貴方には大事な人がいるか。貴方にとって大事な人は誰か、なるべく血縁者じゃない人で思い浮かべてみて欲しい。恋人、配偶者、恩師、誰だろうか。それともひとりもいないのか。 ここでは「大事」というのは対象の人物の価値を認識して大切に取り扱いたいという気持ちのことを指すと明示しておく。 貴方にとって大事な人がいたとして話を進めると、その大事な人は過去に、或いは現在進行形で貴方に対して非常に価値のあるものをくれたのだろうと推察される。ものと言っているのは物理的でも心理的でも何でもあり
人間は誰も皆どこかで必ず思考停止をする。否、する必要がある。例えば人生観でその思考停止をよく表す決め台詞が沢山ある。「山があれば谷がある」「悪いできごとと良いできごととは半々である」というようなものだ。実は皆これらが正しくないことを知っており、その上でそこで停止せざるを得ないのである。もしこれを読んでいるアナタが先の決め台詞の例を心底正しいと感じているならこの記事は読むに値せぬ駄文なので以降読む必要はない。 まずイヤなことを言ってみよう。仮に悪いことが起こったらそのぶん良い
私自身に自制心が欠如しているんだろう。酒に甘えたり自分の欲望を優先したり、TPOガン無視で人を人とも思わぬ言葉が出てしまったり同じようにすぐ不機嫌な表情になったり衝動買いしたり。そういう勢い任せな面がある。これらは人に迷惑を掛けるのでとてもよくない。 けど、全く同じように困ってる人が目の前に現れたら自分の予定や時刻などの一切を度外視して助けようとしてしまう。若い人が車パンクさせて困ってるのをテンパーに交換(FFでフロントがパンクしてたから後輪を前に持ってきてリヤにテンパーを
ホラー映画を好んでよく観る。特に最近気づくのは奇習チリツモ系(そんな言葉ある?)が結局1番怖い感じがすることだ。何度も繰り返された実際の過去が現在の現象の原因であるという設定。 そもそも非現実的であるということ自体はありとあらゆる物語に共通している。そもそも架空であるし、仮にノンフィクションだったとしてもプロダクトにすれば事実ではなく物語になる。物語ならば不思議さや不気味さを放っておいていまっては、作品として結末を迎えられ難いであろう。 ときに、よく耳にする ”Truth
もう何もできない、限界だ、そんなときでも作れる最高にずぼらでおいしいレシピです。春夏秋冬朝昼晩いつでもいけます。 用意するもの タッパー 豆腐(150グラムとかの小さい絹ごしがオススメ) めんつゆ とりあえずある薬味 手順 タッパーに豆腐とめんつゆを入れ蓋をする めんつゆなんかは後から足せばいいので希釈も量も適当でOK! 電子レンジで1~2分チン! 熱々で水が抜けるくらい温めるといい感じ 蓋を開けて好きな薬味を好きなだけ突っ込む スプーンなどでガサツに食う
私は虫が嫌いだ。今もそしてあのときも。蚊も蛾もイモムシもカマキリもカブトムシもきらいだ。気持ち悪いし。でも子供だったそのとき、祖父母の家に泊まったときに私がその旨を祖母に伝えてみたことがある。すると祖母は「あんたは居るだろ?同じように虫も居るのさ」と言った。何度も思い出すし、もしかしたらこれこそが私の哲学的思想の根っこかもしれない。 「ああ、ばあちゃんが居るように、私が居るように、同じように存在しているだけなのだ。」と幼心ながら理解した。深いことを言っているように感じるかも
今までの人生で何も成し遂げられなかった、と感じる。学校は卒業したし、進学して国家資格も取ったけれど、今こうして俯いている。だが今解った。愛情への飢えは他者の施しの受け取りかたを知らずにいるだけ。その返しかたを知らずにいるだけ。とはいえ無知は自我に恐怖をいとも容易く招き入れる。知恵を絞ることと学び取ることは同じではない。私は、私のこの飢えは、悲しみは、借りに借りを重ね他者の温情を一身に受けながらにして都合の良い未来を望む、余りにも愚かなないものねだりそのものだったのだ。成し遂げ
結果はご覧の通り、Radiohead の Hail to the Thief 。これが最初ではなかろうか。何せ私が中学生、つまり20年近く前の話だ。正確に覚えているわけがない。もしかしたら POLYSICS の National P だったかも知れないが、そんなことを考えていても何も書けないのでもう Radiohead だということにする。 まず Radiohead をご存知であろう鋭い皆様は既に解っておられるとは思われるが、ただでさえ Radiohead だというのに、あ
珍しく、過去を振り返ってみようと思う。2020年を。やってたことは大きく分けて3つ。ダイエットと勉強、そして整理整頓。 先ずはダイエット。結論から言うと1年で20kg前後落とした。元が元なのでまだまだ太っているし満足もしてない。ただ、昨年の3月から始めて夏が終わる頃には今の体重になっていたので、分布としては最後の1/3程は何もしておらず、体重も変わっていない。あと20kg落としてもまだ常人なので、今年こそだ。 次は勉強。プログラムでなんか作ってみたりした。大して成果は上が
敢えて哲学のハッシュタグをつける。 私は3という数字が好きだ。2と4に挟まれた3という数字。当然、理由はある。幾つもある。その3の魅力について少し書いてみたいと思う。 例えば我々が暮らすこの空間は、一応3次元だ。一応と言っているのは余剰次元(4以上の次元)の存在を余り疑っていないから。でもそれはそれで長くなるので今回は割愛。今のところ3次元というのは一般的だと言える。我々はどう動こうとも3つの方向にしか移動できないから。 ひとつずついこう。 先ず1次元は数直線を想像す
我々は常に戦いに晒されている。弱くとも、脆くとも、儚くとも、次々に死線が訪れる。それらをくぐり抜けて漸く生を得る。生死を論点に持ってくれば、この世は残酷極まりなく、誰もがランダムな死や幸福の存在を認めざるを得ない筈だ。無論正義の執行で守られる命もある。だがまさにそれを狙っていた悪に、もしも信念が無いとしたらそれは恐るるに足る存在だと言えるのか。信念なき悪に正義をゆるがせにすることができるのか。私はそれが不可能に思える。死線を潜り抜ければ再び死線。死ぬまでそれが続くのがこの世界
私は怠け者だ。でも私にだって人並みの欲望くらいある、彼氏だって欲しい。でもそんな時間もお金もないし、願いなんて一つも叶わない。何処にでもあるような下らないアルバイトをして帰って眠る。休みの日にはもっと眠る。髪はボサボサで、美容院に最後に行ったのはいつだったかも忘れてしまった。そういう、下らない人生を送るだけの怠け者だ。 ある日、バイト先に後輩として若い男の子が入ってきた。彼はとても優秀で、どんな仕事もそつなくこなして、笑顔は絶やさない。苦学生なのだと他の店員が言っていた。「