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文化の盗用 vs 表現の自由
ジャスティン・ビーバーがドレッドヘアにしたことが物議を醸しています。
なんでも彼の行動が「文化の盗用」「文化的無神経」と言われているようです。
髪型がアイデンティティ
ドレッドヘアは伝統的に黒人の文化やアイデンティティーと結びつくことから、この髪型を文化の盗用と見なす
との意見がある一方で、
髪型は好きなようにすればいい
という意見もあるようです。
詳しいことや、当事者の心情を十分に理解出来ているとはいえないのでなんとも言い難いことではありますが、異文化理解とは、多様性とはかくも難しきことかな、と思うニュースでした。
単純に
「カッコいいからやってみた」
「ジャスティンがやりたいと思ってくれて嬉しい」
ということにはならないのですね。
差別と区別
特にここ最近では、アメリカにおける黒人への暴行が重大な出来事として日本でも報じられていますが、差別を無くそうという風潮のなかでも、ヘアスタイルがアイデンティティとして侵してはならないものであるという捉え方があることには考えさせられました。
ヘアスタイルといえば、過去にはビートルズのマッシュルームカットを若者はこぞって真似したわけですし、
黒人による土着の音楽をルーツとして生まれたジャズは世界的な音楽ジャンルとして確立され、白人はおろか日本人にも演奏されています。そして世界中の方によって聴かれ、親しまれています。
しかし白人や日本人が演奏することは、アイデンティティの侵害になってしまうのでしょうか。
「好き」が高じて
「ある対象」に敬意を払ったり、好きすぎて真似したい。
これは人間の本能的な性質だと思います。
もちろんニュースだけでは知り得ないこととして、ジャスティン氏がドレッドヘアについて差別的発言をしたり、踏み躙るような行為を今回や過去に行っていることが批判のなかに含まれているなら話は変わってきます。
例えばニュースにもあるように、ジャスティン自身が過去に発言したとされる黒人差別発言が不満の温床としてあり、今回のドレッドヘアがその不満を増幅・爆発させたというのであれば、このヘアスタイルだけの問題ではないことになります。
以前のジャスティン氏の行動とは独立して批判されているのであれば、日本という国しかほとんど知らない「井の中の蛙」状態の私は、非常に今後の行動に慎重になり、躊躇すらします。
ボーダーレスの難しさ
たとえ異文化を理解したいから、その地方の食べ物を食べてみる。その民族の衣装を着てみたい。現地へ旅行してみたい。彼らのファッションを真似してみたい。と思ったとしても、気軽に行動に移してしまって良いのだろうか…と考えさせられたニュースでした。
自分自身がとる行動も、異文化というボーダーを越えようとするとき思いもよらない障壁が立ちはだかるかもしれない。
この障壁の存在を意識し、向き合うことがボーダーレスの世界に繋がるのかと思いますが、知らぬ存ぜぬのままで「差別のない社会」と声高に主張することは絵に描いた餅なのかもしれません。
おわりに
民族というアイデンティティがつくりだしている区別という概念がある限り、差別と感じる概念を意識しやすい構図も尚残り続けやすくなるのではないかと思うので、なかなか事態の進展は容易ではないと今回のニュースを耳にして痛感しました。
おしまい
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