高い、高い位置から見守る①

以前、noteにも記事を書かせていただいたのですが、codomoマーケット、という素敵なイベントがあります。

先日、この「codomoマーケット」のホームページがオープンしまして、私も記事を書かせていただきました。(記事はページ真ん中あたりの「codomoマーケットへの想い」に掲載されています。)


過去二度ほど、ボランティアスタッフとしてこのイベントに参加させていただいたのですが、私がまず驚いたのは、このイベントで子どもたちが放つ、圧倒的な熱量。
ゲームでもなく、Youtubeでもなく、現代の子どもだちが熱中する「codomoマーケット」の魅力はどこにあるのか。
そんなことがこの記事で、少しでも多くの方に伝わるといいな、と思っております。

さて、このcodomoマーケット、実はお母さん、お父さんにとってもたくさんのヒントが隠されているイベントだと感じています。

日々、ものすごい速さで成長して行く子どもたちと、親として、どういう距離感で、どういう立ち位置で接して行くのか。
誰もが一度は思い悩んだ経験があるのではないでしょうか。

人間は、自分が知っている知識と、経験してきた世界を基準に価値観を形成し、判断基準を作っていきます。
子育てにおいても、例外ではなく。

私の育児論のリソースになっていたのは、まず第一には両親から受けてきた教育。
そこに、育児書やネットで知り得た知見が加わり、さらにママ友だちから得る「生の」育児情報を付け加えながら、日々バージョンアップし、自分なりのスタイルを築いていました。

当時の私は、本当に一生懸命やっていたと思います。
完璧とは程遠かったけれど、目の前の息子と真剣に向き合い、なんとか良い方向へ導こうと、空回りしながらも精一杯がんばっていた。
それは否定しないし、もう一度、同じ状況になっても、同じようにしかできないかもしれない、とも思います。

ですが、今の私がもし、当時の私に一言アドバイスできるとすれば、こう伝えるでしょう。

「もっと、子どもを信じていいんだよ」

朝起きなければ何度も起こしに行く。
ゲームの時間制限を設ける。
宿題の進捗をチェックする。
帰りが遅いと「どこにいるの?」と何度もLineをする。

未来の最悪のシナリオをいつもシミュレーションし、子どもが道を踏み外さないように正しい方向へ導くのが親の役目。
私は長いこと、親の役割をそんな風に考えていました。

でも今は、全く違う考えを持っています。

朝起きれなければ、遅刻してみたらいい。
何かに気づくまで、好きなだけゲームをやったらいい。
宿題を出さなかったらどうなるか、自分で体感してみたらいい。
帰りが遅いのは心配だけれど、あの子なら大丈夫。もうすぐ帰ってくる。

この変化の裏側にある想いは、「あの子ならきっと大丈夫」という信頼と「何が起きても、全力でこの子の味方になる」という覚悟。

そもそも、子どもの生活、やることに「制限」や「過剰なサポート」をしてしまうのは、逆を言えば「私が管理しないとこの子は達成できない」という前提に立っている、ということです。

そして私の場合、その根底にあったのは「悲しみに打ちひしがれ、辛い目にあって苦労している子どもの姿は見たくない。そんな姿を見るのは、私が耐えられない」という思いだったと気づきました。

だから、先回りをする。
あれはダメ、これはダメ、と言い続ける。
私が「親の役目」だと思ってやってきたことは、「あなたのため」と口では言いながら、実際には「わたしを守るため」の行為だったのです。

あれ、codomoマーケットの話に戻れない(笑)

ちょっと長くなりそうなので、続きはまた後ほど書きたいと思います。

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パーソナルライターおくやま・ふみ
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