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「孤」として生きる、冬の海
海を見るなら、冬が好きです。
できれば少し雲が出ていて、風が強くて、波が荒れている方がいいですね。
1年の終わりには、そんな景色を見たくなるのです。
このような海を前にして、いつも思い出すのは「孤」という言葉です。
どんなに大切な人といても、海と対峙するときは独りきり。
そのような厳しさを、冬の海から感じてきました。
寂しくないといえば嘘になる。
けれど「孤」を自分の中に抱えていなければ、人は自分の足で歩くことなど決して出来ません。
「孤」を抱えるからこそ、真に人と繋がり共感し、わかりあうことができると私は信じているのです。
私の人生の前半は、「孤」が許されない環境でした。
母が特定の宗教を深く信仰していたからです。
その宗教はお金を奪ったり、何かを強制したり、大きなビルを建てたりはしませんでした。
神社にお参りし、先祖を敬って、家族を大事にし、仕事を通して社会に貢献していこうという、地味で穏やかなものでした。
家族がいて、仲間がいて、助け合い支え合う。
孤独など無縁な、まるで暖かい春の海のような世界がそこにはありました。
ただし、同じ信仰を持てばの話ですけど。
その信仰を持ったことは、母にとって良かったと思います。
本人の性格とも合っていたし、なかなかにヘビーな母の人生には強い支えが必要だったから。
でも私には合いませんでした。
そして私の選択肢や多様性は、愛と善意のもとに押しつぶされていきました。
また、愛する母を救うものが自分を苦しめるという相反は、私を混乱と罪悪感の渦に突き落としました。
信仰を振り切るにはさまざまな葛藤と戦いがあり、とても長い時間がかかりました。
その過程で私は心の一部を削り取られたと思います。強い痛みも伴いました。
母と私は今、仲の良い親子です(母からしたら、我々はずっと「仲の良い親子」だったのかもしれませんが・・)
でも、私たちが互いを真に理解する日は永遠に来ないでしょう。
母の世界に正解は一つしかなく、私は複数の正解を持つ世界に生きているのですから。
人生は自由なものです。
生まれた時に背負った制限を、自分で広げていくものです。
誰がなんと言おうと、自分の信じる道を歩けばいい。
だから宗教を含む特定の思想を強く持つことだって、当然に自由です。
ただし他者の自由も認めるならば、ですが。
そして「孤」は失うことになりますが。
なぜなら自由というものは、本来「孤独」を伴うものだから。
冬の海のように、厳しさや寂しさを抜きに得ることはできないものだから。
私は厳しいのも寂しいのも好きじゃありません。
自由を選びながらも、背負う覚悟がなく逃げ出したこともあります。
弱い弱い私なのです。
でもそれでも、「孤」を抱えたまま生きると決めています。
迷ったり不安になったり、おろおろしながら生きていくことを選びます。
そうして自分なりの道を作り上げていこうと。
自分の心で考え、選び、その責任を引き受けるゆえの、ひとり。
互いの違いを尊重し、認め、受け入れるゆえの、ひとり。
同じように寂しさを抱えつつも、自分の足で歩いている人と心を分け合い、助け合い、支え合っていきたい。
そして離れたとしても、相手の幸せを願いながらひとりで歩ける自分でありたいと思います。
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