私だけのアヴォンリー
どこにでも住めるなら、カナダのアヴォンリーで暮らしたい。
でもそれは叶わぬ願いです。
なぜならこの「アヴォンリー」は、私の心の中だけに存在する場所だから。
アヴォンリーとは、小説「赤毛のアン」の舞台となる村です。
初めて読んだ13歳の夏から、私は赤毛のアンにずっと夢中です。
翻訳者は村岡花子さん一択。
これが今我が家にある、赤毛のアンです。
読みすぎで見返しが破けるため、表紙は最初から外しています。
しかも私は昔から、お風呂で本を読む悪癖がありまして。
さらに「うっかり者」という悲しいサガもあるため、1度は本を湯船に落とすんですね。
その結果アンは毎回このような姿に・・・やがてページがバラけてくると、新しく買い直す輪廻。
電書に切り替えて、やっと平和が訪れました。
つまり、そのぐらい「赤毛のアンシリーズ」が大好きなのです。
しかしこの小説、幼い私にはわからない単語が山ほど出てきました。
例えばクスバード兄妹の暮らす家。
物語の冒頭から、「グリンゲイブルズ(緑の切妻屋根)」という愛称で呼ばれています。
この「切妻屋根」がわからない。読み始めから即、つまづきです。
またアンが初めてグリンゲイブルズへ行く時、りんごの並木道を通るんですけど「りんごの木」を見たことがない。
こんな感じで、植物名、宗教単語、服のデザイン、料理・・・次から次へと謎の単語のオンパレード。
今思えば、その度に辞書で調べればよかったんですよね。
けれど話が面白くて面白くて、私はとにかく先を読みたかった。
そこで、疑問点をすべて想像で埋めてしまったんです。
アンはやがて進学、就職、結婚と、人生経験を増やしていきました。
もちろん想像は追加され、読み直すたびに確固たるものになりました。
そして気づいたら私の中には、自分だけのアンの世界が、アヴォンリー村およびプリンス・エドワード島が出来上がっていたのです。
とはいえ、アヴォンリーはもともと架空の村。
作者モンゴメリが、プリンス・エドワード島のキャベンディッシュという場所をモデルに創作しました。
しかし赤毛のアンが世界的な小説となったことから、今ではキャベンディッシュにグリンゲイブルズが建てられ、多くのファンが訪れています。
つまり赤毛のアンは、創作を超え現実のプリンス・エドワード島と上手にリンクしたのです。
でも、私は「自分だけの赤毛のアン世界」を想像しすぎたため、その波に乗れませんでした。
現実のプリンス・エドワード島も、映画「赤毛のアン」やドラマ「アンという名の少女」も、違和感を覚えて見れません。
「あれ?私のアンと違うんだけど・・・」となるのです。
いや、こっちのアンがおかしいんですけどね。
しかし。
電書に変えて用語検索が楽になったことから、せめて事実確認だけはしておこうという気になりました。
読みながら、わからない言葉をすべて調べたのです。
例えば「緑の切妻屋根」について。
アンが作った「真っ赤なゼリーを挟んだレイヤーケーキ」について
そしたら、たくさんの間違いが発覚しました・・・。
切妻屋根ですが、私はかなり特殊な形を想像していたのです。
色はもちろん緑ですけどね。
しかし、実際は違いました。
日本でもよく見かける屋根だったとは・・・。
レイヤーケーキはもっとひどかったです。
アンシリーズ9冊を読み終える頃、私は当時の想像がいかにズレたものだったかを、つくづく思い知らされました。事実確認をして良かった・・・
でも同時に、よりいっそう愛しくなったのです。
歴史的にも学問的にもツッコミどころ満載な、己のアンの世界が。
だってアンと同じ速度で自然の美しさや友情を楽しめたのは、いちいち立ち止まって調べなかったおかげだから。
それに私は小説の醍醐味って、この「想像部分」にあると思うのです。
漫画や映画は「絵」で情報を伝えてきますから、ある程度イメージが固定されます。でも文字なら、好きに思い浮かべられる。
「橙色のマント」という言葉からイメージする服は、人それぞれ違うと思うのです。フードがあったり、袖がなかったり。
つまり同じ小説を読んでも、みな違う世界を見ている・・・まるで人生のように。
私は小説の、そういう自由さが本当に好きなんです。
胸の中に、誰にも見せない宝物を忍ばせているような気がして。
そんなわけで、やっぱり私はマイ・アヴォンリー村に住んでみたいです。
小川を横切り、お化けの森を抜け、輝く湖水を散策したい。
流行の型のドレスを着て、ビーズの上靴を履いて。
そしてアンとレイヤーケーキを食べながら、3時のお茶を楽しみたいと思うのです。
長い文章を読んでいただき、ありがとうございました。
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