見出し画像

「でない方」とsubculity .雑感


最初に述べておく。subculityは僕の造語である。検索しても出て来なかった。
詳細な意味は後述するが、「サブカル性」くらいの意味で認識しておいて欲しい。



某アーティスト曰く


きっかけは、某有名アーティストが「自分サブカルなんで〜」と語っているのを動画で見たからである。そんなにメジャーなメディア出てるのに?と思った。

この時は自分の成果をどういう順番で発表するか、という話をしていて、世間受けしそうな(=メジャーな)成果はなるべく発表したくないんだが、食い扶持を稼ぐ為には少しくらいは出していかないと、ということだった。

つまり、バズって資本主義経済に乗るような承認のされ方はしたくない、ということなのだと理解し、ここでメジャーの対義語としてのサブカルを意識した。
「発表する成果を選択する自由をもつ為には承認されるだけの実力が必要」とも言われていたし、それができるから有名なのであるが、やろうと思ってできる類のものではない。

この人は有名ではあるのだが、「自分の作品は20%くらいの人しか本来の意味を受け取ってなくて、大半は誤解している」と話されていたので、「一部のコミュニティでしか理解されない価値観」としてのサブカルは、どんなに有名でも成り立つのだな、と納得した。
そもそもこの人は話している言葉からして哲学的で、アイコン的なフレーズですら字面の一般的な意味とは異なるニュアンスで使用している(気付くのに1年掛かった)。

サブカルとは


ここで、サブカルという言葉についてみていく。
専門家がいるような概念なので、詳細はwikiって欲しいが、ここでは概略だけまとめる。
・サブカルはサブカルチャーの略で、和製英語
・サブカルチャーの対義語はメインカルチャー
・1970年代前半までは欧米でカウンターカルチャーという意味で使われていた
・日本にサブカルチャーという言葉が入ってきたのは1980年代
・日本ではハイカルチャーに対して下位文化と訳された
・ハイカルチャーの対義語として使われることもあるが、完全に対立する概念ではない
・時代変遷により対義語のメインカルチャーがハイカルチャーから大衆文化へ変わっていった為、サブカルチャーとされる対象も変わっていった
・メディアミックスの影響もあり、個別具体の対象はメインカルチャーとサブカルチャーで明確に分けられなくなっている
・日本でいうマイナーな趣味としてのサブカルは当初、本来の意味の拡大解釈だった
・日本の中でサブカルという言葉は独自進化を遂げたが、人により対象は複数あり、定義は曖昧

学術っぽいところはこんな感じだが、サブカルで連想されるのは、オタク、アニメ、アイドル、秋葉原、渋谷、趣味コミュニティ、SNSの繋がり、あたりだろうか。有名所だとビレッジヴァンガードはサブカルを標榜している(僕的にはあれは既にメジャーだと感じるが)。

インターネットによる影響


インターネット、SNSの発展がサブカル周辺の人々の繋がり形成に寄与したのは間違いない。なにしろ自分の好きなものを好きな絶対的な人数が少ないので、その昔は雑誌やラジオや人伝、手紙、オフ会などで交流を図っていたのだ。
「自分(たち)だけがこの価値を解っている」「あいつら(世間一般)は解っていない」というのは、メジャーの方から見れば負け犬の遠吠えであるが、マイナー側から見れば優越感であるので、主張は擦れ違ったまま交わらない。
また、メジャー=資本主義経済で、最大公約数に受けることを目指した金儲けの為のビジネスだ、という見方もある。サブカル文化だってグッズ発売に狂喜乱舞している辺り、資本主義にはしっかり取り込まれているのだが、何しろ人数が少なく全体のパイが小さいので、エッジが効いた(当事者に刺さり易い)商品展開となる。

メジャー=オールドメディアと考えた時、対立概念はニューメディア(インターネットやSNS)になるのは間違いないが、SNSが即ちサブカルか、と言われると違う気がする。
インターネット上では趣味嗜好が個別分散しているだけで、メインに対してマイナーという構図にはなっていない。寧ろインターネット上でのメインが生まれ、その周辺と、その周辺から断絶した界隈と、みたいな拡がり方をしている。

言語と非言語


僕の周りの科学者は言語化以前の概念を扱っていて、まだ言葉として存在していないこと、言葉には落とし込めないがソリッドな存在やコンセプトについて論じ合うのが普通だったんです。
 でもMBAを持っているような人たちの多くは言語脳なので、「何でもいいから言葉にしてくれ」と言われる。
(中略)
これが非言語の世界と言語の世界の衝突で、このときにIQとはまったく別に、世界には言語でしか物事を考えられない人が大量にいることを思い知りました。

安宅和人 | ニューロサイエンスとマーケティングのあいだで考え、人間と自然とのあいだをつなぎ直す


ここでは言語=メジャー、非言語=サブカルという構造で考えられる。メジャー=大衆(文化)、サブカル=オルタナティブと読み替えても良い。
意味を明確にする為に対義語を多用しているが、注意して欲しいのは、これらは二者択一ではないということだ。この文章の中に二者択一は1つもない。二項対立には関連がある

メジャーの対義語はマイナーであるが、サブカルは少数派な訳ではなく、マイナーの集合体としてメジャーより人数自体が多くなることは可能だと思っている。


僕は映像で世界を認識しているのだが、言葉がないと映像も浮かばない。けれど映像がないと言葉にも落とし込めないので、言語は映像のzipファイルみたいなものだと思っている。

僕は日本語で詩を書いているので、このnoteでも言語化に触れる機会があるのだが、前提条件として、言語化した段階で行間に落っこちて行く意味があることは理解している。
映像をすべて言葉に置き換えることはできない。
その行間に落っこちたニュアンスまで含めたい表現が文学作品である。事実の伝達を目的とした学術論文と違って最適解が存在しない。

その上で、言語化することで見える繋がりも、抜けていた視点の発見もあるので、言語化出力自体は意味があると思っている。頭の中で考えているだけでは、完全な言語化ではないのかもしれない。取り出して眺めないと。

subculityの意味


やはりどこかで「○○である」って言わないと建設的なコミュニケーションは生まれない。そのほうが絶対に健全なものになる。ただ、それで健全なコミュニケーションにはなるのだけれど、相手に対するマウンティングの欲望などとはまったく関係ないところで、「○○ではない」っていう言葉の積み重ねでしか表現できないものはやはり確実にあるわけです。

深田昌則 | 対立でも破壊でもなく、「第三の軸」を探し出す


冒頭の、「自分サブカルなんで〜」から僕が読み取った意味合いとしては、
・自分は大衆文化を牽引していく存在ではない
・アテンションエコノミーとして承認は求めない
・万人受けを目指さず、自分の軸でやりたいことをやる
・一般とは違った視点に価値を見出したい
辺りである。(勿論実際に何を考えての発言かは分からないので、これには僕の考えが多分に反映されている。念の為)
この「メインカルチャーではない」という雰囲気を単語で表せないかな、と考えた。

意味合いとしてはオルタナティブも近いが、オルタナティブだと代替できるまとまった対象なので、その対象に含まれない周辺部まで含めるニュアンスで使いたかった。
ちなみにalternativity という単語は存在し、代替的性質と訳される。数学で使われるらしい。

研究者ではない当時の若者たちにとっては学術的な正確さよりも、サブカルチャーという言葉の持つ、差異化における「自分たちはその他大勢とは違う」というニュアンスこそが重要であったともいえる。

「サブカルチャー」Wikipedia


サブカルはsubculなので、形容詞を名詞に変える接尾辞「-ity」を付けてsubculityとしてはどうだろうか、というので冒頭に繋がる。サブカル自体が日本語なので、日本で大事にされたニュアンスが入って良い感じでは、と思っている。
簡単な言葉の組み合わせなので、その内他に使う人がいるかもしれない。


だからどうした、という話ではあるのだが。

今回は自分の思う片鱗性について言語化を試みた。以上!



いいなと思ったら応援しよう!

ゲンヤ(詩人)
応援頂けると励みになります。