生き写しと言われたあの娘(エッセイ#6)
外見ではなく、中身についての話だ。
その前に、一見関係なさそうな事前情報をご提供。
我が家では、藤子不二雄が神である。子供の時、マンガやアニメを両親から制限されていた。しかし、藤子不二雄作品だけは治外法権の取扱いで、かなりの冊数が小豆沢家文庫にあった。理由はつまびらかにされてはいない(大人になった今なら心で理解できます)。
閑話休題。
私は両親や兄から「お前は本当にエリちゃんそっくりだ」としょっちゅう言われてきて育った。
エリちゃん。みなさんご存じだろうか?
「チンプイ」の主人公で、成績は振るわず、おっちょこちょいでお転婆で、やたらと気の短い女の子だ。わかりやすく表現すると、のび太をハイにして性転換させたような娘なのだ。
もちろん、私は不満であった。しずかちゃんとか、エスパー魔美じゃダメなのか? 人間ではないがこの際ドラミでもいい。性別を超えて出木杉と言ってくれれば最高だ。
「エリちゃんは嫌だ」と言っても「それは同族嫌悪というものだ。いいじゃないか。マール星のお姫様になれるのだから」と現実と漫画をごっちゃにしたトンデモ回答でかわされていた。
不幸中の幸い。世代的に同級生は藤子不二雄作品といっても「ドラえもん」ぐらいしか知らないから、「Qちゃんはエリちゃんに似てる」とは言われなかった。
そのため、エリちゃんに対しての気持ちは、私の内心でほかほかと揺籃期を過ごし、順調に傷つけられることなく温められてきた。
しかし、小学校を卒業したあたりから、日々の生活に忙しくなり、漫画からも遠ざかり、私の生き写しであるエリちゃんは遠くの親戚のように、ふとしたときに思い出す存在になっていった。
最近、チンプイを読んだ。
よく言われることではあるが、藤子不二雄作品は子供のときに読むのと、大人になってから読むのでは受け止め方が変わる。
子供は、のび太のことをただのどんくさいやつぐらいにしか思っていない。大人は彼の別の一面にも気づいてあげられる。
エリちゃんも同じだった。
子供のころには気づかなかった彼女のステキな面が見えてきたのだ。小金にがめつい割には、人助けのためならぽーんと太っ腹になったり、とにかく明るい性格で周りを勇気づけたり。
もしかすると、父母も兄も、いい意味で私のことをエリちゃんと重ねていたのではないか(私はめまいがするほどボランティアが嫌いだが)。
少し、エリちゃんを好きになった。
そして、自分を好きになった。
良い気持ちで眠れる。そんな夜になりそうだった。
兄からラインがきた。
「(前略)……相変わらずエリちゃんみたくおっちょこちょいやな!」
幸せな気分も眠気も吹き飛び、エリちゃんの名誉のために返信した。
「おっちょこちょいなのは私だけ! エリちゃんをアホにすんな!」
兄から返信がきた。
「……どないした?」
一瞬の激情だったため、あらためて問われると、なぜカワユイ自分を貶め、他人も他人な漫画のキャラを擁護したのか、自分でもわからなくなり、
「わからん。勢い?」
と返した。
「それはもう完全にエリちゃんやな」
結局兄は正しかった。一時の感情に任せてマヌケな行動をとってしまう(私の場合、チンプイがいないので誰もフォローしてくれない)。
どうやら、私は昔も今もエリちゃんなのである。