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退院後のこと

【退院してから】

2024.4.17 退院日。

皮膚腫瘍科の先生方は入院期間中、毎朝様子を見にベッドまできてくれていた。

主治医と他4名の医師が毎回来てくれ、説明だったり質問への回答だったり、患部の術後の状態確認をしてくれていた。

ちなみにセンチネルリンパ節生検はどうだったか聞いたところ、「主治医とサブの執刀医ふたりがかりでリンパ転移をさがした」「通常転移があれば機械音でピーピーと反応が出るがどんなに探してもそれがなかった」「確定的なことは病理の結果待ちではあるが、転移なしではと読んでいる」とサブの執刀医の方にご意見いただいた。

まだ糠喜びをして傷つくことがないように気にしないように意識しているが、内心安堵した自分もいた。


退院日は朝10時に病室をでた。

体力低下が著しいため、退院してからやっていけるかの不安が強く退院日を全力で喜べはしなかった。帰宅時は母が迎えに来てくれ、途中まで電車、途中からタクシーで一人暮らしの私の家へ送迎してもらった。

電車移動中、座ってないと疲れてよろけたり危険となることや、人混みが疲れること、人にぶつかられでもしたらたおれかねないような弱々しくなってる自分に気づく。

親や友達に、「ヘルプマークもらってみようかな?」と相談をしたら大賛成されたので、体力回復するまでは使おう!と决意。


退院して自宅について、テイクアウトでお昼を母とたべる。病院食に慣れたせいか一般的なごはんの香りと味の深さ濃さが敏感に感じ取れて美味しいなあと思う。

気持ちが満たされるせいなのか妙に食が細くなりすぐ満腹になるように変わった。

その後、住んでいる街のコミュニティカフェへ。

退院のご挨拶を顔なじみの皆さんにしてみたところみんな本当に安堵した表情で喜んでくれた。

あったかい紅茶をオーダーしたらテイクアウトのカップにメッセージを書いて渡してくれて本当に嬉しかった。カップは洗って部屋に飾ってある。大事な宝物になった。


2024.4.18

ヘルプマークをもらいに区役所にいった。

大変あっさりもらえてびっくり。

また、体力低下により、家事などの支援はないか区役所に相談すると社会福祉協議会のサービスで、家事支援があることを教わる。母親は頻繁に我が家に来て生活フォローをする気マンマンなのだが、わたしのこの状態はおそらく長期になることが見込まれる。脇の下の患部に肉や皮膚がついてくるまで半年、一年はかかり、そうしてできた皮膚も最初は色素沈着してすごい色ではあるらしく、経年変化を待つしかないときいている。

さらにわたしには3月時点で16センチ大の子宮筋腫がみつかっており、がんが落ち着く頃にそちらも治療となる。おそらく全身麻酔で腹腔鏡手術か開腹で対応されるがそこでもまた体力を奪われる想定ができる。

長期で弱弱な状態が続くとなると、母と共倒れるわけにはいかず、外部サービスをさがしたのだった。

家事支援サービスは少し費用はかかる(1時間1000円)のだが家事代行を頼める金銭的余裕も少ない中、ボランティアの方に家事支援を頼めるそうで、依頼をした翌日19日の午前に初回の社会福祉協議会職員の居宅訪問ヒアリングが行われ、すごいスピードで手配しようとしてくれていることを感じありがたいとしか思えない展開となった。


2024.4.19

午前に社会福祉協議会の職員さんの居宅訪問ヒアリングがあった。座って1時間以上説明をきく、ということがつかれてすごくしんどく、水分補給などはさせてもらったが体力ないなと感じた。ただ、説明等は十分理解でき、来週以後にこちらの希望する曜日にきてもらえそうなボランティアさんをみつけ、マッチングの顔合わせやサービス開始となるらしい。

掃除洗濯系のボランティアさんはすぐ見つかりそうだがお食事をつくる系のボランティアさんはいまなかなか見つからなさそうと社会福祉協議会職員にきき、母に食事のサポート(おかずをタッパー詰めしてもらいとどけてもらうなど)はお願いしたいです、と頼むとある種頼られてうれしそうであーよかったと思った。


この日は友達に退院祝いにお花をプレゼントしてもらった。ミニブーケでかわいいピンクのバラに白いお花とグリーン。シンプルだが清潔で可愛い。すごく嬉しかった。

友達にもお祝いごとがあったのでケーキ屋さんでケーキを買ってわたしからもお祝いだよとプレゼントをしあいっこしてあたたかな時間を過ごした。


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#退院祝い


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