データの流れる夜に ―― システム同期の物語
今回のキーワードはCDC (Change Data Capture) です。
データを非同期に整合性をもって更新する方法です。
ご意見・ご感想・ご質問があればよろしくお願いします。
新入社員の春野さくらは、窓の外に広がる東京の夜景を見つめながら、深いため息をついた。
デスクの上のモニターには、赤く点滅する警告メッセージが無情に光っている。
「また同期が崩れたのね…」
入社して半年、大手ECサイトのシステム運用部門で働く彼女の前に立ちはだかる壁は、データの整合性という見えない怪物だった。
「春野さん、緊急会議です」
声をかけてきたのは、システム architect の藤堂主任だ。
疲れた表情の中に、どこか懐かしさを感じる瞳で彼女を見つめている。
会議室に集まったのは、検索システムチーム、データウェアハウスチーム、そして分析基盤チームの主要メンバーたち。
空気が重い。
「昨夜からの障害について報告します」
藤堂主任がプロジェクターに映し出した画面には、複雑なシステム構成図が示されていた。
「商品データベースの更新が、検索エンジンに正しく反映されていない状況が発生しています」
「具体的には?」と春野が尋ねる。
「単純な例を挙げると、ある商品の在庫数が、メインDBでは0になっているのに、検索システム上ではまだ在庫ありと表示されている」
「お客様からのクレームが相次いでいます」と、カスタマーサービス部門の山田さんが補足した。
春野は、入社時の研修を思い出していた。
システムは単一のデータベースだけでは、多様な要求に応えられない。
だから検索用のインデックス、キャッシュ、分析用のデータウェアハウスなど、複数のシステムを組み合わせる。
そして、それらのシステム間でデータを同期させる必要がある。
「現在の同期の仕組みについて、説明してもらえますか?」
春野の質問に、インフラチームの佐藤さんが立ち上がった。
「はい。現在は各システムへの書き込みを、アプリケーション側で直接行っています」
「デュアルライト方式ですね」と藤堂主任が補足する。
「つまり、商品の在庫を更新する際、まずメインDBに書き込み、その後で検索システムも更新する」
「でも、それじゃあ…」
春野の言葉を遮るように、モニターに新たな警告が表示された。
「また不整合が発生しました」
佐藤さんの声が重く響く。
「race condition…競合状態ですね」藤堂主任が眉をひそめる。
「複数のクライアントが同時に更新を行うと、システム間で順序が狂う」
春野はホワイトボードに立ち上がり、図を描き始めた。
「こういうことですよね」
彼女が描いたのは、2つのクライアントが同時にデータを更新しようとする様子だった。
「クライアント1がAという値を、クライアント2がBという値を書き込もうとする」
「メインDBではA→Bの順で更新されるけど」
「検索システムではB→Aの順になってしまう」
「結果として、永続的な不整合が発生する…」
会議室が静まり返る。
そこで、ずっと黙って画面を見つめていた藤堂主任が口を開いた。
「CDC…Change Data Captureを導入しましょう」
「CDC?」と春野が首を傾げる。
「データベースへの変更を監視し、その変更を順序を保ったまま他のシステムに伝播させる仕組みです」
藤堂主任は熱を帯びた声で説明を続けた。
「メインDBの変更ログを読み取り、それを元に他のシステムを更新する」
「つまり、単一の情報源から順序を保って更新できる」
春野の目が輝いた。
「でも、具体的にはどうやって…」
「実装方法は大きく分けて2つ」と藤堂主任。
「データベースのログを直接読み取る方法と、トリガーを使用する方法です」
「前者の方が信頼性が高いとされています」
会議室のホワイトボードには、新しいアーキテクチャの図が描かれていく。
「ただし、注意点もあります」と藤堂主任。
「このシステムは非同期です」
「つまり、完全なリアルタイム性は諦める必要がある」
「その代わり、システムの安定性と拡張性を手に入れられる」
「初期データの同期はどうするんですか?」と佐藤さんが質問する。
「スナップショットを取得し、そこからの変更を適用していきます」
「それぞれのシステムの特性に合わせて、同期の戦略を練る必要があります」
会議は深夜まで続いた。
実装の詳細、ツールの選定、移行計画…。
しかし春野の心は、不思議なほど晴れやかだった。
数ヶ月後。
「春野さん、障害報告です」
藤堂主任が笑顔で近づいてきた。
「はい?」
「ここ3ヶ月間、データの不整合による重大インシデントはゼロです」
春野は思わず声を上げそうになった。
窓の外では、新しい朝が始まろうとしていた。
データは今日も、整然と流れ続ける。
春野さくらの仕事は、まだ始まったばかりだ。
彼女は新しい課題に向かって、またキーボードに向かう。
技術は進化し続け、新しい問題が次々と現れる。
でも、もう彼女は怖くない。
チームと共に、一つずつ解決していけばいい。
データの流れる夜に、彼女はそっと微笑んだ。