【解説】甲陽学院中 2024年 国語 第1日について
(甲陽学院中 2024年 第1日についての解説になりますので、お手元に入試問題をご用意の上でご覧下さい。なお、全体の分量は約6900文字です)
大問一 和泉悠『悪口ってなんだろう』より
近年の試験における甲陽学院中の論説文のセレクトには一定の傾向が見られます。それは、現代社会で注目されている事柄をトピックとして取り上げ、何らかの形で問題提起や意見の提示を行うタイプの文章が出やすくなっているという点です。今回の第1日の大問一もそうした近年の例に漏れず、今まさに社会の中で頻発している問題との関わりを感じさせる文章が選ばれています。
現代の社会問題の中でも、特に中学入試で目にすることが増えてきている話題と言えば、インターネットやSNS、人工知能等に関わるものです。甲陽学院中はちょうど2022年の第2日の大問一で機械翻訳と文化の問題に触れた文章を出題していましたが、今年はSNS等を介したコミュニケーションにおける問題とのつながりを連想させる話題が登場しています。ただし、インターネット、SNSといった言葉がそのまま文中に出てくるわけではなく、直接的には「皮肉」「アイロニー」「悪口」が話題となっています。筆者は「皮肉」「アイロニー」についての様々な具体例を読者に示し、ある発言がどういう場合に「悪口」として受け止められてしまうのかという条件を分析していきます。発した言葉が自分の意図とは違う形で解釈されて強い怒りや非難にさらされ、最悪の場合は「炎上騒ぎ」に発展するという事例は後を絶ちません。インターネットの利用が当たり前になっている現代では、メールやSNSで大なり小なり言葉を発する機会が増えてきています。筆者が提示する分析や視点は今日的な社会問題と地続きになっていると考えることができ、相手が特定の人か不特定多数の人かに関わらず、メールやSNSを使う時に自分の言葉が相手に「悪口」と受け止められないために配慮するべきことを教えてくれています。こうした話は大人にとってはごく常識的なものとも言えますが、小学生となってくるとかなり理解度に個人差が出てしまいます。日常の生活の中で現代社会の様々な問題に関心を持ち、アンテナを張って自分なりに考える習慣がある受験生の方がやはり圧倒的に有利です。
では、文章の全体を概括してみましょう。まず、前半で筆者は「言葉には文字通りの意味と話者の意味の2つの面がある」という点に触れ、喋り方にいつもと違う変化を加えることで言葉に皮肉のニュアンスを込めることができることを示します、中盤では悪口かどうか微妙な発言も存在することを述べた上で「褒めるための言葉が悪口になり得る」という視点を提示し、後半の話題へとつないでいきます。
注意をしておきたいのはこの部分です。前半は大半の受験生にとっても馴染みのある内容が展開されているため、「わかるな」と思いながら読み進められたはずです。しかし、後半からは少し様子が変わってくる点に気を配らなくてはなりません。中盤に差しかかったところで、「褒め言葉が悪口になるというのはこんな場合だろうな」「褒め言葉が悪口になるというのは確かにありそうな話だな」と考え、スイッチが入る受験生と入らない受験生で道が分かれる可能性があります。場合によっては、この段階で自分の頭の中に具体例が何となく先取り的に浮かんでいるくらいになっているのが理想的と言えます。。文章を読み進める時には「ただ淡々と読む」で終わらせず、「頭を回転させて読む」を目標としていきたいところです。
今回の文章は、受験本番を迎えるまでの間に出会った文章や出来事を通して知識や経験をしっかりと蓄えてきた受験生であれば、後半の話題にもすんなりとついていけたと考えられます。しかし、そのような蓄積が乏しかったり前半の読みやすさに釣られて気を抜いていたりしていた受験生は、ここで理解に少しブレーキがかかってしまったかもしれません。そうなれば文章を飲み込む速度が落ち、読解の精度が不安定になる恐れがあります。一見すればささやかな違いにも感じられますが、こうしたところで「乱れ」を誘って微妙な差につながっていくように文章を選んでいるとも見ることができ、第一の「関門」として第1日の大問一に持ってくるに相応しい出題とも言えそうです。
さて、文章に戻りましょう。筆者は後半では「優劣の比較」の視点が入ってくる場合と、言葉を向けた相手に対する「尊敬の気持ち」が欠けている場合に「悪口」として解釈されてしまう可能性があることを説明しています。そして、それらを踏まえて考えていくとある種の「決めつけ」が「悪口」になってしまう場合があることが指摘され、文章が締めくくられます。全体を振り返ってみるとこの文章は前半と後半の分かれ目が分かりやすく、メリハリがはっきりしています。さらに、後半は大きな並列の構造に従って文章が展開される構成になっているため、目印になる言葉を押さえながら読み進めていけば要点をスムーズに取り出していけるはずです。そうなってくると、作問者としては「組み立てに着目した読み」を前提とした出題をしたくなるのが習性というものです。今回の大問一に関しては、通読時に文章の話題と話の展開を冷静に読み取っていくのと当時に、構成の明確さにも着目して「これは絶対に問いに絡んでくるぞ」と積極的に想像を働かせることができた受験生が勝ち残りやすかったのではないかと思われます。
甲陽学院中のような記述が主体のテストを出題する学校の場合、選択式や抜き出しによる「手助け」がほとんどありませんので、どうしても文章に対する読みの確かさがダイレクトに点差として表れてしまいます。ただ何となく文章を読むという状態から卒業し、あれこれと出てくる具体例の隙間に隠れたまとめに当たるポイントを押さえた上で、「こんなことを問われるかもしれない」「ここが答えに絡んできそうだ」と予想を立てながら読み進めるという意識を持っていきたいところです。
設問に関しては、問五の八十字の記述に注目しておきましょう。一定の鍛錬を重ねた受験生であれば、文章の後半に出てくる並列の構成に着目し、線②や線③の近辺に書かれている言葉を拾い出してまとめてほしいと出題者が考えていることは見抜けるはずです。ただ、材料の拾い方が大雑把だと中身の薄い答えが出来上がってしまう危険があり、それなりに点数を狙いに行きたいということであればかなりの粘り強さが必要になります。しかし、甲陽学院中の受験生の中には、「内容的には合っているけれども、点数のもらいどころが少ない」→「結果的に字数等の形式的な条件はクリアしていても、得点が低くなってしまう」という失敗を犯してしまうケースが少なからず見受けられるため、同じ穴に陥らないためにも気を引き締めてかからなくてはなりません。
例えばここで、「発言の解釈に優劣の比較が入り込んでしまったり、相手に対する尊敬の気持ちがなかったりすると、聞いた人が決めつけられたと感じて不快に思ってしまうことがあるから。」といった答えを書いたとしましょう。これでももちろんあながち間違いではありません。主要なキーワードは本文から拾い出せていますので、まったく点数がもらえないということはないはずです。しかしながら、よく観察すると隙の多い答えと評価することができます。恐らくこのままでは、「尊敬の気持ちがないこと」がどうして「決めつけと感じる」につながっていくのかが明確になっておらず、本文の内容を十分に説明しきれていないと判定されるでしょう。ここは最初に構想した答えで満足せずに線③の段落やその次の段落に立ち戻り、「個別の事情を汲み取れていない」「たった一つの特徴を取り上げるだけになっている」等の内容も取り出して答えに組み入れていく方が効果的です。甲陽学院中の記述には、もっと書けることはないかと手を尽くして考えようとする「貪欲な工夫」が点数と直結するという特徴があることを覚えておいて下さい。
大問二 青山美智子『リカバリー・カバヒコ』より
物語文の読解は甲陽学院中の代名詞の1つです。出題されるテーマは様々ですが、よく出るパターンがある程度決まっており、何年もさかのぼって過去問を研究してみると学校の好みが分かってきて面白いところと言えます。ここ数年のトレンドは「母と娘の心理的なすれ違い/確執」で、割合頻繁に出題されていました。恋愛を主題にした物語文と並び、どうしても男子小学生には経験の範囲外にある心理が描かれることになるため、多くの受験生が答案を作り上げるのに苦労したと想像されます。
それでは2024年度はどうなったのだろうと気にかかるところですが、今回は少年の成長を主題とした物語文が出題されていました。幸い男子小学生にとっても親しみやすい内容になっていましたので、試験会場で胸をなでおろした受験生もいたかもしれません。文章を簡単にまとめてしまうと、自分のネガティブな一面と向き合うことになった主人公がある出来事を契機に小さな成長を遂げていくというストーリーになっています。「少年の成長」は甲陽学院中がしばしば出題してくるテーマですが、今回のようなパターンの物語文は過去にも繰り返し登場しているため、十分に訓練を重ねていた受験生であればあまり抵抗なく読み進めることができたと考えられます。ただ、定番通りとは言いながらも少し文章のセレクトに工夫の跡が見られますので、いつもの甲陽学院中の入試問題だと思って油断をした受験生は足をすくわれたかもしれません。過去のパターンを踏襲しているように見せつつ、軽く仕掛けを施して受験生を切り崩しにかかったとするのならなかなか巧妙な手筋と言えそうです。
今回の物語文の大きな特徴は、主人公の成長が2段階に分けて描かれているという点です。そして、2つの段階には深い関わりがあり、その点を正確に見抜いて答案を書き上げられていないと点数が低くなったのではないかと思われます。ともあれ、手始めに物語の流れを簡単に振り返ってみましょう。
まず、物語の序盤では主人公の「ぼく」と「スグルくん」が会話を交わす場面が描かれていますが、そのやり取りの過程で「ぼく」は自分と「スグルくん」の違いに気づかされてショックを受け、嘘をついて駅伝大会の選手に選ばれるのを免れた自分の行為を恥じます。そして、自身の体に起こっている不調の本当の原因を悟り、愕然とするのです。ここで「ぼく」は1段目の成長を遂げたと考えられ、その変化が行動等に表れることになるのだろうと予想ができます。
中盤の舞台は伊勢﨑整体院です。この場面では、「伊勢﨑さん」に出された「ふたつの宿題」を「ぼく」が真面目にこなし、それによって体の不調から回復しつつあることが明かされます。「ふたつの宿題」に対して「ぼく」が元々前向きだったのか、序盤での「スグルくん」との会話をきっかけにして積極的に取り組むようになったのかは明記されていませんが、流れから考えると後者だと読むのが適切と思われます。しかし、この点は文章の「外側」が見えていない以上、即断や思い込みを避けて慎重に留保しておく方が無難です。そして、中盤の終わり頃に「伊勢﨑さん」が「人間の体は回復後、以前と完全に同じ状態になるわけではない」「回復したあと、違う自分になる」という重要なセリフを口にします。ここでのやり取りが物語の核心と深く関わっており、「スグルくん」との会話をきっかけに嫌なことから逃げていた自分を乗り越えた「ぼく」の内面に変化が起こり、今までとは違う自分になりつつあるということが暗に示されるわけです。ある意味ではかなりあからさまな形でテーマが説明されているとも言えますので、ここを見逃す受験生はあまりいないと思われますが、さらに踏み込むなら「伊勢﨑さん」の発言を自分の中にある体験の記憶と結びつけ、確かにそうだなと感得できる状態にまでしておきたいところでもあります(余談ですが、「伊勢﨑さん」は甲陽学院中の入試問題という側面から見た場合、かなり重要な存在です。近年の甲陽学院中では、この人物のように「主人公や主要な登場人物の抱えた心理的な傷を回復させる役割を果たす人」が頻出しています。この傾向が今後どのくらい続くかは予想できませんが、メンター的な要素を備えた人物が絡んでくる物語文の出題を想定して訓練しておくとどこかで役に立つ可能性があります)。
最後は再び「ぼく」と「スグルくん」が出会い、会話を交わす場面に移ります。その中で「ぼく」は「スグルくん」と一緒に走る練習したいという自分の希望を伝え、「嫌いなこと/苦手なことから逃げていた自分」から「嫌いなこと/苦手なことにも立ち向かう自分」へと「ぼく」が変化を遂げたことが描かれて文章は幕を閉じます。ここが成長の第2段階に当たるわけです。
以上をまとめてみると、物語の前半では「自分の本心と向き合い、それを乗り越える」という意味での成長が描かれ、後半では「苦手なものから逃げない強い自分になる」という意味での成長が描かれていることがわかります。そして、2つの成長段階をつなぐ重要な結節点が「伊勢﨑さん」によって示された「回復する前と回復したあとでは、少し違った自分になる」という視点です。この視点は読者の心をぐっとつかむ強さがあり、個別的な物語を普遍的なものへ引き上げる力を持っています。一見さらっと読み流せてしまう軽やかな文章にも感じられますが、真剣に読み込むと色々な発見があるようになっています。従って、物語のところどころに埋め込まれたポイントにどれだけたくさん気づけたかによって答案の完成度は大きく変わってくると予想されます。甲陽学院中の物語文は「読み」の水準が点数と強く相関しますので、普段の学習の中で「深く掘り下げて読む訓練」を重視するようにしたいところです。
設問としては、問三と問四の記述に注意しておきましょう。もちろん、設問の「サイズ感」からすると問七が一番の大物と言えます。しかし、問七でそれなりの点数を確保していくためには、その前哨戦として問三、問四に深く切り込めていなくてはいけません。
甲陽学院中の設問は論説文、物語文ともに、「横のつながりが強い」という特徴があります(時にはスクラムを組むかのごとき連携で受験生を圧倒してきます)。特に大問の最後によく出題される八十~百字の記述は、そこに至るまでに解いた問いの総決算としての性格を持っていることが多く、注意を要します。今回であれば、仮に問三や問四で書いた答えが不十分だったり的外れだったりすると必然的に問七の答えも浅くなったり見当違いになったりする可能性が高まり、結果として「答案用紙を一応埋めたけれども点数は随分と低い」という事態に陥ってしまいます。これを防ぐためにも、「後半の問いを深く解くための準備として前半の問いを深く解く」というイメージを持つことが甲陽学院中の入試においては極めて重要です。
また、物語文の記述に対応する時は心情語の準備が要になります。例えば、問三であれば「ショックを受ける」「動揺する」「心を揺さぶられる」等を入れながらまとめるのが最善ですし、問四であれば「情けない」「後悔」「自己嫌悪」等を思いついて組み込めるようにすることがポイントです。できるだけ色々と気持ちを表す言葉を盛り込み、心情の掘り下げがしっかりとできていると採点者に伝われば当然評価は高くなります。さらに、それらをベースとして利用する事ができれば、問七に対して「ここはもっとこう書いていこう」というアイディアも湧きやすくなり、答えにより奥行きを持たせることにもつながっていくはずです。ただし、こうしたことを確実にこなせるためには「心情語の知識が豊富であること」「シチュエーションに応じて的確に心情語をアウトプットできること」が前提条件です。ここを苦手としていると甲陽学院中の国語は入り込む余地のない「城塞」と化してしまいますので、時間をかけてしっかりと訓練を重ねなくてはなりません。
以上をまとめてみると、今回の第1日の物語文は「2段階に渡って描かれる主人公の成長のプロセスを読み取ること」と「問い同士の連携を意識しながら記述を書き上げること」の2つがポイントだったと結論づけられます。後者については例年通りの特徴とも言えますので、適切に演習を重ねていればそれ自体が苦戦の要因になるということはなかったはずです。その一方で、前者については場面が矢継ぎ早に切り替わる印象が強くなるため、あまり長い文章を出さない甲陽学院中としては少し新味を感じるところでもあります。しかし、総合的に見ると「心情の動きを細やかに読み取ろうとする姿勢」を試す意図が明確に伝わる構成になっており、いつもの甲陽学院中らしさが保たれています。テストとしての手堅さと安定感は相変わらずと見ることができますので、甲陽学院中を目指す受験生は過去問等を最大限活用して学校の傾向を吸収しておき、読む力と書く力を磨き上げておきたいものです。