自分に格好つける意識をもつ
自分を素敵だと評価している人は、少なくとも日本人にはあまり多くない印象を受ける。
しかし、自分が自分を好きでなければ誰が好きになってくれるというのか。
単に謙遜しているだけならいいのだが、「自分なんて」と卑屈になるようでは他者をもマイナスな思考に引きずり込んでしまう。
「格好いい自分」への憧れをもてばいいのにと思う。
ありのままの自分
もちろん、格好つけないありのままの素の姿でも、みんな尊厳ある大切にされるべき人間である。
スキルがあるとかないとか、容姿が整っているとかいないとか、そういう次元の話ではない。
どんな人も自分らしく真っ当に生きていればそれで素晴らしい。
迷ったり間違ったり失敗したり、そういう人間らしさは誰からも非難されるものではなくて、単純にきちんと後始末をすればいいだけの話だ。
泥臭く努力する姿がもてはやされることも多い。
周りの目を気にして何もできずにいるよりは、やりたいことのために愚直に行動する方が健全である。
格好つけて振舞う
ただ、その一方で、ちょっと背伸びして格好つけるのも悪いものではないぞと思う。
「自分がやりたいこと」に集中するのは、客観性に欠けるからだ。
自分の行動は他者からどう見えるのか意識する目をもつことは、自分の成長に繋がる。
それになにより、「格好いい自分」ってなんだか誇らしいと思わないか?
どうせ同じ行動と結果をもたらすなら、少しでも周りから良く見られたいと願ってもいいはずだ。
格好つけることに必死になって行動が疎かになれば本末転倒だが、周囲の目線を気にするのは必要なことである。
外面と内面の両立
格好つけることを意識していると、自分に自信が湧く。
周囲からの評価がどうであれ、「自分の行動は正しくてかっこいいぞ」と思っていれば次の一歩が踏み出しやすくなる。
振る舞いを変えることで内面に変化があるし、心の持ちようが変われば外面に変化があるのだ。
相互によい作用が働く。
単純に周囲に対して見せかけだけ良くしようとするのではなく、「自分に格好つけること」。
この意識があると、内側と外側の両方が磨かれていくはずだ。