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下弦の月ノ女神 第4話「無敵無邪気天然ズボラ」

気づけば時計は5時を回っていた。
堀田は比較的綺麗な白い上の壁を見る。

 丸いカラフルな、子供のような丸い時計が壁にかかっていて、いかにも君野っぽい。
 しかし少し目を落とすと、彼の机は紙屑や、散らばった教科書やマンガ、コンビニの袋が何も入っていないのにそこら辺に転がっている。ゴミ箱のまわりはティッシュや靴下などが囲んでキャンプファイヤーでもしているようだ。

 なんとか、自分の座っている場所は綺麗にしたが、目の前の机も埃がかぶっている。ベッドの上も朝そのまま出てきた形跡が残っていて、布団のこんもりした穴から蛇でも出てきそうな穴倉ができている。

「こんなつもりじゃなかったのにな…。」

 堀田はそう言いながら、自身の着慣れない上着に目を落とす。
 これは君野が間違ってサイズオーバーなシャツを買ってしまったという。
 俺の制服は今洗濯を終えて君野の家の乾燥機で回ってるらしい。

「はぁ。」

 帰る頃は7時になりそうだ。こうなったのも、アイスを食べ終わって駅を出て、車が停まれるエリアに移動していた時
 後ろから猛スピードで車が通過してきた。

 横に泥の含んだ水溜りがあるのに気づく頃には堀田も君野もドロドロになってしまったのだ。

「うわ!!なんだのあのヤロー!!」

「ごへっ!」

 君野は鼻に水が入ったようだ。
 堀田も君野も泥がついてしまい、
 仕方なく君野を迎えにきた母親のご好意に甘えて
 とりあえず電車で帰宅できるような服装になることにした。

 君野の母親は君野と顔がそっくりで、おっとりした人でなんとなく遺伝の強さがわかる。

 そんなことはどうでもいいが、
 この埃臭い君野の部屋をなんとかしたい衝動に駆られる。

 バタバタバタバタ…!!!

「ん?」

 すると、ものすごい勢いで走ってくる音がする。
 子供が幼稚園で親が迎えに来たようなテンションのような、軽い足音だ。

 ドタドタドタ…!

 ガチャ!

「堀田くん!堀田くん!」

 そこにはハイテンションの君野がまだしっとり濡れた髪をびちゃびちゃに揺らしながらタオルに首をかけTシャツに短パンとラフな格好で入ってきた。

「なんだ!?」

 その勢いに圧倒されていると、君野は堀田がもたれかかるベッドに乗っかり突然トランポリンのように跳ね出した。

「堀田くん!堀田くん!みて!僕無敵だよ!!」

「ちょっ!お前!つめたっ!!」

堀田の顔に君野の髪の毛の水滴スプラッシュが被弾する。
君野が弾むために、ベッドの揺れで堀田は体のコントロールが効かず後ろに倒れてしまう。
 君野はそれに構わずぴょんぴょんと跳び続ける。

「ほら、体が濡れてると汗かかないでしょ!乾いてないし汗でないから僕は今の時間無敵なんだ!」

 ズルッ

「うわっ!」

 そう無邪気に跳ねていた君野は、ジャンプをした時にバランスを崩し、足が滑って床に落下した。

ドサ

 ホコリが舞う。途端に静かになった室内。
 君野が倒れた下にあった、ベットの下の謎のプリントが出てきてこんにちはする。

「…おまえさ」
 
堀田はぺちん!と君野の頬から音をたて、その顔を両手で横から挟む。
 その呆れた顔は君野のせいで濡れている。

 そしてため息をつくと

「もう、な。色々言いたいことある。けど一個にするわ。あのな、風呂から出たら髪の毛はしっかり拭けよ!風邪引くだろ!」

 と、君野の首に掛かったタオルでまだびしょ濡れの髪の毛を拭いてあげた。
君野のあどけない丸い大きな目が、上目遣いで堀田を見ている。 

 
それに対しこの時一見不服そうな堀田だが、実はその表面と心内には乖離があった。

 -なんだコイツ!!くそぶるかわいいかよ!!-

 と、たくましい手で髪の毛をふいてあげる間、心内では大興奮しているのである。

 今思い出した。確か、入学式の時に誰かが言っていた気がする。
 健忘症になる前、君野は
 サッカー以外はポンコツで天然だからと。

 サッカーができなくなるとこんなにも幼くなってしまうのか?
 あんなストイックなやつが、今では亡くなった弟のような、可愛さしかない。

「うう〜気もちぃぃ〜」

 君野はそんなリラックスした声を出していた。
 それにさえもまた、堀田は喜びを感じてしまっている。

 そうか、アイスを食べていた時も特別な気持ちを感じたのはこういうことだったのか。

 俺はまた、世話が焼けるとときめいてるのか…  
 堀田はそう、長い間、消えない暗雲に少し後光がさしたような気持ちになった。

 けど、君野は赤の他人だ。そんなふうに思えば相手にも迷惑だろう。

「ありがとう堀田くん。」

 髪の毛が拭き終わり身が自由になった君野。思い出したかのようにリュックから取り出したのは今日アイス終わりに見かけた雑貨屋のキーホルダーだった。

 君野はそれをお楽しみ袋を開けるかのように開封して中身を出す。
 たった300円の、丸い500円玉サイズの透明なプラスチックにただ漢字で達筆に「弟」とあり、それがキーホルダーになってるだけのもの。
 堀田もまた、その場のテンションでお揃いの「兄」バージョンを買ってしまった。

 だが、君野はそれを嬉しそうに両手で持って眺めている。

「そんな嬉しいか?」

「うん!僕の宝物だよ!絶対に無くさないようにしよう。」

 と言って、それをリュックにつけたが、丸い部分は透明な包装紙包んだままだ。

「つけてた方が僕の場合はなくさないんだ。」

「まあ、300円の安っぽいやつだし、どこかに売ってそうだけどな。」

「堀田くんと買った思い出に価値があるんだよ。健忘症に負けない!僕絶対今日のこと忘れないから!」

 そう屈託のない笑顔で笑う。
 
はぁ、キュンキュンする…

 心が釣り上げたばかりの魚のように瑞々しく跳ねる。
 その心を悟られないように、堀田はそっけなく振る舞う。
 皆のイメージを崩したくないと生きてきた人間だ。
 そう簡単にそれが治らない。
 それに
 明日、学校でこいつと仲良くしてるかはわからない。

 それなのにも関わらず、堀田は何故か話すつもりもなかったことを次に口に出していた。

「俺さ、実の弟がいたんだけどこの学校に入った頃に病死したんだよ。本当は心がずっと空っぽで、そのこともあってさ…俺自分でも言うほど結構なブラコンなんだけどさ、お前みてると思い出すわ。」

「そうなんだ。でも堀田くんの弟だったら人生幸せだっただろうね。」

「なんでそう思うんだ?」

「だって!いいところしかないもん!僕本当弟だったらよかったなって思ったよ。だから毎日バスタオルで頭拭いて欲しい!」

「あのなぁ、俺は美容師でもお前の母ちゃんでもないんだぞ。」

「お兄ちゃん!」

 君野はそう甘える声でわざとらしく言った。
 それにまたわざとらしいジェスチャーで首を傾ける堀田だが、内心はその久しぶりの呼び方に今日イチの胸の高鳴りを感じていた。

 次の日

「おはよ!ゆうじゅー!」

「おはよう堀田。」

 1年2組の教室には、部活で黒く焼けた友人らと美咲がいつも通り。美咲は自信満々に、香水の匂いのする全身をふりふりさせて話しかけてくる。

「ああ、おはよ。」

 座ったついでにチラッと後ろの席を見る。
 相変わらず君野は本を1人読んでいて、隣にはまだ桜谷がいない。

 しかし昨日との違いには、机の横のリュックにはあの「弟」キーホルダーがついている。

 一方で俺は、そのキーホルダーをどこにもつけていない。
 その日の午前中、俺も君野も話すチャンスはたくさんあったが、お互い接触することはなかった。

「おい君野。金返せよ。」
 
例のいじめっ子がまだ彼に金をたかりに来ている。

「あっ、僕お金貸したっけ…。」

 ことの顛末は同じだ。
 君野はまた、空になった財布を投げられ、黙って拾うことしかできない。

 俺もまた、それを見ることしかできない。

「ゆうじゅ!なにしてるの!」

 美咲は目の前の光景に、なにかしたげな俺の腕を掴む。

「いきましょ!カンケーないじゃん!あんな落ちこぼれ、相手にしたって人生に何の得ないよ!」

「…。」

 美咲はマネキンのように動かない俺の腕を大きなカブを引っ張るかのように君野とは反対側に連れ去る。

 その時、財布を拾った君野と一瞬目があったが、
 あいつはすぐに目を伏せた。

 なぜ助けてくれないの?そう言いたげだったのかもしれない。

 俺もなんで助けてあげないのだろう
 美咲のか弱い力に俺はなぜ対抗できないでいるのだろう。

 なんで君野を助けたら、
 壊れるものがあると思い込んでいるのだろう。

 続く。


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