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夢野久作『瓶詰地獄』

夢野久作が好きだ。
『瓶詰地獄』はその手軽さから、よく携帯しており、ふと夢野久作の世界に触れたいと感じた時にたち戻れる、そんな存在である。

3つの封のされたビール瓶が同時に発見される所から話は始まる。太宰の『人間失格』とは少し異なるが、それに近しい雰囲気で、実に淡々と手紙が3枚紹介される。
そのビール瓶は、無人島に漂流した兄妹によるものだという。
ビール瓶の中に入った手紙の内容を簡単に言うと、1つ目は、手紙を読んだために救助に向かったとされる船に、父母の姿が確認され、助けが来たことを確信するが、兄妹2人の犯した罪の意識によって、投身自殺するという決意の内容。2つ目は、この島は楽園であること。それと同時に日に日に成長していく2人。変化していく心境がとても美しい文章でしたためられている。

そして3つ目。
「オ父サマ、オ母サマ、ボクタチ兄ダイハ、ナカヨク、タッシャニコノシマニ、クラシテイマス。ハヤク、タスケニ、キテクダサイ。」

とある。

1通目にあった船はなんなのか、同時に見つけられたにも関わらず助けに来るのか、こないのか、狂った兄妹の見た幻覚か。ぐるぐるぐるぐる考えたところで答えも出ない。しかし、確実に読者の背筋をぞくりとさせる美しさ、怖さをこの文章は持っている。3つ目にこれを出すこともまたにくい。えっ、ちょっとまって?確認したい、が読了後の私を支配する。そしてずっと抜けられなくなるのだ。私が瓶詰に詰められてしまったみたいに、夢野久作はその世界に私を閉じ込める。

女の描写をさせたら彼を越えるものはいるのか?と個人的に思う。確かに谷崎やら三島やらのエロティシズムを凝縮したかのような、読むだけでその女が匂い立つような表現も大変優美であるし、大好きなのだが、夢野久作の女はまた少し異なる。別に評論文でもないし感想なのでこの辺に関しての異議は随時受付中である。
夢野久作の女は惑わすのだ。
『瓶詰地獄』の感想文であるから、妹のアヤ子を例にとろう。アヤ子の肉体について以下のようにある。「アヤ子の肉体が、奇蹟のように美しく麗沢に育って行く(中略)ある時は花の精ののうにまぶしく、またある時は悪魔のようになやましく……」それに対して兄の太郎は哀しくなるという。これは妹と姦通したいという己の色欲に対してなのか、なんなのか。哀しくなるほどの美しさとはなんなのか。究極のエロティシズムなのではないか?とさえ思う。哀しみを覚えるほどの女、感情に来るほどの女。そこには単なる色香や美しさと言うよりは、彼女の無垢さとそれに反して己に色欲の葛藤を起こさせるほどの、相反するものの共存のような、かといって我儘な人間はどうしても欲しくなってしまうようなそんな美しさを私はアヤ子から感じるのだ。

NHKでやっていたダークサイドミステリーを見て、また読み直したが、このように夢野久作についてこの世が語っている機会はそうそう少ない。夢野久作だけでは無い。私のようなギークが喜ぶ、隙間産業のような特集を、NHKはひたすらに模索して言って欲しいものである。


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