『テトリス99』を卒業することにしたスピリチュアルな理由
2019年のリリース時からコンスタントにプレイし、2023年8月26日時点で総プレイ時間が500時間に迫るほどになっていたNintendo Switch用オンライン対戦落ちものパズルゲーム『テトリス99』。
このゲームを”卒業”する時がきたということで、「テト1(99人対戦モードで1位)になったら即引退→アンインストール」を前提に、プレイの様子をYoutubeライブで配信しました。以下はそのアーカイブリンクです。
約1時間20分のプレイでようやくテト1をとり、無事アンインストールできたわけですが、使おうと思っていたwebカメラのアプリケーションが起動せず、画面は静止画のみ。マイクにノイズ抑制フィルタを適応していたせいで、Nintendo Switch LITE本体から出ていたゲーム音が、私が喋っている時にしか収録されず、そのせいで話している内容も聞き取りにくい…と、動画としては惨事でした。アーカイブを少しだけ観て
「ここでやめたら俺たち、何だ? ただの馬鹿じゃないか!」
という気持ちになったので(「王立宇宙軍 オネアミスの翼」より)、なぜこんな配信をすることにしたのかの経緯を含めて、動画中で喋っていたことをまとめることにしました。
■『テトリス99』を“卒業”しようと思ったきっかけ
通常対戦モードで、だいたい2日に1回くらいのペースでテト1になる程度の腕前
配信する1週間ほど前から、テト1になった時に「胸がジーンとなる感覚」に気づいた
この正体は「もうこの世界(『テトリス99』のゲームプレイ)には用がないのに居続けている状態へのやるせなさ」ではないかと解釈した
気づいた時点でやめてもよかったが、こういう理由でゲームをやめようと思ったケースは初めてだったので、セレモニーというかイニシエーション仕立てにしてみたくなった
精神的にキツい思いをしている最中「胸がキューッと締めつけられる感じ」を4、5年前から強く自覚するようになりました。おっさんなので全然かわいくないわけですが、どういうシチュエーションでそうなっていたかを思い出してみると、いずれも「もうこの感情には意味がない・報われる筋道がない」と思い知った時でした。大事な部分が脅かされているというよりは、すでに切り離された後の痛みという感じです。
テト1になった瞬間に感じた気持ちが「やったー」ではなく、「ああ、こういう風にして嬉しい気持ちになっていたんだっけな」となぜか過去形だったので、これはつまりそういうことなのかな…と判断したわけです。
■『テトリス99』にたいする率直な思い
いまだに好きなゲーム。嫌いになる理由がない
特別うまいわけでもないけど、自分なりの戦術が確立されていて、それがハマった時はしっかり気持ちがいい
テト1になると毎回記念にスクリーンショットを保存する程度には嬉しい
再戦エントリーの操作(決定ボタン長押し) が直感的すぎて、気がつくとずっとプレイしている
『テトリス』自体への愛着は30数年来。『テトリス99』に限っても、操作性・バトルロイヤルルールの絶妙さを気に入っています。やめ時が見つからないのが難点といえば難点ですが、そういうゲームを作るのが開発者・メーカーの理想であり、そういうゲームに出会うことがゲーマーにとっての幸せでもあるので、今回の決断は、理論的には破綻しています。
■ゲームの「終わり」について
かつて(80〜90年代)は「このゲームはここでおしまいです」とはっきり示すゲームが多かった。それでもなお(スコアアタック、コレクション要素コンプリートなどの目的で)続けようとするのは、個人の判断に委ねられていた
昨今のゲームは「他ユーザーとの永続的な競いあい」「天井やルールが随時更新されていく」といった要素によって、終わりが見えない・実感できない作りになっているものが多い
上記のような作りのゲームは、ゲーム側から「続ける理由」を積極的に提示される。サービス終了などの決定的な外部要因でもない限り、気に入って習慣化したゲームをやめるのが難しくなっている。「遊んでいるゲームをやめる選択がプレイヤーの意志に完全に委ねられた」といっていい
昨今のゲームはむしろ、「ひとつの世界とのかかわりを自分の意志の力で終わらせる機会」を与えてくれている?
以前のゲームは、「終わり」をゲーム世界側で盛大に祝ってもらえました。
そうやってゲーム側から追い出してくれることで、強制的にけじめがついていた面があります。配信では当初「そっちの方がよかったな」みたいに話していたのですが、今回の配信の経緯を含めてよくよく考えると、このスタイルが廃れていった理由が納得できました。
■実のところ何を”卒業”したのか?
これ以上得られるものがない状況
しっくりこない状態を強いられる世界
ただでさえテト1をとれない時は全然とれないのに、配信中は飲酒しながらのプレイ(”独りごとを言い続ける自分自身”というプレッシャーに負けました)。一時は「配信中にとれませんでした!」という結末もよぎりましたが、ゲームメディアのライターとして20年近く背負ってきた”呪い”と、それを払拭するための同人活動という話をはじめた時のプレイでテト1をとれたのは、出来すぎでした。99人バトルロイヤルという限定的な状況からの脱出、そんなルールに身を投じ続けるループからの脱出に、そんなことを企てているプレイヤー(私)自身の人生の脱出エピソードが、見事に重なったのですから。
『テトリス99』の卒業は、今年の春先から徐々に進行している、自身の内面の大きな変化の一環との自覚があります。それをわざわざGoogleのサーバーに残る形でやろうと思ったのは、さらなる変化、より先の段階に気持ちを進める決意を、この世界に遺したかったからでしょう(動画としては1.5倍速で視聴しても相当キツい大失敗作ですが)。
テレビゲーム世界の事象は、現実世界の体験と思わぬ形…言うなれば”スピリチュアル”に、結構結びつきます。しかしながら、そういうことについての記述は、商業メディアだけでなく、いわゆるゲーム系同人界隈でも需要がありません。
だからやってやろうじゃないか。スピリチュアル側ではなく、ゲーム側の視点から…ってことを、従来路線の同人活動とともに今後やっていきます。
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