高級炭酸水
『高級』とは
『モノの価値』って一体何なのでしょう?
相場と比べて何倍の価格だと『高級』とみなされるのでしょう?
『高級』食パンがもてはやされますが、ある食パン専門店にいわせると、自ら『高級』と銘打っている店はダメだ、と。
たしかに紙袋に自分で『高級』と書いてしまうのは「ちょっと…」と思えなくもない、いささか不粋でもある。
価値基準を誰か作るか。『高級』という印象は何によってもたらされるのか?
食パンだと、店の外装・内装、原材料、価格、ブランドイメージ、「自ら高級と発信する」か、
などと様々な要因が合わさって売り手も買い手もイメージを作り上げているはずである。
炭酸水
ここに一本の炭酸水がある。
この炭酸水は、実は『高級炭酸水』なのである。
なぜなら一本が市場で出回っているモノと比べ、2.5倍の価値があるからである。
この『2.5倍』という比率によって、『高級』と呼ぶことを納得していただけるだろうか?
例えば最近値上げのニュースもあったばかりだが、牛丼を例に挙げると、牛丼並盛一杯が400円は相場として納得出来るだろう。
ここで一杯1,000円の牛丼(並)があるとしよう。
いかがでしょう、具材が通常と異なるのだろうか?国産和牛なのか?と、想像するのではないでしょうか。
大方の人は『2.5倍』に『高級』の印象を抱かれることだろう。
先に挙げた炭酸水は、一本250円なのである。
しかしこれは何の変哲もない自販機にて購入した炭酸水である。
そう、自販機では、この炭酸水は1本100円にて販売されているのである。
まどろっこしい展開に、もう痺れを切らしかけている方もいることでしょう。
ある夜のこと
疲労困憊のなか、かなりの荷物を両手に抱え、ようやっと家に辿り着くことが出来ようとしていた。
しかしひどく喉が渇いていた。今の自身の喉が真っ先に欲するものを考えると、甘味もアルコールも必要ない、ただ発泡を感じられる『炭酸水』が飲みたくなった。
まるで砂漠に広がるオアシスのように、家の目の前の自販機には『炭酸水』が売られていた。
そして、手に500円玉を握りしめ、炭酸水を2本購入した。
荷物も重く一刻も早く帰りたいので気が焦り、続けざまに2回ボタンを押したので、取り出し口に弾き出されたペットボトルのそれは、互いに押さえあってか、なかなか取り出すことが出来なかった。
よくみると自販機取り出し口の近くには、丁寧に『商品は一本ずつ取り出して下さい』と注意されている。
両手が荷物で塞がっていながら、どうにか2本の炭酸水を取り出すことに成功した。
帰宅後、支度を整えてから口にした炭酸水は至極美味であった。
身体中の細胞という細胞が甦るかのように、潤いがもたらされた。
翌日、子どもの見送りを終え、家に入ろうとする時にふと昨夜の光景がフラッシュバックのように蘇ってきた。
小走りで自販機のもとへと駆け寄る。
返却口の中へと手を差し入れるが、そこには何もない。
お分かりだろうか。
そうなのである。私は500円で炭酸水2本を購入した後、お釣りの300円を得ずに帰ってきたのであった。
大荷物かつ疲労困憊しており、尚且つ、自販機にて購入した炭酸水がなかなか取り出せなかった。そんな状況でなんとか手に入れることが出来た炭酸水に安堵して、家路を急いだ私だったのだ。
当然といえば当然なのだが、翌朝の自販機には300円は残されていなかった。
よって私はこの炭酸水を一本250円で購入したことになる。
考え方次第では確かにそうなる。
山頂にて
ここがある山の頂上であると仮定して、売店は1箇所のみ。そこで売られている炭酸水の価格は、1本なんと250円なのだ。みるからに普通のタダの炭酸水であるのにかかわらずだ。
この価格は市場競争が働いていないことと、山頂まで輸送するコストが含まれている。
それでも喉の渇きを潤すためには躊躇なく買うだろう、そこには他に店も何もないのだから。
現実にもどって
そこで私は元々250円の炭酸水であると思うことにした。
まるでイタリアンで頼んだガスウォーターのように。
300円の損失を考えないことにした。
おわりに
よって『高級炭酸水』は美味しく飲むことが出来ました。
どこかで返却口で300円を手にした方が微笑んでいることでしょう。
おしまい