実家に残されたプロペラは1922(大正11)年に製造された日本楽器製造の木製プロペラですが、『プロペラと日本楽器製造株式会社(ヤマハ・ヤマハ発動機の前身)』の記事で少し触れたように、軍では1931年から金属プロペラの製造を開始し、1937年頃からは戦時色が強まることで金属プロペラのウエイトが高くなっていきます。
リンク先の『やまももの木は知っている』にあるように、軍は金属プロペラの製造を日本楽器製造だけでなく「住友金属」にも依頼しています。
今回は住友金属と金属プロペラの関係の情報を集めました。なかなか情報がヒットせず、やっと見つけたサイトがこちらです。
金属プロペラは一部日本楽器製造会社とともにわが国生産の大部分を占めていたと書かれているように、『やまももの木は知っている』に書かれていた金属プロペラの依頼先の内容と一致することと、そこに書かれていた「住友金属」とは「住友金属工業」のことだと伺えます。
また、住友金属工業は昭和12年(1937年)にプロペラ製造所を設置とあり、1937年頃からは戦時色が濃厚となると共に金属プロペラのウエイトが高くなっていくこととも一致します。
1945(昭和20)年には空襲で住友金属工業のプロペラ製造所の大半が壊滅するも8年後には再度プロペラ部を新設し、1961(昭和36)年には住友精密工業が継承とのことで、長い間プロペラ製造に関わっていたことが分かります。引用したページに書かれている住友精密工業株式会社のホームページのリンクは切れてしまっていますが、貴重な情報が残されていました。
住友金属とは住友金属工業のことだと分かったので、住友金属工業のWikipediaを確認しました。Wikipediaによると住友金属工業の設立は1949年ですが、1935(昭和10)年に住友金属工業として発足とあるように、軍が金属プロペラを依頼し始めた時期とも合致しています。
軍の金属プロペラ製造の依頼先の「住友金属」とは、「住友金属工業」で間違いなさそうです。
ここで、『やまももの木は知っている』より抜粋します。
ここに書かれていることは、陸軍のプロペラは日本楽器、海軍の分は住友金属ということです。そして軍の要求表とは、陸軍と海軍どちらなのか合わせたものなのかはっきりしません。
陸軍と住友金属の関係を調べてもこれ以上情報は出てこず、陸軍が直接住友金属にプロペラを依頼していたかは分かりませんでした。ただ、海軍は住友金属工業にプロペラの製造を依頼していたことになります。
ちなみに、最初の引用先に書かれていた住友金属発足前の住友伸銅鋼管の工場は伸銅鋼管桜島工場。発足後はここが住友金属工業製鋼所となりましたが、この敷地の一部と日立造船桜島工場跡地は、現在のユニバーサル・スタジオ・ジャパンです。
なぜこの跡地に人が集まる娯楽施設を作ったのかは、また別のことが関係していると考えています。
時系列でまとめると
1931(昭和6)年 軍で金属プロペラ製造開始
1935(昭和10)年 住友伸銅鋼管と住友製鋼所が合併して住友金属工業を設立
1937(昭和12)年 住友金属工業はプロペラ製造所の開設
1937(昭和12)年 日本の飛行機は金属プロペラ製造のウエイトが高くなる
軍が依頼したプロペラの製造先
・木製プロペラ→日本楽器製造(現在のヤマハ発動機、ヤマハ)
・金属プロペラ→日本楽器製造、住友金属工業(現在は住友精密工業が継承)
陸軍:主に日本楽器製造に依頼
海軍:主に住友金属工業に依頼