私の最高の癒し
あおはるさんの企画「#最高の癒し」に参加してみました。
ふと考えました。
私にとって「最高の癒し」とは何か。
おそらく些細なことで感じるので、癒しの閾値は比較的低いのだと思います。
それでも即座に思い浮かぶこともなく。
企画の御陰で自分をみつめてみる機会にもなりました。
私の最高の癒し
とはいっても、「最高」というなら、これぞとっておきのというのを1つ示せたら清々しくもあるのですが、幾つか思い浮かびました。
そのなかで最高は?といっても決められなかったので、そのまま箇条書きで記します。
【その1】
鴨南蛮ざる蕎麦食べているとき
時折、蕎麦屋に無性に行きたくなります。
立ち食い蕎麦も好きですけど、そうではなくて出来れば個人店でこだわりの美味しい蕎麦屋。高すぎるのはイヤ。味わえなくなってしまう、貧乏人気質なもので。
そこで食べたいのは「鴨南蛮ざる」
他のメニューも好きだけれど、今日は自分を癒やしたい、ってときは譲れない。
「鴨南蛮ざる」
さらに蕎麦湯が白〜くて濃いのが出されるとなると、もぅ堪りません。
【その2】
塗り絵しているとき
こういう黙々と黙って手先を使って行うのは好きですね。
以前には、消しゴムはんこ製作、プラモ製作なども夢中になって愉しかった癒しです。
塗り絵は子供の頃以来行ったら愉しくて愉しくて。
以前記事でも御紹介しました。
【その3】
包丁を研いでいるとき
【その2】と似ていますけれど、我が家の包丁をひたすら研ぎ続けるのです。
手を滑らせたりするともちろん危ない。
危険と隣り合わせゆえに、他のことを考えることがなくなり、ほぼ無心になれる。
と、そこまではなくとも研ぐことだけに専念出来るので、一種のマインドフルネスになっていると思うのです。
【その4】
書店を彷徨う
街の小さな書店もいいのですが、出来れば大型書店へ目的なく(←ここ肝心)ぶらりと出掛けて、本棚を散策する。
とくに普段見ないジャンルから攻める。そこでビビビっと来るような本に出逢える嬉しさ。癒されます。
その先を考えると苦しくなるんですよね…財政面と物理的制約が。
置き場に困りますものね。循環させて読まない本を処分することが先延ばしになっているので…。
また古書で安く手に入るものは、その場で購入せず書名だけメモって。
独り身のころの紙袋両手に抱えて、にやけながら家路につく。ということはもう…若気の至りですね。
それにしても書店は減る流れになっていますが、Amazonなどではどうやっても出逢えない本との出逢いが書店ではありますし、またこれが書店をハシゴすると愉しくって仕方がない。
【その5】
癒し飯
正直に話すと、家族の団欒で御飯食べられることが何よりの癒しであると思っています。
1人食べる食事は寂しさを感じることは否めません。
それでも自分だけで好きなものを食べられます。
とはいえ、外食は1人ではしなくなりました。なんだか後ろめたさもあって。
で、1人で心も胃腸も癒やしたいとき、つくって食べるメニューがあります。
ネバネバ丼。
納豆(このときだけは挽き割りが出来ればよい)、玉子(オプションで温泉卵)、めかぶ、豆腐、オクラ、胡麻、鰹節などをご飯に乗せて醤油でもいしるでもかけてよぉ〜く混ぜて食べると、とてつもない美味しさとデトックスされるような感覚で癒されます。
時折は、ここにキムチを混ぜても美味。
【その6】
落語を聴く
とっておきの癒しです。
出来れば生で聴きたいのですが、このところ事情が重なり遠のいております。
語り出すとキリが無いので今日はこの辺で。
【その7】
仏像拝観
こちらもご無沙汰気味ですが、とても大切にしている癒し。
こちらについてもキリなくなるので。
最後に
思い出してみることが出来て良かったですよ。
いまご無沙汰していることもあらためて気づかされ、恋しくもなり。
さて、今日はどれで癒やされてみるかな…と。
本当は温泉にゆっくりなんてしたいな…
おしまい