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情熱はたぎらせるもプロセスは隠す

お笑いの賞レース番組の裏側をみせることに疑問を呈した爆笑問題のニュースが気になりました。

ここで田中氏が述べた

「BIG3は裏側をみせない」

これは重要な言葉だと思う。

BIG3とは言わずとしれた

タモリ、北野武、明石家さんま

の三氏だ。

いまだにトップを疾走し続ける彼らの努力の姿は明かされることはほぼない。

そこがまた「粋」であり、後に続く者達を惹きつけて止まないのだと思う。

蓄えている情熱やエネルギーとは何か、ある本をたまたま見開いていた。

若いときの「かったるさ」とは、疲労でなく、エネルギーを注ぐ先が見つかっておらず、滞留していることによる不快感である

ということを齋藤孝は述べている【くんずほぐれつ(文春文庫)】。

さらに氏は、谷川俊太郎の『散文(晶文社)』を引用し、

忙しいという人が嫌いだ、大人なら多少なりとも誰でも忙しいが、樹木が育つのに忙しいという意味での忙しさでありたい

と、エネルギーを持て余した若き日の氏は自らを

「おれはすごいんだ」

と鼓舞していたという。

自分のやっていることを労働ではなく仕事、そして遊びにしていく工夫、学ぶこと遊ぶことにしていく工夫を重ねるとき、子どもの頃のあの濃密な時間が戻ってくる

なんだかBIG3の話題と繋がった気がする。

彼らは「忙しい」ということを口にしない。

ただただ楽しむかのようにやりたいことをやっている(のようにみせている)。

それが笑いというアウトプットとなっている。

子どもの頃のような情熱をもって仕事へとエネルギーを注ぎ続けているかのようにもみえる。

しかし苦悶の表情、緊張した表情を見せることはない。

そのような「格好よさ」というものを部下や子どもに示せることの方が、伝えられることは大きいような気がする。

何のために舞台が有り、幕があるのか。

舞台袖の光景はみせるものではない。

手の内や努力の過程は闇雲に露呈させるものではない。

それをしてしまうことは「無粋」というものではなかろうか。

これはどの世界でも、どの業界でも通じると思う。

「一寸くらい格好つけさせてよ」


おしまい

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