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ぶれる私とぶれないあの子・・・水曜日の下妻にて。

ぶれない人に引きつけられること、ありませんか?
私はありました。遠くに光る星に焦がれるような気持ちで。

今ハマっているドラマ、「ウエンズデー」の主人公がまさにそのタイプ。

海外ドラマNAVIより画像を引用しました。見よ、この意思つよの眼

ウェンズデーは、1991年に実写化・2019年にアニメ化した「アダムス・ファミリー」のスピンオフ作品です。

高校を退学になったウェンズデー・アダムスは、彼女の両親であるゴメスとモーティシアがかつて通っていた「異常な才能を持つ子どもたち」を育成しているネヴァーモア・アカデミーに入学する。自分の超能力を充分にコントロールできず、同級生に溶け込めないウェンズデーは、謎のモンスターによるいくつかの殺人事件の目撃者となり、それを調査することを決意する。

Wikipedia「ウェンズデー」より引用

情と集団を嫌悪し、黒と孤高とチェロを愛する、頭脳明晰なウェンズデーは、

「退かぬ!媚びぬ!省みぬ!」

まるで北斗の拳のサウザー様のような少女なのであります(例えが古い)。

4話のウェンズデー・ダンスは必見です。

全8話のうち4つを「チャーリーとチョコレート工場」のティム・バートンが監督してますので、彼が好きな人は気にいるんじゃないかな〜。


ところでわたしはこのドラマを見ていて、ある邦画を連想しました。
その名は「下妻物語」。嶽本野ばらの小説です。

ロリータ少女とヤンキー少女という意外な組み合わせで、仲良くなった2人の女子高生が主人公。この2人の間に芽生えていく友情をストーリー。

Wikipedia「下妻物語」より引用

2004年に映画化では、ロリータは深田恭子、ヤンキーは土屋アンナという天才的なキャスティングで、大ヒットを飛ばしました。

わたしはこの映画を見た時、わんわん泣いちゃったんですよね。

彼女たちの心意気に、胸がいっぱいになって。


ウェンズデーと下妻物語の共通点は、主人公が1m mたりともブレないこと。

嫌われても、馬鹿にされても、一人になっても、自分を折らない。
「私はこう生きる!」というポリシーを貫く、孤高の魂の持ち主なのです。

そして、もう一つの共通点は高校生なこと。

「若いから強気でいられるんだ、社会に出たら無理」などと言う人もいますが、わたしはまったくそう思わない。

学校で自分を貫くことが、どれほどにキツいか。

10代は自我を育てる時期ですから、人にどう思われているかを気にせずにはいられません。

だから周りは大人社会のように、「そういう人なのね」と放置してくれない。
なのに学校が唯一の世界になりがちで、逃げ場も限られている。

そこで「わたしはわたし」と言い放つのは、至難の業だと思うのです。

誰もができないからこそ、彼女たちは人を惹きつけるのかもしれません。


高校生のわたしは、正反対のぶれぶれ少女でした。

がんばって自分を貫くも、人に笑われたり嫌われるのが怖くてすぐグラつくんです。
そんな自分を「この惰弱者!」と責めたりして。

ブレないように見えるクラスメイトが、どんなにうらやましかったか。

成功すれば、愛されれば、訓練すればぶれない心が手に入ると、自分を変えるためにジタバタしていました。


そして今。
相変わらずブレがちです!!ウェンズデーにはなれなかったですねえ。

決意をした途端、反対のやり方が正解に見えますし。
Aランチを選んだ後に、パスタランチがおいしそうに見えて・・・

ただ、今は「ブレる自分でも、まあいっか」とも思っています。
あらゆることには両面があると、ジタバタして学んだから。

例えばぶれるとは、柔軟性があるということ。

迷ったことで、何をすべきか見えたりね。
断れなくて行った集まりで、運命の出会いがあったりね。

だから「わたしはわたしで良い!」ということで。
おや、ブレない彼女たちと同じ結論になっちゃった。

それでも「ブレない少女」たちは、今も胸の中で光り輝いています。
ここ一番の譲れない時に、「ブレんなよ!」と喝を入れてくれる存在としても。

もうウェンズデーを見て泣いたりはしませんけどね。

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