運命の2/1。戦った1週間。どん底にかかってきた1本の電話
正直受かると思っていた。
偏差値的には少し足りなかったけど、過去問は、いつも合格者最低点を上回っていたし、その年の実質倍率は、女子が下がっていて2倍以下だった。これなら大丈夫という期待感も高まっていた。
塾の先生からも「得意な国語で得点を稼げればきっと大丈夫です」そう、何度も言ってもらっていた。
前日の塾の壮行会で、先生や塾のお友達からのたくさんのメッセージが書かれた色紙を嬉しそうにもらってきて、いよいよ本番突入という緊張感はあるものの、いつもの落ち着いた様子に見えたし、体調だって万全だった。
だから本番の1回目入試2/1、保護者の待機場所として用意されていた学校の講堂で試験が終わるのを待ちながら、
『合格おめでとう。3年間よく頑張ったね』と合格するであろう娘に向けた手紙を書いていたほどだった。
でも1回目の合格発表。
緊張して開いたパソコンの画面に娘の受験番号はなかった。
不思議と本人も私たち家族も悲壮感はなかった。
それよりやるべきことが山積みだった。
「大丈夫2回目があるよ!ママはこれから2回目の申し込みに行ってくる。さくらは塾に行って、2回目の試験対策を先生がしてくれるっていうから、今日の問題でわからなかったこと聞いておいでね。大丈夫。きっと2回目で受かるから」
あの当時、1回目の合格発表の後、2回目受験をする人は、お金を直接学校まで払いに行くというシステムだった。
夜の薄暗い寒空を歩いて駅まで向かう頭の中では、とにかく今できることは何か必死に考えていた。
そうして受けた、2月3日。
第1志望校2回目受験。
試験を終えて出てきた娘は
「全部書けたよ!」と少し微笑みながら、明るい足取りで戻ってきた。
良かったね。これならきっと受かってる!大丈夫きっと大丈夫。
算数の問題用紙には、余白が真っ黒になくなるほど、計算がびっしり書きこまれていて、最後の1秒まで諦めることなく必死で戦った様子が伝わってきた。
そして2回目の合格発表。
娘の受験番号は、またもなかった。
娘は初めて泣いた。
「全部できたのに。ちゃんと全部書けたのに…!」
と布団にくるまって大泣きした。
「さくらは頑張ったよ。ホントに頑張ったもんね。きっと1点とか2点の差だよ。つらい想いさせてごめんね。、えらかったよ。」
そう言って私も一緒に泣いた。
そこからの記憶は、情けないけどあまり鮮明には覚えてなくて、娘のモチベーションも上がらないまま、受けても受けても、合格発表のリストに受験番号は載ってなかった。
結局、第一志望校含めて6校分全8回の試験をすべて受けきった。
倍率が1倍以下の伝統ある女子校1校以外、すべて不合格という結果だった。
月曜日に始まった2/1から、5日目の金曜日。
これで最後の出願。その試験を終え
帰りの電車の中。
娘の思いは
「これでやっと学校に行ける」
「早く学校に行きたい」
それだけだった。
そして、2人並んで電車に座っている時、私の携帯の電話が鳴った。
第一志望校の学校からだった。
『志望校の電話番号は、試験に遅れたり、何か連絡が入る場合がありますので必ず登録しておいてください。』
と塾からそう言われていた。
もしかして繰り上げ合格の連絡かもしれない!
電車の車内で電話に出たらいけないということはわかっていたけど、私は早く出なきゃという想いで小声で電話に出た。
「辞退者が出ましたので、娘さんが合格となりました。おめでとうございます。どうされますか?」
こみ上げてくる感情を必死で抑えながら、小さな声で「ありがとうございます」と返事をしたと思う。
電話を切って『合格だって!!』と抱き寄せながら伝えると、少し涙ぐんでうれしそうに頷いた。
最後の最後に受験の神様が微笑んでくれたのだろうか。第一志望校に繰り上げ合格という結果で娘の中学受験は終わった。
最後まで逃げずに本当に頑張ったと思う。
色んなことが一気におこりすぎて、ドラマのような展開にしばらくは喜んでいたけれど、やはり普通に『合格』という喜びや経験をさせてあげたかったなと、今でも思う時がある。
そして、幸運なことに第一志望の学校に入学できたことが、長い試練の始まりになるとは、この時はまだ知らなかった。
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