“おこげ”が嫌い。
自宅のWi-Fiが使えない。
“使えない”と言うと簡単な表現ではあるが、実際はもう少し複雑だ。
昨年12月半ばに引っ越し、今の住まいに身を落とした。マンションで一括のインターネット回線が契約されており、他のプロバイダとの契約はこのマンションのルールで禁止されている。
そのため、この部屋には本来であればルーターを接続するための必要機器が備え付けられているはずだが、どうやらそれがない。
違和感を感じたのは、ネット通販で買ったルーターの電源を入れても一向にWi-Fiのあのマークがスマホ上に表示されなかったからだ。
ルーターの説明書は海外製品にありがちな“多言語翻訳”で、そのせいで無駄に分厚く着膨れしているが、各言語のページ数はさほど割かれていない。その中でも唯一理解できる日本語のページを探して、まるで家にふらっと立ち寄った姑が義娘の生活のアラを探すように、その説明書を隅から隅まで読み込んだ。
私に落ち度はない。そう確信したのち、次は管理会社に電話をかけ事情を説明した。私が話し終えた頃に気まずそうな声色で電話越しの男は細々とした口調で言った。
「あの…インターネットの件は、このマンションで契約しているインターネット会社へ問い合わせていただくことになっていまして」
「はあ」
私は呆れた声を漏らした。そうなら話し始めた時に言って欲しかったと、単純で小さな苛立ちこそ覚えたものの、気が強い性格ではないし、こんな瑣末な出来事をいちいち粒立てるようなことはしない。
そうですか、と残念そうに呟いたあとに心無い礼を伝えて電話を切った。
管理会社との話を終え、指定されたインターネット会社に電話をかけた。長ったらしい自動音声を潜り抜け、ようやく生きた女の声が耳に入った。
「本日はどのようなご用件で」
「自宅でWi-Fiが使えなくて──」
電話越しに指示を受けながら部屋中を探し回ったが、話し終えた頃に“本来設置されているはずの機器がない”という結論を告げられた。おそらく前の住人が誤って持って行ってしまったのだろうと。なんと鈍臭い人だろうか。
「機器の設置工事をさせていただくことは可能ですが、費用の負担を田中様と前の住人の方のどちらにするか決めてもらわないと工事の手配ができなくて」
テキパキと喋るその女は、レーンを流れてくる資材が正しい方向を向いているかをただ眺めるように、無機質に自身の仕事をこなした。
「申し訳ありませんが、一度仲介会社を通して前の住人の方と話し合ってください」
そう突き放され終話した。
仲介会社にも連絡をし、慣れた口調で説明をする。電話越しでもハツラツとしている様子の男はすぐに対応すると私に約束し、いそいそと電話を終わらせた。
ほどなくして、その男から電話があった。
「前の住人の方が、法的な根拠を出してくれなければ応じないと言っています」
予想外な返答に思わず口角が上がった。仲介会社の男も、受話器からわかるほどの苦笑いをしていた。
そして現在進行形でこの話はまとまっていない。とは言ってもこの時代にWi-Fiが自宅で使えないのは、もはや日常生活に支障をきたすほどに不便なので、結局一旦こちらで費用負担をして工事を依頼している最中だ。かかる費用は諸々合わせて3万円程度とのことなので、ややこしい前の住人の相手をするくらいなら、という気さえしてしまう。
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ええ、Wi-Fiが無いんです。
家に。
平日も休日も。
朝も昼も夜も。
Wi-Fiが無いんです。
こんなに愛おしいものなのね…知らなかったよ。
というわけで、Wi-Fiが無いからこそ、無電波でできる遊びを考えた結果、久々に阿刀田高のミステリー小説を読みました。
くどい言い回しを使った冒頭はそのせいです。
そして通信量をさほど食わないだろう執筆を次に選びました。
ここまでフンフンと読んでくれた人、ゴメン。
完全に私の暇つぶしです。
土日の仕事が急になくなったんです。
家にWi-Fiないのに。
ヤバTも帰ってきたがらない家なのに。
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おこげ。
私はコイツがありがたがられているのが気に食わない。というか理解できない。全くもって意味不明。
もちろん、ここで言っている「おこげ」は土鍋やら飯盒やらで白米を炊いた時に、火の通り方にムラがあるせいで生み出されるあの負の産物のことである。
テレビでも現実でも、いい炊飯器でツヤツヤに炊かれた白米を食って「粒が立っていてホントに美味しい!」と宣伝が流れる一方で、それと同じくらい「土鍋で炊いた時にできるおこげが好きなんです〜」とバカみたいにおこげを支持する層がいる。
そのせいで、高級炊飯器には粒を立てる炊き方のほかに、わざわざおこげを生成する機能まで備わっているものもある。
なんでやねん。
はちゃめちゃに個人的な見解になるが、「おこげが好きな人」は、土鍋で炊いたという特別感、あるいはたまたまおこげができてしまったという偶然感が好きな人だと思っている。「香ばしい」と表現される味や食感はその次のはずだ。
おこげが好きな人でその炊飯器を使っている人も、自らおこげを作れてしまうその機能は絶対にもう使っていない。
そもそもおこげの何が良いんだ。
白米は絶対にふっくらツヤツヤに炊き上がった方が良い。一粒一粒の中に含まれる甘み。口に広がる水分。おかずの味を最大限に引き出す食卓の立役者。
そんな高機能な部分を全部かなぐり捨てて、なぜか堂々と表舞台に顔を出すおこげ。
米の甘みも消えてるし。
かてーし。
歯に詰まるし。
なんやの君は。
なんやのよ君は!
ちなみに、おこげと似たような観点でドライフルーツも嫌い。
いや、もう少し厳密に言っておくとドライフルーツをありがたがっている人が嫌い。
ドライフルーツ自体は素晴らしい。保存が効きにくい果物を乾燥させることで爆発的に彼らの生存期間を延ばした。常温で半年くらい放置しても問題ないらしい。
でもこれも同じく、本来果物は「みずみずしさ」が良いんでしょう?と思っている。
脱水した彼らを好んで買う人の訳がわからない。
甘いけど。
かてーし。
歯に詰まるし。
なんやの君は。
なんやのよ君たちは…
あ、それからこれはもう全く別の観点だし脈力もないけど思い出したので書くけど、「スイカ割り」も嫌い。
小さい頃から「食べ物で遊ぶな」と教えられる日本で、棒で、スイカを、叩き割る???
それがなんか「夏の風物詩ですが?」みたいな顔して認められている。え、なんで?
確かに盛り上がるけど、盛り上がるのも一瞬。散らばったスイカをむさぼる滑稽さがすぐに追いかけてくるし、絶対に冷やして食べた方が美味しいよ。よりみずみずしいし。
あと言っとくと、流しそうめんも意味分かってない。笑かしにきてるやんあれはもう。絶対に席に座ってゆっくり食べた方が良いよ。
だいぶ話は逸れてしまったが、とにかく私はおこげが嫌い。
20余年この意見を貫いているため、おこげ支持派の人の意見もさまざま聞いてはきたがやっぱり理解はできない。
自分とは価値観の違う意見は基本的に「共感はできないが理解はできる」というスタンスで受け入れている。
でもおこげは無理。理解もできない。
おこげ支持派の皆様、どうかタナカに新しい知見を与えてください。かてーのは私の頭なのかもしれません。