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西川火尖→現代詩 網野杏子 詩集「あたしと一緒の墓に入ろう」について

こんばんは。他詩形の気になる作品について語るということですが、Qaiを結成してから気になる作品は、短歌、現代詩、川柳とたくさんあって全然追いつきません。しかし今回はそんな最近の話ではなくて、俳句を始めたころに出会った詩集について話したいと思います。

俳句を始めてしばらくたったころ、詩の会に紛れ込んで作品評をする機会がありました。私は「へその緒や岸に赤潮来てゐたり」の他数句を持参して臨んだのですが、そこで出会った詩人に「これ、すごく面白いから」と渡されたのが、網野杏子の詩集「あたしと一緒の墓に入ろう」でした。これが私が初めて手に入れた詩集だったように思います。

父を自殺で亡くしました
今はもう
武器にも、なんにも使わなくなったその言葉に
その人はするりと言った
自殺者は珍しくない時代だから
そうゆう人はたくさんいるよ
今度あったらこう言おう
父は公園で焼身自殺して、姉はラブホテルの一室で首を吊りました
焼身自殺をすると体は縮むし、首を吊ると遺体の顔もしばらくは真紫になるの
私の武器は、二つに増えました 
『献花』抜粋

当時二十歳そこそこの私は、自分の人生や生活を俳句に反映させないように、できるだけ切り離して考えるように気を張っていました。何ら劇的ではない人生が俳句に表れても「足手まとい」になるだけだと思っていましたし、当時のブログに書いた「正直俳句で何かを表現する必要はない。俳句自体が目的」は多少痛々しいですが本音です。「私」に属する何かが俳句にそのまま現れること、「私」を伝えることに意義を見出せなかったのです。
「あたしと一緒の墓に入ろう」には彼女の境遇、経験が色濃く出た詩が続きます。悲劇的な経験がなければ書けないようなこの詩集を初めて読んだときの感想は、戸惑い、もっと言えば「不公平感」に近いものがありました。「不公平感」、つまり私がこれまで避けてきたことをすべてやって、そのうえで面白く「読みやすかった」のです。
私がこれまで見た「思い」の強く出た俳句は、もっと、読み進めること自体ができなかったのに、この詩集は読みやすかったのです。

岡山へ、ついてきて
初めての懇願
生まれてから、一度もしたことがないほど
あたしは泣いていた
父の死が知らされた日だった
歴然とした死を前に
連れあいの前で劇的に嗚咽ししなだれかかる姉達
倒れかかる胸もなく立っていた
後から来ると小声で言った『 』は来ない
義父が、お前は関係ない と言ったから
ははを おやまに すてましょう
もっと、遠くへ。
『姥拾い』抜粋

突き放して俯瞰するのではなく、内に捕らわれたままなすすべもなく見続けるしかないような客観性。「連れあいの前で劇的に嗚咽ししなだれかかる姉達」の直後「倒れかかる胸もなく立っていた」の主語は切り詰められて省かれており、それがもたらす深い対比。抽象的な言い方になってしまいますが、語り口調の「音響」が自然になるように絶妙に調整されているなど、仔細に見ていくと随所にそういった技量の裏打ちがあります。
巻末の金時鐘の解説では、網野杏子が吐き出した家族のあらましがまとめられているので少し引用しましょう。

父は高校生のころ公園で焼身自殺した。母は男と逃げて、舞い戻っても酒びたりで失禁しても気づかない。姉は姉で七回も自殺未遂を繰り返したあげく、ラブホテルの一室で首を吊る。引越しにつぐ引越しは十九回にも及び、戸籍上だけでも実に五回も杏子の苗字は変わっている。これほどまでもすさまじい家族の破綻をさらけだしながら、網野杏子の詩は露ほども恨みがましい嘆きを見せない。それどころか通奏低音のような彼女の笑いが、カラカラと全篇をとおして耳底にひびいてさえくるのだ。

これら壮絶な経験をほとんど手放しに見えるように書きながら、誰も傷つけず、ただただそこに詩としてあるような在り方。

物書きって、その魂で生きてるんですよね
その生きざまが投影して
どんな形でせよ、作品に現れるんですよね
あたしはいつかそういう物書きになりたいから
誰かや何かがしあわせにしてくれるって思うのはよそう
『しあわせ自家発電機の主張』抜粋

「私」に属する何かが作品にそのまま現れること、「私」を伝えること自体が、作品を伝達のための手段に限定してしまう行為だと思って、強く避けていましたが、そんなに割り切れるものではないのではないかという迷いの最中にいるのが今の私です。

不幸とも悲劇とも無縁の実家を鞄ひとつで出奔したとき(残りは着払いの宅配でお願いしました。原付バイクがめちゃくちゃ高かった)、一緒に来てほしいと思ったのは、最低限の歳時記、飯島晴子読本、そしてこの詩集でした。

彼女達を乗せたバスはどこまでいくのだろう。
あの駐車場を超えたら、あたしは黒いコートを脱いで蝶ネクタイとストライプのベストに着替えるのだ。
四十歳までに足の裏の堅い女になるために。
連続10日出勤はまだ3日目。カバンの底の詩集の重さと、手の中で小さくなってゆく回数券の軽さをまた明日確かめよう。
ヘロヘロになりかけた前ふとももに力をいれて
すこしずつすこしずつ
てっぺんが近づいてくる。
『マダHPハノコッテル』抜粋

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