教室の苦手な条件(SAD文脈)

バイト初日が終わった後考えていた
「もしかしたら自分は教室(特に中等教育)という場所のさまざまな条件がピンポイントで苦手なのかもしれない、
バイト先はまた色々と条件が違うから意外と大丈夫なのかも」の回
(最初の投稿から文を引っ張った)

発症時期が中学生の半ばだったため、社会不安障害のことを考えるとき何事も「教室」という場に準拠して始めがちだったけれど
そもそも教室が若干特殊で、後の生活ではこの条件に案外そこまで遭遇しないものなのかもしれないとか、教室の何がという体験のことを再認識するのは良いんじゃないかとか思った


学校、教室の苦手なさまざまな条件

・開いていない窓
胸が苦しくなって呼吸が乱れているとき、外の風があるとこれが落ち着くことが多い

・基本的に物音がない
自分以外の人が空間内にいる、物音や話し声のない場所にいると
鼻、口の呼吸がなぜかうまくいかなくなるため
上の胸が苦しくなるのと内容が重複する
外で草刈りや工事が行われている授業や、座学回以外の体育と美術の授業は大丈夫だった(教室の内外がざわざわしていたり、自由に動き回れるとうまくいかなくなることはなかった)

・教室全体に物理的なゆとりが少ない
椅子と机と人で空間が埋まっている構成

・年齢の近い人が多いこと
自分と同質の要素があるとされている人が大量にいる場所がなぜか苦手

・指定の白いワイシャツと黒い上着
ここはアトピーによるものが強い
白いシャツ(の肌に触れる部分)に血が付着するのと
黒い上着に(特に頭や首の)落屑が残るのが、頭の中で気になる

上着についたものを手で払うとき音が出る、生地の繊維のようなものに引っかかって落ちづらい、洗濯してもあまり血の染みが取れない
などの制服を構成する要素が苦手だった
ジャージ登校になってからは比較的気にならなくなった
(不登校はジャージでもいいというローカルルールがあった)

・席と席が近い
自分と物の距離がよくわからないという自覚が当時からあった
SAD文脈だと隣の人との距離も前の人との距離もよく分からず頭が混乱していたのが症状の部分に重なっていたのではと思う

物との距離でいうと
移動時間中手に下げた鍵盤ハーモニカを渡り廊下の壁や教室のドアにぶつけたり、手に持った椅子の大きさや、体と椅子を含めた全体の構造があまり頭で理解できていないため体ごと壁と衝突するなどしていた
学校に限らず1週間のバイト中に、同じ人に3、4回ぶつかったのを思い出しては申し訳なくなる


以下は細切れの文章

・「窓がない、蛍光灯の光、部屋全体がかなり狭い、人と人の距離が近い席の配置、入口から遠い(自分の)席、声以外の物音がない静けさ」
とバイト中、シール貼り作業に対して苦手に感じた部分も、概ね今書いた教室の条件と似通っていたんだなと思った(鉤括弧内はバイト中に書いた記事から引っ張った)

・苦手という認識がないときは、頭の混乱と共に身体的な症状が出やすい気がするのを再認識した
・教室を構成する「条件」のどれが苦手だった、というのを考えたことで条件への回避や対処ができそうかもしれないと思う
・椅子と机のように、物と物に高低差があるひとまとまりの設置物というのが目から見たとき距離感が掴めなくて苦手なのかもしれないと思った
・本筋ではないけど社交不安障害と社会不安障害の表記揺れ?をどうしよう

7月10日追記
小中高と通う中で、学校の集団生活というものが須くクラス制だと思っていたが、授業が選択式の通信制高校はもしかしたらそこまで苦でない可能性があったのかもしれないと最近思った
クラス制の同質性と固定性が自分の学校に対する苦手意識の本質だったのか?ということを考えた

おわり


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