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人生の荒波を乗り越えて、自分らしく「今」を生きる  有限会社 エコスタイル 代表 東薫さん

波瀾万丈、唯一無二の人生。

この言葉が東薫あずまかおるさんの人生そのものを、言い表している。

幼い頃に経験したある事件をきっかけに、「本当の自分」を封じ込めて生きてきた薫さん。 
そんな彼が職人の世界に憧れ、「将来は大工になる」と決心したのは、中学生の時だった。

熱しやすく冷めやすい性格ゆえに、大工、現場代理人、フリーターと、仕事を点々としながらも、20代半ばでついに念願の二級建築士の資格を手にする。
そして転職先の住宅メーカーで、1人の女性と出会い、結婚。
社⻑の娘である彼女との間に、大切な3人の子どもを授かり、順風満帆な人生を歩み出したかに思われた。

ところが、義父から任された会社は、蓋を開けてみれば累積赤字が積もり、働けど働けど、利益が出ない 状態が続く。
なんとか立て直しを図った薫さんは、グループ傘下から独立し、自身のリフォーム会社を立ち上げた。
薫さんにとっての新たなスタートだった。

しかし、ここでも苦難に直面する。

良かれと思って下した経営上の判断の失敗が続き、会社の業績は悪化の一途を辿る。借金が重なり、会社経営は窮地に陥った。

追い討ちをかけるように、プライベートでも波乱が起きる。 
16年間の結婚生活の末、自ら決断した別居、離婚という選択。
そしてこの決断を機に、薫さんの人生の第二幕が幕を開ける。

幼い頃から「本当の自分」を、自分の中に封じ込めて生きてきた薫さん。
離婚を機に、自分を解放し、「自分らしく生きる」ことを大切に考えるようになった。

そんな彼に、運命はさらなる試練を与える。

業績が徐々に回復しつつあった最中、コロナウィルスが上陸。
薫さんの会社も、例に漏れず大きな打撃を受けた。 
精神的にも追い詰められ、人生最大の窮地に直面した薫さんを救ってくれたのは、周りの方々とのご縁だった。

結婚、離婚、会社の危機、そして人生最大の窮地。
様々な困難を乗り越え、薫さんは今、人生の新たなスタートラインに立っている。
 穏やかな表情を浮かべ、今までの自分の人生を、淡々と語ってくれた薫さん。
その様子からは、様々な葛藤を感じながらも、しっかりと自分自身に向き合ってきた彼の生き様が、随所にうかがえる。

自分を封じ込めて生きてきた半生

薫さんの父親は、彼が産まれてまもなく、家を出て行った。
物心ついた頃には、兄と一緒に横須賀にある祖父母の家で暮らしていた。 
祖父母の愛情をいっぱいに受けて、自然の中で伸び伸びと育った薫さん。 
祖父は、薫さんをよく海へ連れて行ってくれた。
海で遊んだ楽しい思い出は、自然の中が好き、という彼の原点となる想いを築いた。

彼が小学校2年生の時に、その事件は起きた。
かっとなった怒りにまかせて、一つ年上の先輩に大怪我をさせてしまったのだ。

母に迷惑をかけてしまったこと、周りから向けられる不躾な視線。
幼いながらに、自分の起こしてしまった事の重大さに気づいた薫少年は、その時から「本当の自分を出すと周りに迷惑がかかってしまう」という想いに囚われてしまう。
そして「本当の自分」を心の奥深くに封じ込め、自分を守るための皮を1枚、また1枚と身にまとっていった。

おじいちゃん譲りの真面目な性格も相まって、良い子でいること、周りに合わせて生きることを、知ら ず知らずのうちに選択していた。
そんな彼の表情からは、いつのまにか笑顔が消えていた。

友人に腕を引っ張られるようにして、小学校3年生から中学卒業までの7年間、野球部に入った。 
練習にはそれなりに一生懸命取り組んだが、レギュラーになりたいという強い思いもなく、なんとなく 続けていた野球部。
そこに楽しさを見出せないまま、彼の野球人生は幕を閉じる。

学校では集団の中に混ざることなく、1人の時間を楽しんでいた。
屋上で1人、お弁当を食べることも多かったが、特別寂しさは感じなかった。

中学3年生の時に、高校を出たら二級建築士の資格を取り、大工になろう、と決めた。 
きっかけは、水道工事を担う親戚のところでのアルバイト。
職人さんが生き生きと働く姿に憧れた。
祖父が日曜大工で様々なものを作る姿を見ていたのも、少なからず影響していた。

高校に入学して早々、先生との面談で「学校を辞めます」と宣言した。
その時引き止めてくれた担任の先生の「辞めるな」の一言が、心に響いた。 
嫌々ながらも高校生活を続けてこられたのは、初めてできた彼女の存在も大きかった。 
そしてなんといっても、「大工になりたい」という夢が、建築科での学びを続ける大きなモチベーショ ンにつながっていた。

高校を卒業した後は、大工としてある建設会社で働き始める。 
「なりたい」という直感で入った職人の世界は、下積みから始まり、単調な仕事が続いた。 
それなりに続けていれば、仕事のレベルもあがって面白くなったかもしれない、と今なら思う。
しかし、お客さんや職人仲間に心を開くことができなかった彼は、そこに楽しみもやりがいも、見出す ことはできなかった。

「今の現場で、昔の自分によく似た大工さんがいるんですよね。現場でも1人で過ごしていて、職人さん の輪の中には混ざらない。笑わない、無表情な彼を見ていると、まさに当時の自分を見ているようで(苦笑)。『本当にもったいないなぁ。もっと自分を出せば広がるのに』って思うんですよね。」

「羊の皮をかぶった狼」

今までの自分を振り返り、そう例える薫さん。
その皮は、いろいろな人との出会いにより、そして自分が選び取ってきた選択により、1枚、また1枚と 剥がれ落ちて行く。

結婚、そして離婚

逆玉の輿。 
世間一般で言うならば、薫さんの結婚はそう分類されるかもしれない。

二級建築士の資格を取得し、住宅メーカーに再就職した薫さんは、そこで社⻑の娘さんである E さんと 出会う。
七つ年上の E さんは、穏やかな性格で、何事も慎重に進めるタイプ。 
薫さんが窮地に陥った時に、助けてくれた存在でもあった。

ある日、彼女の家に泊まりに行った時のこと。 
偶然、彼女の家を訪れたお義父さんと、鉢合わせする。

真面目な性格から、責任感を感じた薫さんの頭の中には、有無を言わせず「結婚」の2文字が浮かび上がった。
E さんへの愛情は勿論あったが、「男として責任をとる」という強い決意に後押しされた2人の結婚生活 がスタートする。

3人のお子さんに恵まれ、平穏な月日が流れていた。

そんなある日、E さんの一言をきっかけに、薫さんの中で何かが崩れ落ちた。

16年たっても、変わらないのね

彼女の一言が、薫さんを大きく傷つけた。

僕のことを、ずっと、そんな風に思っていたのか。
やはり、お義父さんの血をひいているんだな。

経営者として、義理の父として、どこか遠い存在で、心の距離をなかなか縮めることのできなかった義父 の姿が、重なる。

その後は、なんとか夫婦として、家族として元に戻ろうと、数ヶ月間にわたり関係を修復するべく、努力を重ねた。 
しかし、一度⻲裂が入ってしまった夫婦間の溝は埋まることはなく、日に日に苦しさが募って行った。

「別れてください」

薫さんから発したその言葉は、E さんにとっては晴天の霹靂だっただろう。
その言葉を告げた時には、もう移り住む家も、決めていた。
そのくらい、薫さんの決意は固かった。

気がかりは子どもたちのことだった。 薫さんが生まれてすぐ、家を出て行った父親のことが頭を掠める。

子どもたちには自分と同じような思いをさせたくない。

一度しかない自分の人生。 
「自分の人生を生きたい」という想いと、子どもたちへの愛情が交錯する。

離婚の話し合いでは、子どもたちのことを最優先に考えた。 
突然の別居で、子どもたちへ与えてしまったショックは計り知れない。

迷惑をかけてしまった分、しっかりとサポートしてあげたい。
子どもたちが大人になった時に、自由な時間、自由なお金を与えてあげたい。

離婚した後も、その想いは変わっていない。
E さんとは子どもを一緒に育てるパートナーとしての新しい関係を築き、子どもたちと過ごす時間、家族 5人で過ごす時間を、大切に過ごしている。

E さんのあの一言がなかったら、今でも結婚生活を続けていていたと思う、と話す薫さん。
彼女の一言で、薫さんは「小林薫」として生きる道から解放され、本来の自分、「東薫」として生きるきっかけを、得ることになったのだ。

自分に正直に、自由でいることで、軽くなる

「制限とか、ルールとか、そういうものが嫌いなんですよね。常に自分に正直に、自由でいたいんです。」

振り返れば、高校時代にはじめてつきあった彼女と別れた時も、そこに「制限」を感じてしまったからだ という。
そして E さんとの結婚生活に終止符を打ったきっかとなった一言も、自分に対する「決めつけ」の言葉 だったとも言えるのかもしれない。

何をやっても⻑続きしない。
飽きっぽい自分。

自分のことをそう分析する薫さんだが、その行動は、何にも縛られたくない、常に自由でいたい自分と、 それを許さない周りとのギャップに苦しんだ結果の選択だったのかもしれない。

人生で楽しかった時期の一つが、20代でアルバイトに明け暮れていた時代だと言う。 
この時期に、実はホストとして働く経験もしている。 
接客も、キャッチもうまくできなかった彼は、早々に自分の思っていた世界と違うな、と感じ、一日半で ホストを辞める。 
こんな風に直感を働かせて、自分に合うもの、合わないものを瞬時に判断できるのも、薫さんが持つ強み の一つではないだろうか。

そして、彼を大きく変えた「離婚」という選択。

「自分らしく生きようと思ったことが、自分を変えてきた」

今までの人生を振り返り、そう語ってくれた薫さん。
自分をどんどん自由に解放し、軽やかに生きる方向へと舵をきってきた彼は、この後、人生最大の危機と 言っても良い、大きな壁にぶつかることになる。

人生最大の危機を乗り越えて

会社の業績も少しずつ回復の兆しが見えてきた2020年、薫さんを予想もしなかった出来事が襲った。
世界を、日本中を震撼させたコロナウィルスの襲来。 
この招かれざる訪問者は、薫さんの会社にも大きな打撃を与えた。

コロナを機に、減って行く仕事。 
「こんなご時世だから仕方がない」 そう思って守りに入ってしまったことが、さらに状況を悪化させた。
メーカーの下請けを担うようになり、利益にならない仕事が続く。

そして、会社の業績の悪化は、次第に薫さんの精神をも追い込んでいった。 
毎朝、苦しい思いで目覚め、体に鞭を打って現場に出かける日々。 心と体が着実にすり減って行く中で、回復する兆しの見えない売上。 
思い通りにならない人生への絶望。
頭をよぎる「死」への願望。 
そんな人生のどん底から薫さんを救ってくれたのは、大切な娘の存在だった。

彼が人生最大の危機で苦しんでいる最中、歌手になるためにメキシコへ留学していた娘の帰国の日が近 づいていた。

自分のこんな姿を、娘に見せるわけにはいかない。

彼の中で、エンジンがかかった。 
その想いに引き寄せられるように、常連さんからの仕事や、大きな仕事が少しずつ入ってくるようにな ったのだ。

思えば、7年前にも、会社の業績が悪化し、窮地に立たされたことがあった。 当時は会社が独立して3年目、借金を返そうともがいていた時代。 
社員やパートを解雇し、事務所も自宅の横に移転した。 経済的に追い込まれ、夜はコンビニの配達員の仕事で稼ごうと思った時期もあった。

その時も救ってくれたのは、常連さんからの仕事の依頼だった。 
薫さんの苦しい時の原動力となり、彼を支えてくれたのは、いつも「人」だった。

未来への想い

そんな苦しい時代を経て、段々と会社の業績も持ち直してきた現在。
現場の仕事というよりは、いろいろな人の間で調整する、コーディネーター的な役割が好きなんです、と 話してくれた薫さん。

「仲間との信頼関係を、もう一度作り直すことが大切だと思っています。お金だけではなく、お互いに 支え合い、信頼できる仲間と一緒に、仕事がしたい。『東薫のエコスタイルでないとダメだ!』とお客様に選んでいただけるようになりたいですね。そしていつか2人の息子のどちらかが、この会社を継い でくれたら嬉しいな、と思っています。」

自分で閃いた新しい発想を形にして、お客様に喜んでいただける瞬間が何よりの喜び、という薫さん。 
様々な執着から解き放たれて、日々軽やかになっていく彼には、密かな夢がある。

「朝は漁師。昼間は駄菓子屋の店⻑。夜は居酒屋で自分が獲ってきた魚を振る舞う。そんな生活が夢な んです」

漁師への憧れは、幼い頃に祖父と過ごした海での思い出が原点だと言う。

海沿いに住み、朝は早起きして、ゆっくり愛犬との散歩を楽しむ。 その日の気分に合わせて、散歩コースを気ままに変えながら、直感を大切に過ごす。 「やだなぁ」と思ったらやめる。
「やりたい」と思ったらやってみる。
何にも縛られず、自由に生きる。

人生の荒波を乗り越え、本当の自分を見出し、一歩を踏み出した薫さん。 
彼が本来の自分を解放し、自由に、心のままに生きる人生は、まさに今、始まったばかりなのだ。

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