【解説】甲陽学院中 2024年 国語 第2日について
(甲陽学院中 2024年 第2日についての解説になりますので、お手元に入試問題をご用意の上でご覧下さい。なお、全体の分量は約6300文字です)
大問一 養老孟司『ものがわかるということ』より
養老孟司氏と言えば外山滋比古氏や内田樹氏に並び、一時はありとあらゆる学校の入試や各進学塾の模試で文章が採用されていたという印象があります。しかし、最近はあまりテストで文章を見かけることが少なくなってきており、中学入試のトレンドからはやや外れつつあるようです(このことはもちろん、氏の文章の内容的な価値の有無とは関係ありません)。その養老孟司氏の文章を甲陽学院中は今回第2日の大問一に採用しており、そこにどんな狙いと計算があるのか大いに興味を引きつけられます。確かに養老孟司氏の文章は入試における「流行」が過ぎてしまった感もありますが、その中身はとても普遍性が高く、今こそ耳を傾けておくべきなのではないかと思わされる面が含まれています。だからこそ、甲陽学院中はこの文章を選ぶことにしたのでしょう。「流行」にとらわれることなく、出題するに値する文章は遠慮なく出題するという学校の流儀が貫かれたセレクトと考えるのが適切と言えそうです。
文章はまず「木」についての体験を導入として、そこから「自然のルールとの共鳴」へと話が進み、「わかる」の本質は「共鳴」だという重要な視点が提示されます。そして、「共鳴」の土台となるのが「身体性」であり、現代の子ども達が自らの身体と感覚で自然と触れ合う機会を失っているという実情が語られます。「身体性」は現代思想の世界における重要な言葉の1つであり、科学技術に取り囲まれた現代の生活の問題点を摘出する文章でしばしば見かけます。そして、本文をさらにたどっていくと次のキーワードとして「時間」が登場し、筆者は「(自然に触れて)五感で受け止めたものを何らかの形で表現する(情報化)には一定の時間が必要」であると説明します。その上で、現代社会が効率を重視して「情報処理」ばかり求められることが多くなっているために、人間が自分の身体を通して受け取ったものを「情報化」をする余裕をなくし、自然と触れ合う中で時間をかけて自分と向き合い、見つめ直すことができなくなっているという指摘がなされます。そして、自分と向き合い、自分を組み立て直す時間を持てることこそが「豊かな人生」だと結論づけるわけです。
こうして文章を俯瞰してみると、緩みのない緻密な組み立ての文章であることがよくわかります。ところどころに具体例を差し込んで適度に理解を補助しつつ、要所要所にキーワードを置いて最終的な結論へと導いていくという筆者の意図がはっきりと伺われ、骨格がとてもしっかりとしています。ただ、文字数があまり多くない中でキーワードとキーワードをどんどん結びつけながら論が展開されていくところがあるため、少し密度の高い文章になっていることは確かです。「自然のルール」「共鳴」「身体性」「時間」「情報化」「自分の組み立て直し」「人生が豊かになる」という一連のキーワードに的確に反応し、これらを結びつけて全体像をイメージする読み方ができていないと、何だかよくわからないうちに文章が終わってしまったという状況にもなりかねません。「部分」の理解に追われて「全体」を見渡す目が疎かになるとあっさり文章から振り落とされる危険があり、受験生の力量次第でかなり差がつきそうにも思われます。読む力を試すのに適した優良な文章であることは間違いありませんが、それだけに日頃の鍛錬の具合が結果を左右する出題だったと考えておきましょう。
設問の方は、問二と問三を取り上げておきます。
まず、問二は答えの材料の拾い方に注意したいところです。傍線部の近くをよく確かめて傍線部の「気持ちいい」と第3段落の最後にある「これが、とても心地いいのです」を結びつけ、その前にある「自然の中にじっと身を置いていると、徐々に自分が自然と同一化していく」が材料になると見当をつけていくと、まずは一定の点数をもらえるだろうと推定されます。ただ、そこで満足して答えを書きにいってしまうと学校の思うつぼです。ここは解答欄が2行に渡っていることに着目し、「この一ヶ所だけで済むはずがない」と疑えたかどうかで点数は大きく変わってきます。ここは結論を急がずにもう少しあとを調べ、第4段落の冒頭の「少し理屈っぽく言えば」に目を向けて下さい。この言い方に反応して、「このあとにも説明が続いているらしい」と勘づいた受験生は2つ目の材料として第4段落の後半にある「自然のルールに、我々の身体の中にもある自然のルールが共鳴をする」も使えると気づき、答えをバージョンアップさせられたことでしょう。甲陽学院中の記述に対応する時には、決めつけや思い込みは絶対に禁物です。他にも何か書くべきことがあるのではないかと積極的に考え、しつこく文章を調べ回る受験生の方が点数は高くなってきます。
一方、問三は解答欄が1行しかなく、見た目は簡単そうです。どこか一ヶ所材料を拾い出してくればあっさり答えを書けそうだと思ってしまった受験生も中にはいるかもしれません。しかし、敢えて強調のために繰り返しますが、そうした決めつけや思い込みは非常にリスキーです。確かに解答欄が1行のみの場合、どこかの一文を引っ張り出して軽く加工を施せば答えが完成することもありますが、どちらかと言えばレアケースという気持ちでいる方が良いと言えます。この問いの場合は、傍線部のあとに書かれている4つの段落にフォーカスし、答えの材料になる「単語」を集めるという視点がカギになります。注目したいのはキャンプについての具体的な紹介の内容であり、そこから筆者が言おうとしていることを汲み取ってこなくてはなりません。
キャンプの話で特に大事な点は子ども達が自ら水を汲んだり火を起こしたりといった体験をするということであり、そこから「身体を使った経験」を筆者が重要視していることが伝わってきます。これを踏まえて答えに取り込めそうな言葉を拾い出していくと、「共鳴」「身体」「感覚」「自然」「身体性」といった言葉が入っていないと筆者の考えをとらえきれているとは言えないとわかってきます。ここまで来れば、あとは1行の解答欄の中に集めた単語を埋め込んだ文を書く段階へと進むことができるでしょう。こうしたところで十分に文章を確かめて思考を巡らせることを怠り、例えば線②の2行あとにある文だけを材料にして「身体や感覚で共鳴を感じることが大切だというもの。」といった答えを書いてしまうと、ゼロではないとしても点数はかなり弱くなると考えるべきです。筆者の言おうとしていることをできるだけ正確に答案の上に再現するにはどんな言葉を盛り込んだらいいだろうかと懸命に検討を重ね、言葉を集めようとする意識を持つことが加点のチャンスを引き寄せる上で最も大切な原則と言えます。
大問二 深緑野分「カドクラさん」より
深緑野分氏は「オーブランの少女」という短編小説で東京創元社主催の《第7回ミステリーズ!新人賞》の新人賞佳作に選ばれ、同作を表題作にした短編集で2013年にデビューした若手の作家であり、長編小説『戦場のコックたち』『ベルリンは晴れているか』で直木賞の候補にもなっています。戦争を題材にした小説を幾度か発表しており、そういう視点からとらえてみると今回大問二で出題された「カドクラさん」も氏が好んで取り上げるテーマに沿った物語と見ることができます。物語の舞台は前書きの中で「架空の国」と説明されていますが、恐らくパラレル・ワールドの日本だろうと推測されます(本文中に明記はありません)。太平洋戦争と思しき戦争に敗れたあと、主人公の住む国が再び戦争への道を歩み始めてしまい、取り返しのつかない悲劇が繰り返されるというストーリーになっています。この作品自体は児童文学の総合誌「飛ぶ教室 第58号」に掲載されたものであり、基本的には子どもの読者を想定して書かれた小説と考えられますが、手加減のない重厚なテーマが扱われている点がポイントです。元々甲陽学院中はかなり重いテーマを内に秘めた物語文を出題するという特徴が見られ、過去にはアメリカの黒人差別をテーマにした物語文を2度素材文として採用しています。そのため、甲陽学院中を志す受験生はそうした主題を理解し、受け止める精神的な足腰を身に着けておく必要があると考えておかなくてはなりません。大問二の物語文は、読む側に「重さを背負う覚悟」を求める甲陽学院中の正統的な系譜に連なっているととらえておくのが適切でしょう。
内容を見ていくと、短い中に色々な出来事や心情の動きがぎゅっと描き込まれており、割合情報量の多い物語文であることがわかります。そういう点では第2日の大問一と同様の傾向があり、何の気なしにさらっと目を通すと細部が流れてしまう恐れがあります。物語の重みに合わせるように緊張感を持って一歩一歩読み進めていきましょう。
物語は大きく4つの場面に分かれており、大まかにまとめると「場面Ⅰ:カンナで指を傷つけたミノルが家に帰り、カドクラさんに自分の失敗とそれについての気持ちを打ち明ける」→「場面Ⅱ:カドクラさんが昔の戦争のことをミノルに話し、勝ち負けにこだわる限り人は過ちを繰り返すことになるという教訓を語る」→「場面Ⅲ:翌日、ボスにからかわれたミノルは相手に殴りかかってしまい、それを知ったカドクラさんが涙を流す」→「場面Ⅳ:空襲が始まってミノルが疎開している村にも焼夷弾が落とされ、多くの人々が亡くなっていく」という流れになっています。戦争という大きな出来事と「ボス」との諍いという「ミノル」の個人的な出来事が「カドクラさん」の言葉によって結びつけられ、人間という生き物の愚かさと哀しさが印象的に描かれています。マクロなものとミクロなものを隣接的に描写し、その間に共通して浮かび上がってくるものの中に人の本質を見出すという描き方はまさに文学の手法の1つであり、物語文の読解を重視する甲陽学院中ならではの着眼点が存分に生かされたセレクトと言っていいかもしれません。受け取り方によってはとても深く、重々しいテーマが読み手にのしかかってくる文章ですので、その重量感に耐えて真摯に応えようとする気持ちに立って答案を作り上げられたかどうかが点数のカギを握っていると考えられます。
ハイライトは場面Ⅲから場面Ⅳにかけてのパートです。場面Ⅲで「カドクラさん」の言葉を聞いて「恥ずかしかった」と感じながらも、場面Ⅳで「ボス」に殴りかかってしまう「ミノル」の気持ちの動きは生々しくてリアリティがあり、故に場面Ⅳにおける「カドクラさん」の涙が読む者の心に強く刻みつけられるようになっています。ここで描かれる「ミノル」の気持ちと「カドクラさん」の気持ちはともに共感できるものであり、どちらかをあっさりと否定し去ることはできません(否定し去らずに受け止めることが、「精神的な足腰の強さ」だと表現することも可能です)。そして、両方ともわかってしまうからこそ読む側は割り切れなさを感じ、重苦しい切なさが心に生じてくるというわけです。甲陽学院中はもしかすると、そうした感じ取り方のできる受験生に門をたたいてほしいという思いを込めながらこの文章を選んだのではないだろうかと想像します。
さて、設問の方は2024年の試験問題全体の中でもとりわけ手強いものがそろっているため、ここがまさに合否を分ける正念場となったことでしょう。例えば、問二は解答欄が2行半用意されている点に意識を向け、かなり掘り下げた書き方をしないといけないのではないかと見当をつけながら答えを組み立てていくことが不可欠です。傍線部の前後に書かれていることから考えると、主人公の心の中には様々な感情が渦巻いているであろうことが察せられます。「ボス」を見返したかったのに逆に失敗して大怪我をしてしまったこと、怪我をした指について医者に「一生動かなくなるかもしれん」と言われたこと、指を切ったことについて両親がどんなふうに思うだろうかと考えてしまったことなどが折り重なっていることを確認し、そこから可能な限り心情語を思い浮かべて記述を組み立てなくてはなりません。複数の情報を素早く整理し、「何をどういう順序で書こうか」「どんな心情語を盛り込んでいこうか」と全力で頭を回転させながら一つの文を完成させていくという動きが必要なところは、まさに甲陽学院中らしい記述と評することができます。
そして、最もパワフルな記述はもちろん問五になります。この物語の行間に込められたものにどこまで迫ることができたかが答案の出来にくっきりと表れてしまいますので、一切気を抜けない大変スリリングな設問です。まずは大前提として、答えの中心に当たる「カドクラさんの教えに従わず、ボスに殴りかかってしまった」という内容を書けていることが重要ですが、当然それだけではとても3行の解答欄が埋まりません。核を決めたら次は「カドクラさん」の教えの内容を具体的に説明してみたり、「カドクラさん」の涙を見て「ミノル」が感じたことを足してみたりとどんどん答えを掘り下げていきましょう。この記述に対してどのくらい手間をかけ、答えに「立体感」を持たせられたかどうかが大問二における得点にかなりの程度影響を及ぼしたはずです。
なお、出題者の目線に立つならば、問五は場面Ⅳの「カドクラさんは僕の包帯を新しいものに替えてくれながら、一筋の涙を流した」に傍線部を設定し、涙を流した理由を答えさせるという道もあったと言えます。ただ、ここを問いにしてしまうとかなり高難度の記述問題ができてしまった可能性が高く、学校側としてもさすがにそこまではと思ったのかもしれません。涙の理由としては、順当に考えると「自分の教えがミノルに伝わらなかった→悲しみ」がまず真っ先に思い浮かびます。しかし、この涙をそれだけのものと考えるのはやはり不十分でしょう。「カドクラさん」としては、場面Ⅱの中で自身が語っていた「完全なる失敗」のことが念頭にあったはずであり、それを踏まえると「過ちを繰り返さないという意識を下の世代の人々に上手く伝えられない→こうやって人はまた戦争という過ちを繰り返す→人の愚かさに対して自分が何もできないという現実に対する深い無力感」という心情が垣間見えてくるわけです。ただし、実際の問五の答えにおいてこのような「カドクラさん」の内面に触れることは不要と言えます。なぜなら、本来の線④で求められているのはあくまでも「ミノル」の視点に立った答えだからです。「ミノル」が「カドクラさん」の無力感に気づいていると読み取る直接的な根拠はなく、この点に答えで触れてしまうと逆に違和感が生まれてしまいます。いずれにしろ、「カドクラさんは僕の包帯を新しいものに替えてくれながら、一筋の涙を流した」が問いにならなかったことは受験生側としては胸をなでおろしたくなるところです。
質の高い小説は切り口次第で様々な「難問」を作ることができます。学校の側ももちろん難易度の調整には気を配っているはずですので、到底答えを書けるとは思えないような際どいところを問うてくることは稀です。しかし、色々なことを常に想定し、万が一に備えて「小説を深く読み込む訓練」を行っておくに越したことはありません。
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