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庭の木々の手入れとお弁当

朝から窓の外で軽やかな鋏の音が聞こえている。
今年はお昼とおやつをどうしようか。
数日前から頭のすみっこでぐるぐると考え続けて、
お弁当を作ってめいめいに食べることにした。

そう決めてはみたものの、作る前は思いあぐねていた。
この1年あまりというもの、連れ合いだけが私の料理を食べているので、
自分の作るものの味が客観的にわからない。
料理をする時にマスクはするとして、手袋もしたほうがいいんだろうか、
少なくとも生野菜や果物は手で触らないようにしよう、とか、
そもそも作らない方がいいんではないかとか。

春らしいものをと、前の日に筍をおかかで甘めに煮てあった。
香りも楽しめたらと玉子焼きには三つ葉を
米を炊いて、きっと好きだろうなと、ちりめん山椒を混ぜ込む
作り置きのきゅうりの甘酢漬けに春キャベツのごまあえ
近所の農家さんの摘みたての苺をひとつ
さいごに、庭のもみじの若葉をあしらう

不思議なもので、作り終わって3つのお弁当を見た時にはわくわくした気持ちになっていて、久しぶりの心持ちを収めようと、仕事部屋へカメラを取りに行く。
・・・1枚撮ったところで充電が切れてしまって幸運な記録になった。
今週は庭の花の写真を毎日のように撮って、データの整理もせずにほっぽらかしていたのだった。
フィルムで撮影していた頃、ダメもとでシャッターを切ってみたら1枚余分に撮れることがあって、あれはうれしかったなぁ、と思いだす。

欲を出して写真を撮ったりしていたら、正午を過ぎてしまった。
「お昼遅くなりました。」と声をかける。

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南の縁側での昼ごはんの間に、私は家の北側にこんもりと積まれた緑の山に分け入って、鋏を入れてはビニル袋に詰めていく。
この1年は森林ボランティアも活動を休止していて、仲間と山の中で汗をかくこともない。
火を熾して大鍋で作られた、具たくさんの味噌汁をみんなで食べる昼休みがなつかしい。

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ひとり、黙々と手を動かしながら、お弁当を作っていた時間を振り返る。
久方ぶりに、うーむむ、と相手のことを考えて背伸びをしたごはん作りは、
思った以上に楽しかった。
献立を考えるのがしんどいめんどいと、常日頃ぶちぶちと言っているのだからおかしい。

もともと在宅で仕事をしているうえに出不精だ。
何かをがまんしているとは感じていなかったけれど、こんなに小さな素朴なよろこびも忘れた暮らしだったんだな、とはっとする。
誰かのためにごはんを作って平らげてもらえるのは、幸せな、ありがたいことだ。一緒に食べられないのは残念だったけれど、空っぽになった弁当箱がうれしかった。
とは言っても、それを洗ったのは連れ合いである。
いつもは、朝は2人で。昼は彼が作って私が片付け。夜は役割交代。

入れ替わりに昼を済ませた後は、2人で剪定枝の片付けに手を動かす。
お互いの鋏の音が小気味いい。
連れ合いは仕事部屋で原稿を書いている。
同じ弁当を食べた3人がそれぞれ黙々と手を動かしていると思うと愉快。
頭の中では、音のしない今どきのキーボードがタイプライターになって、セッションが始まっている。

今年は少し時期が遅かったので、真冬の剪定の急き立てられるような忙しさがなく、帰りを見送った時にもまだ日は暮れ切っていなかった。

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髪を切った帰りみちは、軽やかだけれども気恥ずかしいような気分になる。
日がたくさん差し込むようになった家の中で、ちょっとそんな気持ちになって過ごしている。



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