八上比売を嫁にもらう(5)
古事記の中で絶世の美女と呼ばれる八上比売(ヤガミヒメ)。婚約相手に優しくイケメンの大国主命を選びハッピーと想いきや、大国主命は、姫を狙っていた兄さんたち、八十神から激しく恨まれることに。
贈り物
婚約の宴から20日が経ったが、宴の喧騒は続いていた。ヤガミヒメの親類縁者、遠方友好国からの来訪者、祝辞を口実に絶世の美女を一目見ようという縁薄い客人、また祝辞を口実に絶世の美女を射止めた男がどんなモノか見てやろうという野次馬……。来客は引きも切らず、祝いの贈り物を載せた荷車は、館の門前から半里ほども列を成し、最後尾は遥か彼方だった。宝物、着物、鎧兜、調度、馬、馬具等など、何処の誰から何が届けられたか、仔細を記し残すために20人が手分けをし納品を行なっていた。その中に三郎ウサギの姿があった。
「すまないね。贈り物の処理まで手伝ってもらって」
大国主命は三郎ウサギに声をかけた。
「大国主命さま……」
「あ、いや、今まで通り、クニちゃんでいいよ」
「そうはいきませんよ。この地の王になる方なのですから」
「いやぁ、堅苦しいのは苦手なんだが。ではせめてクニさんとか……。頼む!」
「わかりました。ではクニさん」
「ふむ、しっくりくる」
「しかし、見てください、この贈答の品々。長年、戦を避けて友好国を増やしてきたおかげですかね。ヤガミヒメの人徳もあるでしょうが、クニさんへの期待もあるんだと想いますよ」
「はは。期待と言われてもなぁ」
「八十神様もそうですけど、天の神の方々は時折気ままな振る舞いをされる。気まぐれに何日も大雨を降らしてみたり。かと思うと一滴の雨粒も落とさぬ日を続けてみたり。その度に地の民はもがき苦しんでいるのですよ」
「陽の入りや雨雲は神も自在ではないんだよ。八十神達はそれほどの力は持っていないし、まして私は天の理に触れる才覚を一切待ってはいないし」
「存じています。クニさんは天の理ではなく地の理を司る方だと聞いております」
「大仰な。私にできることは豊穣に少しばかり差配を加える程度。それも陽の照りや雨水の多少の方が影響するし、あとは大地を少しばかり震わせる程度。実際は地に生きる民らと大して変わらないんだよ」
「しかし、豊穣を司り、地揺れを起こすなんて、立派な神の資質ですよ」
「いやぁ……、昔、八十神たちに唆されて地面を揺らしたら、稲田に裂け目ができてその地で稲が採れなくなったことがあってね」
「地割れを起こしたってことですか。すごいですね」
「すごいというか……。怖くなって、それ以来、地を震わす業は使っていないし」
「それは賢明です。避けたところに落ちてしまう民もいるかもしれないですからね」
三郎ウサギは一瞬遠くに視線を飛ばした。三郎ウサギの表情の変化に違和感を感じた大国主命は、地揺らしの業が神の傲慢に聞こえたのかとあわてて言葉を付け足した。
「そ、そうだよね。だから、私はできるだけ民と同じでいようと思っているんだよ。天の理、地の理、海の理を愚直に受け入れ、謙虚に従い、時折少しだけ抗って生命の糧をいただくというか……」
「ふむ。よくはわかりませんが、クニさんが他の神様らとは違うことはよくわかりました」
「しかし、ウサギ族のおかげでサメ族も味方についてくれたし、この地も安心だよ」
偶発的な要素はあったものの、大国主命がウサギ族とサメ族を引き連れ、この地に入った格好になっていた。怪しげな術を使うウサギ族と海の覇者サメ族が付いた事実が広く知れ渡れば、強固な抑止力として機能することは間違いなかった。
「これで、南の山の山豚族も大人しくなってさえくれれば……」
大国主命はつぶやいた。
「そうですね。でも、ここのところはあまり騒ぎも起こさず静かに暮らしているらしいですよ」
先祖代々続く交友国との親交を守り続けたヤガミヒメの人徳もあり、戦とは縁遠い地として知られていたが、これまで軍力の不足は大きな不安材料として内包されていた。国間の戦はなかったものの、知行地内の争い事は少なくなかった、特に、蛮行を繰り返してきた南の山の山豚一族に対し、何度か討伐隊が派遣されたが、全滅させられたりと成果は上がらず、蛮行を許す結果となっていた。
「そろそろ戻らないと。二人の人気のおかげで贈答品が永遠に届きそうですからね」
三郎ウサギは笑いながら、持ち場に戻り納品作業に精を出した。大国主命は三郎ウサギが一瞬見せた暗い表情に引っかかりを感じながらも、今後の農業施策に考えを巡らせた。
八十神の会議
「あの野郎、どうやってシメてやろう……」
八十神兄弟の中でも最も粗暴で短気と言われる五男はイラつきを顕にしていた。
「天界に帰ってきてからずっとそれな」
次男が笑いながら続けた。
「一気に大軍で攻めて、皆殺しにしてしまえば良いのでは?」
「相手はウサギ族とサメ族だ、そう簡単ではないだろう」
三男は静かに戒めた。大国主命の兄、八十神達は一堂に介して、ヤガミヒメから受けた屈辱と大国主命の裏切りに対していかに制裁するかを話していた。
「我らが為すべきは……」
黙してた長男が口を開いた。
「あのヤガミヒメを殺めたとなれば、相応の批判と罰を受けるであろう。振られた腹いせに殺めた輩という評判がたてば末代までの屈辱、あってはならぬことだ」
五男が口を挟む。
「だが、許せぬっ!」
「わかっておる。我らが為すべきは、末弟という身分でありながら兄弟を裏切り、誰より先に娶る相手を決めた大国主命に対して、罰を与えることだ」
「罰!? とは?」
「兄弟を裏切るのは良くないのだよと、肉体の痛みをもって教えるのだよ」
「裏切りの矯正という建前だな」。三男が説明を加えた。「裏切りの心が消えなければ、心臓を止めるのもやむなしと」
頷きながら長男は続けた。
「兄として、我々ができることはその程度だ。ヤガミヒメへの手出しは許されぬ。ただ、大国主命が亡骸になれば新たに婚姻の相手を見つけなければならぬだろうなぁ」
五男は嬉々として「裏切り者大国主命を殺して、ヤガミヒメを嫁にもらうって作戦だな」。
「身も蓋もないなぁ」。次男がまた笑いながら「で、どうやって? いつの間にか世紀の美男美女の婚姻、各国からも天界からも大注目の二人になっている。いくら裏切りの矯正という名目を立てても、我々が正面切って大国主命を呼び出すわけにも……」
長男は「計略がある……」
兄弟はグッと身を寄せ、長男は声を殺しながら話を続けた。
「裏切り者は裏切りによって罰せられる」
「……どういうことだ?」
「まぁ待て、いま七男に調べてもらってることがあってな。その連絡があり次第、計略を伝える。五日後に再び集まってくれ」
「しばらく七男を見ないと思ったら、そういうことか……」
「何かわからんが、任せて大丈夫だな。ならば酒を酌み交わそうじゃないか。前祝いだ!」
溜飲が下がり、久しぶりに笑顔を取り戻した五男は大声で酒席を誘った。長男と三男は目配せし手振りで「行ってこい」と人払いをした。二人以外は誘いに乗り、そそくさと席を立った。
「久しぶりに美味い酒が飲めそうだ〜」
五男は兄弟を引き連れ、陽気な足取りで酒席へと向かった。
蕎麦
「この土地、あまり稲作には向かないようだね」
「ええ、稲はこのところ凶作が続いていて……、元よりあまり収穫が芳しくないのです」
「そうか……」
「ただ海の産物が豊富にありますので、それで十分に賄えている次第で」
ヤガミヒメと大国主命は、側近達と食事を摂りながら話してた。
「サメ族が味方してくれることになったので、海の産物については心配入りませんものね」
ヤガミヒメはベンウサギを見て微笑んだ。
「ベンのおかげ。本当に助かるよ。もちろんサブさんにも感謝してるよ」
大国主命もベンウサギを讃え、ベンウサギの隣に座っていた三郎ウサギにも労いをかけた。三郎ウサギは笑顔を返しつつ、ひとつ心配があると話し出した。
「クニさん、海を司ってるのってスサノオ様でしょ? 万が一、機嫌を損ねたりしたら、海産どころか大地を飲み込む大波を起こすとか……」
「まぁ、ないとは言えないなぁ」
「そうなると、自給の食材が不足する可能性が……」
「稲がうまくいかないと、ちょっと心配です。蓄えはもちろんありますが、海のものは塩漬けにしても長い時間の保存は難しいので、波荒れがあまりに続くと……」
ヤガミヒメも不安げな表情を見せた。その不安を払拭するように大国主命は口を開いた。
「蕎麦の栽培を始めよう」
「蕎麦、ですか?」
「ええ、粉砕した実を練ってさまざまにして食すのです。天候の変化に強い植物ですし、保存も効く。ちょうど南の山の麓、あの辺りの寒暖の割合が蕎麦に向くはず。そう、あそこで広く栽培すればいい」
「蕎麦……いいかも。ですが、南の山の麓となると、山豚族の襲来が心配……」
ヤガミヒメが不安げな表情を浮かべるとベンウサギが答えた。
「我々がなんとかしましょう。もとより成敗の隊を派遣するつもりでした。それを少し早めるということで」
「山豚族はかなりの手練れの群れと聞くが、勝算は?」
ベンウサギに代わって三郎ウサギが答えた。
「もちろん緻密な計略は必要ですが、サメ族の協力が得られば、まず心配ないでしょう。来年には蕎麦の収穫で大忙しになることでしょう」
「それは頼もしいことです」
ヤガミヒメが頭を垂れた。大国主命も続いた。
「何から何まで手間をかける。申し訳ない」
「クニさん、私は、海岸で助けられた恩義は一生ものだと思っているのですよ。神の遠縁とはいえ、今では術式も法力も錆びれ、せいぜい変化の術程度しか使えなくなった我らウサギ族、既に神への尊敬も一族の誇りも尊厳も失い、島で静かに滅んでいく一族だと思っておりました。八十神から受けたような扱いが当たり前だとすら……」
三郎ウサギも頷きながら下を向きこぶしを握っていた。
「ヤガミヒメの護衛の役目も、なんなら八十神との相討ちを命じられたのかと思っていたくらいです」
「しかし、クニさんと出会い、まだ、我らのことを案じてくれる神がいること、我らが活躍する場所があること、誇りと尊厳を思い出させてくれた、まさに千載一遇、この出会いに感謝せずにいられないのです」
ベンウサギはさらに「一族の長として、ウサギ族はクニさんとヤガミヒメを守り抜く所存ですよ」と言い、三郎ウサギと頷き合った。
「いやぁ心強い!」
他の側近達も大きく頷いた。
「では、山豚一族はウサギ様にお任せするとして、蕎麦畑の造営を進めてまいりましょう」
大国主命が付け加えた。
「北方に蕎麦の栽培に長けた国があると聞いたことがあります。そこから栽培に詳しい者を招聘しましょう。そして土地の整備、人員の確保を進めましょう。皆さん協力お願いします」
ヤガミヒメも側近達に笑顔を向けた。
「お願いしますね」
全員に生気がみなぎった。意図してか無意識か、効果的面の美しい微笑みだった。
(続)