見出し画像

どこへ行くか、よりも、誰と行くか。写真家 野村哲也さんと行くディープツアー@知床

写真家の野村哲也さんのお話を、ゆっくりと聞く機会に恵まれた。

野村哲也さんを知らない方のために、ちょっとご説明すると。

写真家 故星野道夫さんに師事を仰ぎ、日本国内はもとより、世界各国を飛び回り、大自然の美しさを写真で伝えてきた野村さん。

2020年には、かの有名なネイチャー雑誌、ナショナルジオグラフィック公認のトップフォトグラファーに選ばれている。
そして、彼の写真は、多くの教科書にも載っており、実はみなさんの目にもたくさん触れているのだ。

彼が今まで行った国は150カ国にも上り、「地球の息吹」をテーマに、北極圏、南米、南極などでたくさんの写真を撮り続けてきた。
普段はほとんど日本にいない彼だが、このコロナ禍の折、日本滞在を余儀なくされ、その間に日本国内で野村さんのおすすめのスポットを巡る「ディープツアー」という旅行ツアーを企画。

今回、ご縁あって「知床でシャチ・ヒグマを見る」という2泊3日のツアーに参加した。

「地球を知り尽くした男」。
そんなキャッチフレーズが似合いそうな彼の実体験から語られる数々の話は、私の中の忘れかけていた「何か」に淡々と語りかけ、そっと火を灯した。

彼の話は、初めて聞く話なのに「うん、なんかそれ、知ってるかも」という奇妙な感覚を伴い、その真意を確かめるべく、さらに掘り下げたくなる話が多い。

例えばこんな話。

地球とリンクする

地球上の全ての生き物はリンクしている。
どんな生き物にも役割があり、地球が地球として存在するために、役に立っているのだ。
しかし、ひとつだけ例外がある。
それが、「人間」。
人間以外の生き物が一種類でも欠けたならば、地球上のバランスは崩れてしまう。しかし、人間が全滅したとしても、地球はノーダメージだと言うのだ。
むしろ人間がいない方が、地球にとってはベターな世界ですらある、と言う事実。

彼からこの話を聞いた時、「人間ってなんて悲しい存在だろう」と思わざるを得なかった。
そのことを野村さんに言うと、彼はこう言った。

「そう思った人は、何かを変えていけばいいんじゃないですか」

例えば、割り箸をやめてMY箸にするとか。
毎日ゴミ拾いをするとか。
今日からでもできることは、実はたくさんあるにちがいない。

野生動物にとっての「死」は日常

野生動物は、いつでも死と隣り合わせである。
野生のトムソンガゼルがライオンに追われ、もう逃げきれない、と判断した時、彼らは足を止め、抵抗をやめる。
そして、ライオンに自らの命を差し出す。
彼らにとって「死」とは日常であり、恐怖を感じる対象でも、遠い存在でもない。
彼らは淡々と「死ぬ」というステージを受け入れる。

彼らは「明日の狩りが失敗したらどうしよう・・・」と思い悩んだりはしない。
生きるために、狩る。
狩りに失敗すれば、今日はご飯にありつけない。
ただそれだけなのだ。

人間もその昔は、動物と同じように、死と隣り合わせに生きていた。
縄文時代は出産で、無事子供が生まれるのは3割ほどだったと言うし、薬も医療も発達していなかった時代、病気になれば死ぬのは当然の摂理だっただろう。

文明や医療の発達で、全てを意のままにコントロールしようとしてきた人間は、いつしか勝手に「死は遠いところにあるもの」「怖いもの」と勘違いをしてしまったのかもしれない。
本来は野生動物のように、淡々と生き、淡々と死ぬのが生き物としての慣わし。
そう思うと、死ぬことに対する考え方も、少し和らぐような気がする。

本当に大切なことは隠されている

本当に大切な場所、パワースポットというのは、隠されていることが多い。
表向きの「祈り」の場所を用意し、その近くに隠れた裏スポットが存在する神社がたくさんあるという。

この話を聞いて、私は宮城県にある網地島あじしまの話を思い出した。
金華山の向かいにある網地島に、実は隠されたパワースポットがあるという話を聞いたことがある。

本当のパワースポットというのは、そこを守り続けてきた地元の人たちと、「わかる」人だけにわかる場所。
このスポットを「見分ける」感覚は、そういった場所にたくさん身を置くことで、身につけられると言う。

それ、私もわかるようになりたいなぁ・・・。

そんなことを思っていた矢先、今回の知床ツアー3日目に「それ」を体感する機会を、野村さんが作ってくれた。

その日は本来であればクルーズ船に乗ってシャチを見に行く日だったが、あいにくの雨と風により、クルーズ船は運休。
急遽、みんなのためにツアープランを変更し、野村さんが「素晴らしい時代」と絶賛する縄文時代の遺跡を見に行くことになった。

その場所は「斜里朱円周堤墓群」。

直径30 〜40メートルの2つの円がならび、その周りには土が盛られている。
そしてその中に、縄文人たちのお墓がある、というこの遺跡。

この遺跡からは斜里岳という、日本百名山の一つでもあるとんがった山を眺めることができる。
この山は、縄文人たちの信仰の対象だったらしく、斜里岳のまわりにはいくつかの縄文遺跡が散らばっていると言う。

そしてこのお墓は、村の中心に位置していた。
村の中央広場とも言える位置に墓地があり、当時の人たちはご先祖さまたちが村を守ってくれる、と考えていたのだ。

この墓地の縁に立ち、野村さんがこう言った。

「胸から腕にあたる空気の重さを感じながら、お墓のまわりを反時計回り、時計回りにそれぞれ歩いてみてください」

どちらか一方の向きは、体に感じる空気の重さが軽くなると言うのだ。

むむむ。
ほんとかにゃ。

小雨がちらつき、ぼぉぼぉと風の強まる中、20名あまりがぞろぞろとお墓の縁を歩く。

「わかるまでやっていいですよ。わかった方からこっちに戻ってきてください」

野村さんの言葉を聞いて、私も気の済むまでお墓のへりを何度も行ったり来たりする。

無心に墓の縁をうろうろする私(友人が撮影)

うーむ。。。
正直、明確な差はよくわからん。。
ただ、少し時計回りの方が、軽い感じがする。

ふと視線をあげると、みんなもうお墓の縁からおりて、野村さんのところへ集まっていた。
慌てて小走りで野村さんの元へ駆け寄る。

蓋を開けてみると、参加者の感覚は真っ二つに割れ、それぞれ半々だった。

野村さんの解説によれば、この古墳のエネルギーは時計回りに巡っており、螺旋状に上へ登っていると言う。

対して、その隣にある古墳の場合は反時計回りで、逆に天から地面にむかってエネルギーが降りてきていると言う。

私の感覚はどうやらあたっていたらしい。
でも、確証があったわけではないので、なんとも不思議な気持ちが残った。

彼のツアーではこういったパワースポットをめぐる行程がほぼ必ず入っているという。
もしかしたらツアーに参加していくうちに、その感覚が研ぎ澄まされていくのかもしれない。

さて、話を戻して。
野村さんの話の中で、印象深かった内容は、まだまだある。

みんなが「平か(たいらか)」であるという思想

全ての参加者が「平か(たいらか)」であるのが野村さんツアーの醍醐味。
有名大学の教授も、どこぞの社長さんも、駆け出しのライターも、はっと息を飲むような写真を撮る写真家も、みんなが並列であり、上下関係も優劣も、そこにはない。

「あっ、クマ!」

そう言って誰かの叫び声で、みんながバスの中で総立ちになり、窓際にかけよる。

野村さんも、この時ばかりはすっかりカメラマンに早変わりし、いつのまにかベストポジションに陣取り、「いい表情してるねぇ〜」と嬉しそうにシャッターを切る。

大自然の中で野生動物を見つけた瞬間、誰もがただの「動物好きなカメラマン」になってしまうように、野村さんのツアーの中での人間関係においては、社会的身分も、経済力も関係ない、フラットな関係性がそこには存在するのだ。

そんな雰囲気の中で過ごす2泊3日は、居心地が悪いわけがない。

今回の旅で、私もいくつかの出会いがあった。
「野村哲也」という共通の軸の元に集まる人たちには、やはり何かあるのだ。

宝珠の網

野村さんが今年(2022年)1月に行った八戸の講演会の中で話してくれた彼の考え方の一つに、「宝珠の網ほうじゅのあみ」というものがある。

詳細は八戸の講演会について書いたこちらのブログをご参照あれ。

https://ameblo.jp/fuokumi23/entry-12722803532.html


「自分の中に全てがあり、全ての中に自分がある」というこの考え方。

例えば、野生のヒグマを目の当たりにした時、心が震え、なんともいえない熱い気持ちが噴き出してくる。

それは、私の中の「ヒグマスイッチ」がONになったからだと言う。

私たちの中には、生きとし生けるもの全てが映り込んでいる。
「ヒグマ」「シャチ」「エゾジカ」「白樺の木」「ワシ」・・・地球上の生きている全てものが、私たちの中にはセットされている。

そしてヒグマを見たその瞬間、私たちの中にある「ヒグマ」の部分が目覚める。
まるでファミコンのカセットを切り替えるように、自分の中の「ヒグマ」のスイッチがONになる、というのだ。

これを聞いて、なるほど、と思った。
確かに、野生動物や広大な自然に触れた時に、心が戦慄わななくように震えることがある。

これは、私の中の奥深くで、既に「知っていた」けれど、表面では感じていなかったものが、湧き上がってくるからなのだ。
そう思うと、色々と納得がいく。

八戸で聞いた講演の内容が、知床で繋がった。

さて、こんな風に野村さんと寝食を共にした2泊3日はあっという間に過ぎていき。

中標津なかしべつ空港へ向かうバスの中で、野村さんがこう言った。

「飛行機から降りると、ちょうど通勤ラッシュ真っ只中ですね。人混みに揉まれ、自分の駅へ一歩降り立った時の、あの空気のまずさを、存分に味わってください!」

その言葉通り、帰りの電車でもみくちゃにされながら、どっとホームに吐き出された瞬間「ああ、帰ってきたな。。。」と、しみじみと実感した駅のホーム。

正直なところ、この2泊3日の旅は、私にとっては決して安くはないお値段だった。
それゆえに、キャンセル可能な締め切り期日ギリギリまで、参加を迷っていた私。
折しも知床では悲しい事故があったばかりで、入金するまで心はザワザワしていた。

でも今ははっきり言える。
本当に行ってよかった。

ちなみに、今回の旅の一番の目的であったシャチに会うことは叶わなかった。
ヒグマは見れたので、目的達成率は50%の旅。
しかし、満足度は120%。

なにを見るか、どこへ行くか、は旅の大切な要素であることは間違いない。

しかし、今回の旅で新たに気づいたのは、誰と行くか、どんな空間で過ごすか、そして何を話すか。

そういった意味で、満足度120%の旅だった。

わたしが参加を迷っていた時に、野村さんのツアー常連の友人が送ってくれたメッセージが、ふと頭に浮かぶ。

「野村さんに会うと、価値観が変わると思うよ。ピンときたら参加したほうがいいよ」

まさにその通りだった。
彼の考えや想いに触れ、自分がいかに狭い世界で生きているかを感じた3日間。

彼のツアーは知床だけではない。
今年は毎月のように国内ツアーが予定されている。

また行きたい。
そして息子も連れていきいたい。(今のところ興味ないみたいですが😅)

我が人生のライフイベントが、新たに1つ加わった。

「1年に1回は野村さんのツアーに参加する!」

さて。
そのためにはやるべきことが盛り沢山なのだー☺️


2泊3日の知床ツアーの動画や写真は、インスタグラムでどうぞ。

▼ヒグマの親子と遭遇

▼とにかく、絶景

▼漁船でGO!

▼サクラマスの滝登り


いつも読んでくださりありがとうございますm(_ _)m あなたからのサポートが、日々の励みになっています。 もし私にも何かサポートできることがあれば、いつでもメッセージをください♪