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本の出逢いはリレーだ【pirokichi Books】
本が私を育て支え救ってくれた。
そういって過言ではないと思う。
なので、本や読書について自分自身の思うことを書いてみようと思い立ち、先日は衝動買いについて記事にした。
今回は本と本の相互作用について触れたいと思う。
ある本を読んでいる時、文中に他書が引用されていることがある。
引用から始まる出逢い
読んでいる文脈が気になっている場合、そこで引用されている書籍にも興味が湧く。
出典の書籍の一部の文章が引用されており、その文章に惹かれたり、さらに他の部分も読みたい衝動になる。
そんなわけで引用されていた書籍自体を手に入れる。
そんなことがこれまでも多くあった。
この過程を繰り返すうちに、今まで知らなかった著者の存在を知ることになったり、既に知っていた著者であっても引用されていた書籍自体は新しい出逢いであったりする。
本のつながりは双方向性
引用された書籍を読むことによって、元々の本の理解が深まったり、あらためて読み直す機会にもなる。
よって上流下流という一方通行ではなく、相互作用の効果がある。
引用がきっかけで手にしたその書籍からも、さらに引用されている書籍へと繋がったりするので、世界がどんどんと拡がることになる。
直接引用されていなくても、著書によって知り得た知識・概念をさらに知りたくて類書を探索することもある。
そうやってリンク先が続いていったことにより、私の本棚は満たされ、やがて溢れていった。
床を平積みになって浸食している本は目下断捨離中ではある。
新陳代謝のサイクルを回さないと、自分自身の脳内もアップデートが滞っている気もする。
シーズ本から系統樹が拡がる
他書へリンクする元になる本をシーズ(種)本と位置づけると、新しいシーズ本を書棚に投入すると、そこから次々とリンクし、他書からも複合的なるリンクが形成される。
そこからが本当に楽しい醍醐味だ。
シーズ本に引用されていた本にリンクすることは、私にとって新たな発見、気づきであったとしても、いってみればシーズ本の著者の脳内データを一部移行したようなものに過ぎない。
もちろんそれはそれで私にとって新たな思考を巡らせる基盤となり得るのだからアップデートに他ならないのだけれど、自分自身のオリジナルなリンクではない。
そこへ言い方は悪いが、本から指図された引用書をたどるのではなく、新たに自分自身でシーズ本から始まった繋がりによって、元々あったリンクと繋がるような複合的なリンクが出来始めたりすれば、全く新しい自分だけのコレクションが形成されていく。
その作られていった私だけのオリジナルの系統樹が、ユニークな発想やアイデアを生み出すのではないかと思い、信じている。
おわりに
読書とは、
食べたものによって体がつくられるように、
読んだものによって思考はつくられる。
ものである。
このリレーしていく方向が一方向ではなく、様々なベクトルで進み、絡み合うことこそが楽しい。
とはいえ、絡まりすぎてほどけなくなることは避けながら。
おしまい
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