いうことではなく、慈愛の心で見るということ。

優しい眼で見ること=相手が安心できる、明るい雰囲気をつくること。
それは、巡り巡って自分の幸せになる。


先日、詐欺事件で苦しみの渦中にいる時、
母から電話がかかってきて、母の中学時代の話を聞いていた。
部活動のほのぼのとした話を丁寧に聞いていると、自分の苦しみが優しさで癒やされていくのを感じた。

「私が話を聞いてもらったわけじゃないのに、なぜ癒されるんだろう。」


一人暮らしの母にとって私との電話は楽しみのよう。これは私が母に「施し」をしていたとも言える。
相手を大切に思う心、慈愛の心で見ることは、
自分が今を満足に生きるために、
後悔を残さないために、
なんて自分はダメなやつなんだという罪悪感を生まないために、
自分のためである。
自分のために、慈悲心のある優しい眼を心がけるのだ。


眼施は、自分を含む、自分の周囲が優しくなるとっておきの魔法 💫


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