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創作とこども|強姦のような青空だった|亜久津歩

こんばんは、亜久津歩です。 #Qai#note 、2月の共通テーマは「創作と #こども 」。作品もよし散文もよし、各自思うままに綴ります。

わが家の兄弟のほんわか育児エピソードを書こうかとも考えたものの、ここを避けて通ることはどうしてもできないという出来事があり、向き合ってみることにしました。十年以上を経た後日談とは言え気が重く、公開ボタンを押す直前まで開いたり閉じたりしています。自分語りになりますし暗い話なので、ご無理なく、読むのをやめてくださいね。( #性被害 の話題があります)

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子について語ろうとするといつも、子のいない方の自分と目が合う。親になんかなれないよと言いながら、憧れ続けたままのわたしだ。端的に言えば始点は父の呪縛である。言葉と暴力による支配と憎み続けて同化してしまったような感触と「虐待は連鎖する」という常套句が、〝与えられなかった『あたたかい家庭』を自分で築いてみたい〟という夢を自覚もできないほど埋めていた。

アイデンティティを確立できず肯定感も皆無で、他者と安堵感のある安定した関係性を築くことが難しかったため、十代から恋愛も下手だった。外面だけは良いくせにさびしくて真っ暗で数ばかりこなしてぼろ雑巾のような二十代半ば頃、手を差し伸べてくれた人がいた。同性だった。初めての〝彼女〟が守ってくれた時間は、人生のなかでもっともやわらかなものだ。

ここがわたしの帰る場所なのかもしれない。少しずつ少しずつそう感じられるようになると、欲が出てきた。彼女を生涯のパートナーとして、何らかの方法で子を持ち、家庭を築きたい。そんなふうに考える自分に驚きつつ、彼女も同意してくれるだろうと根拠もなく思った。けれど彼女は〝結婚〟も子も望まなかった。

子がなく二人きりでも、契約を結ばなくても家庭だ。いま一緒にいられたらいい、しあわせに決まった形はない。そう思おうとした。思おうとすればするほど、「決まった形」にとらわれているのではなく、わたしが、わたし自身が「親子」にこそ憧れ、飢えているのだと気づかされた。子を産んで親になって、笑い合って許し合って「ただいま」や「おかえり」を交わしたい。いま大切な人を傷つけても。

けれど彼女と別れてからのわたしは酷いものだった。仕事にも人間関係にも擦り切れてこころも体もだめになり、産業医の紹介で心療内科に辿り着く頃にはすべてがずたずただった。ずたずたで、とても立っていられなくてまた、手のとどいた男に縋りついてしまった。

当時、希死念慮の強かったわたしは妊娠には禁忌の薬を服用していた。がりがりに痩せて生理がなかった。どちらも話したことはなかった。ある夜その男は、一度着けた避妊具を行為中に黙って外した。

事態に気づいたときには手遅れだった。脚の間が汚れていて、半狂乱で洗って、男を責めて自分を責めて、ラブホテルの浴室で、まただ、ひとりで、わたしがこんな人間だからこんなことになる、惨めで、いくらがんばっても愛されない、しあわせになりたかった、なんで、もう殺してくれよ、どうでもいいや、

あのとき、なんとか気を確かに持ってアフターピルをもらいに行けばよかった。これだけが、恥と失敗まみれの人生のうち「戻れるならやり直す」と言える、ただ一つの後悔だ。

自暴自棄で、認めたくない気持ちも働いて。わたしはこの後ずいぶん経ってしまってから、堕胎した。死ぬことも産むことも考えた。男はいなくなった。

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 強姦のような青空だった

第三回詩歌トライアスロン受賞作「雪解」にあるこの一行を、審査員の野村喜和夫さんが認めてくれた。「出産の後の空を、こんな風に言う表現はなかったと思う」。

「雪解」冒頭はお産の景色なのでそう読まれるのが自然だ。そして作品は自由に読まれるべきで作者として解説することは控えたいというスタンスだけれど、今日は少し話させてほしい。

二文字分下がっている部分は回想である。強姦のように一方的な青空は、堕胎した帰りに仰いだ快晴のことだ。何にもなかったように長閑な、初夏の。会計待ちのロビーや駐車場や明るい町には、笑顔の夫婦や赤ちゃんがいた。

こどもがほしくて、大切にしてくれた人と別れた。

こどもをころした。

それでも死ねなくて。わたしはひとりで、晴れ上がった平和な坂道を前に立っていて。そこで初めて、世界がまっすぐに見えた。暗闇から死へ掻き出された子に比べたら、抱えてきたさびしさも憎しみもひどく些末なものに思えた。ここが底、二度とふらふらせずに、自分の足で、ちゃんと生きるよ。

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そこから「雪解」に至るまでにも、さまざまなことがあった。いま八歳の息子を妊娠している間、日に日に大きくなるお腹を撫でながら堕ろした子と重ねていた。重ねないように必死でもあった。エコー写真を見たり胎動を感じたりする度に、こんなにかわいい存在からいのちを奪ったのだと、食い縛らずにはいられなかった。

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創作と、こども。こどもを描く作品には甘さが出るだろうか、ありふれてつまらないだろうか。わたしにとって、叶えるまでにこれほどに痛みを伴い、遠回りをした奇跡のような夢は、他にないのだけれど。

息子を便宜上「第一子」と呼ぶことはあるが、わたしの第一子はあの子だ。あの子がいなければ今の自分はないし「今の」どころか――とも思う。「雪解」のように詩の言葉として現れることは多くはないが、わたしの隣や内なる部屋には今も、これからも、こどもたちがいる。ずっと。

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※亜久津歩第一詩集『世界が君に死を赦すから』・第二詩集『いのちづな』(第一回萩原朔太郎記念とをるもう賞受賞)。リンク先にてご購入いただけます。
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#詩 #短歌 #俳句 #エッセイ


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