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不思議な世界の入口
なんとなく足を踏み入れた本屋で
その日、僕は特に目的もなく、ただ時間を持て余してデパートを歩いていた。
ウィンドウショッピングをするでもなく、カフェで一息つくでもなく、ただ人混みの中をさまようように歩く。
ふと視線の先に本屋があった。
久しぶりに、本でも読んでみるか。
そんな気まぐれで足を踏み入れた。
正直なところ、僕は本を読む習慣があまりない。
医学部時代は分厚い教科書を開くこともあったけれど、医者になってからはもっぱらネットで論文を検索するくらい。
紙の本をじっくり読んだのは、もうずいぶん昔のことだった。
それでも、本屋に入ったからには何か面白そうなものを探そうと店内を歩く。
ビジネス書や小説のコーナーを流し見しているうちに、気づけば医学書の棚の前に立っていた。
久しく医学書も読んでいなかったな……
そう思いながら背表紙を眺めていると、ふと「漢方」という文字が目に留まった。
漢方か……
指先で背表紙をなぞりながら、心の中でつぶやく。
興味がなかったわけではない。
むしろ、どこかでずっと気になっていたのかもしれない。
大学で医学を学んでいた頃、授業で漢方を扱うことはほぼなかった。
「科学的な根拠がはっきりしない」
「経験則に頼った古い医療」
僕自身、「そういうものなんだろう」と疑問すら抱かずにいた。
けれど、実際に医者として患者を診る中で、なかなか治りづらい症状に対して漢方を処方し、思いがけず効果があったことが何度かあった。
なぜだろう?
それを深く掘り下げることなく、忙しさにかまけて流していた。
でも今、目の前にある一冊の本が、その記憶を引っ張り出してくる。
……ちょっと、読んでみるか。
手に取った表紙のざらりとした手触りが指先に伝わった。
未知なる世界への扉
ページをめくると、そこには僕がこれまで学んできた医学とは異なる世界が広がっていた。
西洋医学は「原因をできる限り特定し、それを取り除く」ことを目的とする。
たとえば、高血圧なら血圧を下げる。痛風なら尿酸値を下げる。
論理的で、明確で、的確である。
一方、漢方は「身体のバランスを整える」ことを重視する。
ただ症状を抑えるというよりも、身体の状態を整えることで回復を促すという発想だ。
西洋薬が「狙い撃ち」だとすれば、漢方は「環境を調える」ようなものかもしれない。
さらに面白いのは、その処方の仕組みだった。
漢方薬は、「生薬」と呼ばれる自然由来の成分の組み合わせで成り立っている。
中には、植物の根や葉だけでなく、蝉の抜け殻や動物の骨、牡蠣の殻といったものまで含まれているらしい。
一つの成分で効果を生み出す西洋薬とは、まったく違う発想である。
「まるで魔法使いの薬みたいだな……」
そう思った瞬間、胸の奥がわずかにざわついた。
バランスを読む医療
それから僕は、漢方を深く学ぶことにした。
まずは148種類の漢方薬と、それに含まれる生薬の組み合わせを徹底的に覚えた。
ただ暗記するだけではなく、実際の診療の中で試しながら学んでいく。
すると、生薬の組み合わせによって、どんな病態にどのように作用するのかが、少しずつ見えてくるようになった。
西洋医学の治療は、言うなれば 「壊れた部分をピンポイントで修理する」 もの。
だから、原因が明確であれば非常に効果的だ。
でも、「原因がはっきりしない不調」 や、「複数の要因が絡んでいる症状」 には対応しづらいことがある。
漢方は「身体のバランスを整え、本来持っている回復力を引き出す」ことを目的とする。
即効性がないこともあるが、西洋医学では改善しなかった症状が、だんだんと良くなっていくことがある。
新たな選択肢を求めて
現代医療は、西洋医学が中心だ。
それは間違いなく、科学的で、論理的で、人類にとって最も強力な武器だ。
でも、その枠組みの中で救えない人もいる。
そんな人たちに、新たな選択肢を提示できる医療を目指したい。
西洋医学と漢方、どちらか一方ではなく、それぞれの強みを活かしながら最適な治療を探る。
そのために、僕はこの道を進んでいる。
偶然か、必然か
あの日、なんとなく足を踏み入れた本屋で、なんとなく手に取った一冊の本。
それは、ただの偶然だったのかもしれない。
けれど、今にして思えば、それは僕にとっては必然だったような気がする。
この先、どこまで漢方を追求できるのかは分からない。
でも、少なくとも今は、この道を歩いていこうと思っている。
同じように悩んでいる人がいたら、僕の学びが何かのヒントになれば嬉しいです。