追悼・Andy Rourke (The Smiths)
私の中でも、私以外の人達も、Andy Rourkeといえば、The SmithsのAndy Rourkeしかいないわけで、そのAndy Rourkeが亡くなりました。
死因は発表されていますが、膵臓癌で闘病中でしたそうですが、59歳で5月19日にJohnny MarrのSNSから発表がありました。
最近、Andy Rourkeとの共作の話が出たばかりでした。
個人としては、別に泣くわけでもなく、というか、私は今まで1度も人が亡くなって泣いた事はなく、1度だけ父が亡くなった時だけ涙が流れただけで、泣いても亡くなった人は戻って来ないので、泣く事はないが、言葉もないし、何も言うこともないし、言葉も出ないです。
私がAndy Rourkeを知ったのは、当然、The Smithsなのだけど、最初にThe Smithsを知ったのは、全英TOP20で、チャートにいきなり入ってきたThe Smithsの「What Difference Does It Make?」を聴いた時。戦慄でした。
夜中に聴いた、ギターの音、衝撃でした。
What Difference Does It Make? (Official Music Video)
The Smiths - What Difference Does It Make? (Official Music Video)
この曲の重いベースラインを聴いてみてください。
この映像からのパフォーマンスは本当に「クール」です。メガネ男子にGibson ES-355を持つギタリスト。上下デニムスタイルのベーシスト。ファッションアイコンとしても可愛いこ洒落た感じがいいです。
イメージとしてAndy Rourkeは何となくデニム上下です。
The Smiths以前のPUNKやニューロマは穴の空いたガーゼのTシャツ、モノトーンの尖った服装でしたが、The Smithsはラフだけど、カジュアル。文学青年っぽいスタイル、タートルネックやベレー帽のギター少年が新鮮で、私もこの頃にはデニムのGジャンなんぞを着たりしていました。ジーンズの裾を折ることもやってました。
夜中に聴いた、ギターの音が衝撃だった。
私は同世代の人達から比べ、洋楽・ロックは相当聴いていると当時は自負していて、このギターの音に「未だかつてない音がした!」と思いました。この時、きっと、このバンドは「来る」と何故か1人で妙な確信を持ったのです。
「このバンド、絶対、いいバンドだ」と信じて疑わなかったのですが、学生なのに、なぜ、こういう発想をしたのかは、今でも分かりません。
それから、気づくと、ファーストアルバム『The Smiths(ザ・スミス)』を予約して買います。日本では「徳間ジャパン」からで、それがまたも妙に「え、ここなの」という感触になります。つまり、ワーナー、ソニーとか、東芝EMIとかではない、それが何なのか気になったのです。
結論として、それは何故かなのかというと「インディー」ブームでした。Rough Trade、Cherry Red、4AD、ZTT、Stiff、Factory、Fiction、90年にはCreationもありましたが、「インディー」と言っていますが、インディペンデント・レーベルからレコードがリリースされていたと後で知る事になります。
このインディペンデント・レーベル、インディーズレコードなどもThe Smithsから知るようになりました。
なんとなく、それが当時はカッコいいと思いましたが、今ではRough Tradeは名門・老舗中の老舗です。
セカンドアルバムの『Meat Is Murder』は最高でした。
The Headmaster Ritual
The Smiths - The Headmaster Ritual (Official Audio)
因みに、この曲のアルペジオのリフは弾けるようになりました。
できればライブのような過激さが欲しいところですが、観客が暴れるのはやめて欲しいです。頭の悪い人は暴れると過激の表現が違いすぎるので、解釈が違うのはよろしくないです。
セカンドアルバムの『Meat Is Murder』は最高でした。
このアルバムは海外に行った友人が買ってきてくれました。当時国内で買うより安いからと言われていましたが、さして変わらなかったと買ったレコードを渡してくれながら言っていました。
The Smithsはドラムとベースはリズムをしっかりキープしているところは安定して聴きやすいと思います。特にこの曲のベース、とても素晴らしい。アウトロのドラムとの演奏は必聴です。Andy Rourkeの功績です。
Barbarism Begins at Home
Barbarism Begins at Home (2011 Remaster)
マンチェスターのディスコサウンドだそうです。この曲で、ライブではマーとモリッシーが2人だけで踊りだす映像を初めて見た時には感動しました。その間、アンディとマイクだけが演奏していますが、2人とも踊りを見ながら、同じパターンを演奏したり、「いつ終わるの?」的なアクションもします。忍耐あるなぁと、別に私が心配することでもないのですが。
ただ、ライブ観たかったなって思います。
『Meat Is Murder』のジャケットの写真は、米国のマイケル・ウィン伍長で、ベトナム戦争で戦った1967年に撮影されたものとなっている。オリジナルの写真ではヘルメットには「Make War Not Love(愛し合うのではなく戦争をするんだ)」と書かれていたそうです。
それを『Meat Is Murder(肉殺人者:肉を食うなー)』って、日本でも高度成長時代後の子供達は戦争を知らない子供と言われ、飽食の中で生まれ、物で溢れた世界でのうのうとバブルを謳歌したと言われていた世代の子供もおりました。
米国ではヴェトナム戦争、戦争よりも平和よりも、極端な食生活を選ぶ人種に見られましたが、反戦ヒッピーの人達にどう移ったのでしょう。
多くのバンドは、フロントの人が何を言いたいのかはともかく、ファンの女子はなぜかフロントマンのことを色々言います。「メガネ男子」とか、花束最高〜!とか、女性はそう言うガジェットに気づくのは上手いです。
また、ギターのキラキラの音がすごい、すごい。ここでも女子はギターの彼には彼女がいることに気づくのが早く、彼女とのことをいいわね的に思いつつもギタリストのモチベを上げる褒めが上手い。羨ましい。
The Smithsは最初から人気者になる要素をふんだんに持っていたと思います。
William, It Was Really Nothing
The Smiths - William, It Was Really Nothing (Live on Top of The Pops '84)
太った女に言われるウイリアムに「気にするな」って呼びかける歌なのですが、綺麗なギターはいいのですが、歌詞の後半から、キツイ感じになってきます。こうしたシニカルなモリッシーは当時の若者の代表であり、英国では人気者でしたが、日本には見向きもしなかったのでしょう。80年代は。
当時は学生なので夜中にラジオを聞いていると親に怒られるのですが、土曜の夜中に全英TOP20は放送していたので、イヤフォンで聞いていました。
私は80年代らしい社会に絶望する学生で、その頃には「デザイン」「イラスト」「音楽」のどれか、または「ファッション(洋服)」で将来、なんとからないのかなって漠然と考えていた頃でした。
『The Queen Is Dead』は私の仏壇に飾っても欲しい作品だと思います。私が亡くなった後、ぜひ、私の仏壇にこのアルバムを飾ってくださいと、思います。
そして、気づいた時には『The World Won't Listen』になっています。日本にはThe Smithsの詳しい情報は多くは入ってきませんでした。
Sheila Take A Bow
The Smiths - Sheila Take A Bow (Official Music Video)
Rough Tradeと揉めていたという話が聞かれてはいましたが、その間、結構、キャッチーなシングル曲が聴かれるようになりました。
ただ、MVもデレクジャーマン三部作以外はまともに日本では見る事もなく(それでもTVKのSONY MUSIC TVで特集でまとめて放送された)、この時点で、私はThe Smithsに失望したと言うか、全然わからないし、12inchはリリースされたのだけど、雑誌ではもうマーやモリッシー達の軋轢しか書かれていない上に、結局『Strangeways, Here We Come』前に解散となりました。
ただ、私個人にはその時の会社の人が、私がThe Smiths好きとどこかから聞いていたのか、1本のダビングテープを持ってきてくれました。
その中には、一度も見たことがなかったThe Smithsのライブが収められていました。
『Rockpalast』と言うドイツのTVライブショウの番組で1984年に放送されたものでした。この映像の最後の曲として「Barbarism Begins At Home」が演奏されます。先に書いた、マンチャスターのディスコサウンドと言っていた、ダンスタイムも出てきます。
今にして思えば、「ここで踊っている」と思うところですが、この時はAndy RourkeとMike Joyceしか写っていなくて、特にMike Joyceは固定カメラで3パターン。この二人が交互に切り替わるだけなのです。
今、見直すと、確かにマーとモリッシーが踊っているのですが、今に思うと当時の私は、これを毎回ライブでやっていると全く思っていなくて、そればかりか、スタジオライブだし、ドイツの番組だし、と、ここだけの、TV用の踊り、TV用のパフォーマンスと思い込んでいました。
そして、今、この映像をマジマジと見ながら、「こんなに演奏が上手いのか」とか、「声がひっくり返られないんだ」、意外にもプレッシャーもなく通常演奏しているThe Smithsに驚きしかありませんでした。
これでライブをやっていたって「完璧」としか言いようがなく、感動しました。
(The Smithsやっぱり最高だった!信じてよかった!)
この画像ですが、見るとベースが使い込んでいて塗装が剥げているところも職人っぽいと言うか。あげく、白のポロシャツ(!)。白のポロシャツのライブって、それまでのロックバンドには見なかったと思うのです。
このマーもですが、スカートではなく、腰にカーディガンを巻いているのですが、なんでこんな動きにくいスタイルなのでしょう?と思いつつも、確かにこの格好、当時、やってましたよね?オシャレな若者、これでした。
「ディスコ・ターイム!行くぜー!」とマーさんが言ったかどうか分かりませんが、準備はいいかい?って感じで、カメラ目線で見ます。
このギターもGibson ES-355です。1984年なのでこのギターが活躍しています。(この曲の前にはリッケンバッカーを使っています)
この視線の先は当然、マーとモリッシーですが、口は「おいおい」なのか、「はぁ〜?」なのか、ちょっと微妙です。
このやり取りを、普通のステージでは少々長めにやっていたのだと思います。
Andy Rourkeが亡くなって、もう2度とThe Smithsと言うバンドが戻ることはないと確率が上がりますが、きっと、私はこれでもかなり本当は動揺していて、The Smithsが自分の時代の中で、一番好きなバンドだったのかなとか考えています。
あのダビングテープで見ても「これが事実」と認識できなかったのは、全てが終わり、何も望みもない現実を認めたくなかったのかもしれないなぁと思って、今回は動揺した心を押さえつつも、散乱した文章を書いてしまったと思いながら、終わります。
ちなみに、この記事ですが「Andy Rourke on D.A.R.K, pre-show nerves, the bass he can't live without and more」つまり「ベースなしでは生きていけない」です。
The Smithsの解散は1987年9月でした。4枚目のアルバム発表前で、ライブは4月10日に英国のTV番組「The Tube」で2曲(「Sheila Take a Bow」「Shoplifters of the World Unite」)演奏しました。
映像はYoutubeで見ることができます。
【記録】
The Smithsのライブ活動 7年間 1982〜1987年
※1986年のみ(Craig Gannon参加)
(Queen is Dead ツアーが見たかったと思うばかりなり)
Andy Rourkeに向けたジョニーとモリッシーの追悼のテキストとコメントです。
ジョニーからは長い間、一緒だった、友人であり、兄弟とも呼べるほどの仲のAndy Rourkeへの心に染みる文章でした。
モリッシーはシニカルで、数々の歌詞にある美学というか、いずれにしても文面は美しいです。
参考
改訂:2023年5月21日、「デスマス」に統一するため。言い切りを変更。
最後にメンバーシップも始めています。
次回は、80年代や、90年代や、バンド・ニュースもしくは、ライブレポート、メタル、Black Metal、MTVシリーズなどのどれか。
ご清聴ありがとうございました!