第25話「蝉とピアノ」
「…。」
君野は右のトンネルを選んだが不安だった。本当にこの道であっていたかどうか。さっきの男の人の方が良かったかもしれない。
だってどう見たって、目の前の化け物は桜谷さんじゃない。
「あ、あの…。」
君野は隣にいる黒いモヤの化け物に話しかける。
すると君野を食べても大豆にしかならなそうな大きな口と、大きな鳥よけのような目玉がぎょろっとこちらを向く。
「怖い!」
君野がそう言うと、化け物は途端に空気が抜けたかの様にしゅるんと小さくなった。
街で見かけるカラーコーンくらいの大きさになり、君野より少し小さい。
「なんでもできるんだね!」
「あなたのためならなんでもできるわ。」
「見た目もっと桜谷さんに寄せて欲しいけど…。」
君野がそう答えたが、化け物の見た目は変わることなかった。
「ここどこだか知ってる?」
「あなたの心の中よ。私の住処なのに侵入者が入ってきたの。」
「どう言うこと?僕の心なら僕のものじゃないの?」
「もちろんあなたのものよ。でも私のものでもある。」
「…僕の心の中ってこんな、寂しいものなの?」
「ううん。普段ここは商店街みたいになっててお祭りみたい。君野くんの大好きなものしかないわ。ほとんど子供が好きそうな食べ物。あなたの家族の家と、商店街の優しい人、いつも商店街の真ん中に堀田くんがいつもいる。」
「ふーん。」
その時
またくすんだピアノの音がトンネル内に流れ出した。
「ひっ!?やだ!」
と、君野はその場で耳を塞いでしゃがみ込む。
「助けて桜谷さん…!」
「私が助けてあげる。」
とそのどでかい鋭い牙のついた口をガバッと開いた。巨大な凧のように再び大きくなる化け物。トンネルいっぱいに口が広がった。
「なにするの!?」
と、君野がコンクリートにお尻と手足をつけ、恐怖でいっぱいになっているのも気にも止めず
そのまま彼を飲み込んだ。
君野はそのまま真っ黒なウォーターベッドみたいに柔らかい真っ暗な空間に閉じ込められた。まるでドッキリで座る場所が抜けた時の無様なタレントみたいに、1人では立つことができない。
そこは次第に君野の形に合わせて周囲がコンクリートのように固まっていく。洞窟に自分の型をとってそのまま埋葬されたような気持ちだ。
君野はそこに閉所と不安と恐怖に煽られ、暴れることもできない空間にだんだんと冷や汗が出る。だが、まだあの怖いクラシックの音は聞こえている。
「出して!お願い!桜谷さん!!怖い!」
しかしそれどころではない、泣きそうな君野の声が化け物の口の中で響く。
「いっぱい泣くのよ。私のことしか考えられなくなるまで泣けばいい。そうすればこんなピアノの音なんて蚊がきたら潰す程度の音にしか感じなくなる。」
「出して!!!!出してよ!!!」
君野が絶叫する。その間にピアノの音は消えてしまった。
すると、そんな君野をぺっと吐き出すように化け物は外に出してあげる。着地の衝撃は君野を吐いた時にでたヘドロのようなものがクッションになった。しかし、自力で起き上がれないほど滑るスライムのようで、肩で息をする君野に粘っこい水面が逐一できる。
「はあ…はあ…。」
その上で大の字になる君野。顔は真っ青だ。そんな君野の頭を化け物から出た小さな突起みたいな手が彼の頭を撫でる。
「ほらね、私がいれば大丈夫でしょ?」
大きなギョロリとしな目が君野を見下ろして目を細めていた。
「君野!お願いだ。そっちに行ことしないでくれ!」
一方堀田は、目一杯励ました君野を送ろうとしたはずが、彼は改札前で突然駄々をこね、また来た道を戻ろうとしていた。
「帰りたくない。」
「帰りたくないってどこに行こうとしているんだよ?」
「宮塚くんに会いに行くの。」
「だめだ!絶対に!」
と、手を引っ張り引き止めた。しかし引っ張る君野が斜めになるほど、その力は強い。
「頼むからそんな事言わないでくれ!」
「行かなきゃ…。」
その時、近くの横断歩道が青にかわり、人が渡り始めると「通りゃんせ」が流れた。その通りゃんせに君野は
「あれ、いつもわたる時、ここピアノだったっけ…。」
「ピアノ?」
そして、通りゃんせが終わると駅の方から電車が発車する時に流れるいつものメロディが。
「ここもピアノだ…。宮塚くんの弾くメロディの音がする。僕は、やっぱり宮塚くんが大好きなんだ…!」
と君野はさらに堀田の手を振り切ろうとして彼の家へ向かおうとしていた。ピアノではない。横断歩道の「通りゃんせ」はかなり無機質な音だ。駅の音だって、絶対にピアノではない。しかし、堀田は君野の両腕を掴んで彼が観念するまで攻防を続ける。
君野の力では、本気で力を出した堀田には勝つことができない。次第に君野の抵抗力は弱まった。
堀田はその隙に君野の耳を見る。片耳にワイヤレスのイヤホンがついているが、それを取り出す。
「何も流れてない…。」
とそのとき
ミンミンミンミンミン…!!!
その直後、堀田は宮塚につけられた先程のイヤホンのように、このイヤホンからも蝉の声が流れた。
「うわ!?」
と、イヤホンをの音調整を間違ってイジって最大にしてしまったかのような、耳をつんざく音だ。
おもわず地面に落としてしまったが、それから耳をいくら当てても聴こえることはなかった。これは、幻聴だったのだ。
「だめだ…思い出すな…。」
堀田はその音を思い出すと体に悪寒が走る。それと同時に、これは俺への罠だったかもしれないと思い知る。
お前はまだ操られているという、メッセージだ。
「こんなことじゃ、君野を助けることなんてできないだろ。」
と、自分に言い聞かせる。そうだ。君野を助けることが洗脳の克服につながるんだ。
確か、宮塚の母、俺の母の姉ちゃんはピアノ講師をしていた経験がある。俺もまだ小さい頃にはあの家に通っていたが、確かに1台のピアノが家にあった。
音を聴いたときにその音の高さを正確に判断できる能力は「絶対音感」と言う。その時に習ったのだ。
しかし俺は絵や図工で作るものは賞を取ったことはあるが、音楽に関しては才能を開花させることはなかった。
だが、宮塚がピアノで超人的能力を発揮したならば、これらの日常の音をピアノに変えてしまったために、今の君野には宮塚の音しか聞こえなくなる呪いをかけられたのだろうか?
「なあ、君野!」
「っ!?」
また君野を呼んだ時だった。君野が突然強い力で堀田の腕から逃れ、恐ろしいという顔で耳をふさいだ。
「あ…ああ…」
今まで見たことがないような絶望的な顔で、少し後ろに下がりながら耳を塞いだまま。目からは次々と涙が流れている。
「どうした?」
「もう喋らないで!堀田くんの僕を呼ぶ声がもう同じ様にしか聞こえない…!お母さんと同じ…呼ぶ声がくすんだピアノでかき消されてる…!」
君野はその事がとてもショックだったのか、ボロボロと泣き崩れる。
そうか…さっき喋りたくないって言ったのはこういうことだったのか!大切な人の声がくすんだピアノの音に変化していくって、なんて酷い…!
こうして自分の声だけしか聞こえなくすることのどこが「愛」なんだ!
「…。」
堀田は喋らないまま、君野を落ち着かせようと抱きしめて背中をさすった。しかしその顔は神妙だ。濃い顔にさらに深い影がさす。
このままじゃ…。俺の呼ぶ声まで侵食されていく…。
「なあ、今日家に泊まっていかないか。俺、このままお前を返したらだめな気がする。」
「…。」
君野は耳を塞いだまま首を横にふる。
「もう、お母さんの声まで聞こえない。これ以上、堀田くんと交流して聞こえなくなったら僕…。だから宮塚くんのもとにいれば、まだ大切な人の声が聞こえるって思えるならその方がマシ…。」
「…。」
そんな風に言われてしまうと、もう何も言えない。
堀田が落ち込んでいると
「大丈夫ですか?」
その時、年配の女性が俺達に様子をみて話しかけてきた。意識が外に向くと、通り過ぎる人がこのやりとりを不思議そうに見ている。
この白髪の女性はどこの人だろうか?かなり訛っていた。俺が聞こえたのはその「大丈夫ですか?」だけだった。
堀田はその人となんとなく合わせて話したが、その人は最後ににこやかに笑って2つ飴をくれた。
「これ、夏休みに行ってきた海外で買った飴だから、美味しいから食べなだって。」
と、君野がそう答えた。
「あの人、そんなこと言ってたのか?」
「うん。僕の東北の父方のおじいちゃんと訛り方が同じだった。」
「そうなのか…。」
堀田はもらった飴の袋を破り、君野の口の中にいれた。
その後、君野の親に許可を取って君野を家に宿泊させることにした。ちょうど、あの母親も最近の息子の変な様子を心配していたという。旅行気分で彼を元気にしてほしいとお願いしてきたのだ。
「わかりました。俺が責任もって元気にします。」
と、堀田は君野母に誓った。
君野はそのまま堀田のベッドの中で眠っている。その様子を堀田は椅子に座り、腕を組んで見守っている。病院でもないのに、その表情はかなり深刻だ。
君野はこのベッドで寝る前にこう言った。
「最近、寝て目が覚めてああ、現実かって思うと怖い夢をみて目が覚めたような気持ちになるんだ。もう何も考えずずっと目を瞑っていられたらいいのになって…。」
そんな悲しい事を言う君野に、喉の奥がグッと苦しくなるのを感じた。
絶対に許せない…。堀田の太ももに爪痕がつく。
だが、これ以上励ましの声もかけれないのだ。声かけしたらピアノの音に俺の声までも変化させられてしまう。そうなると、戻ってこれない君野を戻すことができなくなる…!
どうする…
堀田はそう考えながらも帰省帰りで疲れていたのか、そのままウトウトと眠り込んでしまった。
「はっ!」
そして目が覚めると午後5時だった。
もう2時間も経過していたのだ。
「君野!?」
しかしベッドには君野の姿はない。
「しまった!!!」
その光景に、絶望感と冷や汗が額に流れた。するとその時だった
ジジジ ジジジ…
「!」
後ろの布団の中からそんな音が聞こえる。蝉の泣き声だ。
堀田の額に冷や汗が流れる。この事に昔の光景を思い出してしまう。唐揚げや、カレー、ラーメン、寿司…全部が全部…
冷蔵庫からも、風呂場からも、服のタンスからも自分の寝ていたベッドからもこのジジジ…という音が聞こえるのだ。
「そんなわけないだろ…いるわけないんだ!!頼む…!」
堀田は震えながら頬パンパンと叩く。しかし奥歯はガタガタ震え、布団をめくることができない。
宮塚は最初から天性のサイコ野郎だった。
「君が絶望に感じている時、蝉は何匹になると思う?これは精神の可視化だよ。とっても便利だよね。」
宮塚がそれを俺にしたのは小6だ。俺の頬をでっかいお椀を掴むように持たれて、額をくっつき合わせて言われたのを覚えている。
今思えば超人能力がなくてそこまでできるのだ。これ以上、君野を取り込まれて大きな力を手にしたら、大きな事件になりそうで怖い。
「…。」
堀田は意を決して布団をめくることにした。
ジジ…ジジジ…
俺は怖くないんだ…怖くない…怖がってなんか…。
そして布団を勢いよくめくった。すると
「うわああああああ!!!!!」
まるで夜のライトに集まった無数の蛾のごとく、堀田の目の前には大量の蝉がいた。部屋中にまるで空に打ち上げた花火が細かく散るように蝉が大量に舞った。
ジジジジジジミンミンミンミンー!!!!チチッチ チチチ
と、自分の声ですら聞こえなくなるような部屋中に大合唱が響き渡る。
「っ!!!」
堀田は思わず部屋を出た。そしてその先の廊下で崩れた。
「うう…くそ…。」
すすり泣きながら床を叩く。自分の弱さを痛感してしまった。
「だめだ…このままいっても…。」
堀田はそう直感する。きっとこのまま行ってしまったら、俺はアイツの思う壺だ。
でも、誰が君野を救えるのだろうか…。
「…行かなきゃ。」
堀田はそう言って、宮塚の家に向かった。
その頃
「桜谷さん。なんかずっとピアノの音が聞こえてる。これって、堀田くんの声かな。」
トンネル内部にいた君野はそう、たまにF1の車が通り過ぎるように鍵盤を素早く3音を滑らすように叩いたような音が聞こえるという。
「堀田くんの声は侵入者のせいでかき消されちゃったみたい。」
「え?そうなの?もう会えないの?」
「会えるもなにも、ここにたどり着くこともできてないわ。私にはどうでもいいんだけど。」
「よくないよ!僕はまた3人で仲良くしたい。」
「とりあえず、ここの侵入者を何とかするのが先よ。」
「あれ?」
すると目の前にあったはずの道は行き止まりとなっていた。いつの間にか、無数の時計がいっぱい飾られていた。
「うわ!すごい…。時計屋さんみたい。」
「これ、全部人を操るための道具なんじゃない。私もゾクゾクしてくる。」
と、大口で1つ目の桜谷の声をした化け物が大きな歯をゆらしふがふがしている。そのゾクゾクは、怖いの意味ではないようだ。
え?なんで?と君野が思っていると、突然1番上の振り子時計が動き出す。
ゴーンゴーン…
とこのトンネル内を不気味に、サイレンのように響き渡る。すると次々と色々な壁時計が一斉に音とそのからくり式の動作をはじめた。
「!!!!」
君野はそれに再び耳を塞ぎ、その場で苦しそうにうずくまってしまう。
「ふふ。」
一方でなぜか桜谷の声をする化け物は楽しそうだ。黒い煙のような体を揺らしている。
「助けて…怖い…心がぎゅってされる…みぞおちに不快感を感じる…。」
「彼は必死みたい。」
「え?なに?なんて言ったの?」
けたたましい声に君野は耳をふさぎながら上を向く。
すると
「おわ!?」
またあの大口で化け物に口の中に入れられてしまう君野。
「あなたを完全に掌握しようと頑張っているみたい。自分の力を最大限に発揮したいって。でも、それは無理なのよね。私がいるから。」
チク
「あ、痛い!!」
君野は化け物の黒い体内でスライムに包まれたよう。体が暴れても吸収されてどうやっても口から出られない。また、皮膚がなにもあたっていないのに腕や足がチクチクしてきたのだ。それはまるで、ピンセットで無理やり毛を引き抜かれているような痛みだ。
「痛みは恐怖に一時的に打ち勝つものよ。」
「痛い!なにこれ!桜谷さんがしてるの!?痛い!!!」
君野が絶叫する。
時計はうるさく鳴り響いている。化け物の桜谷はそれに体を揺らす。体内の君野はそれにゆられながらそのチクチクの痛みと戦っていたが、その時計の合唱を聴いている余裕はなさそうだ。
やがて、音は静かになり、目の前の時計と壁が消えて再び道が開けた。
「うわあ!」
ドベッとまた口から吐かれた君野。しかししばらくそのヘドロのスライムの中でうずくまっていた。桜谷の声をした化け物は、そんな君野の横で彼の頭を撫でている。
「本当に桜谷さんなの…僕騙されている気がしてきた…。」
「私、普段こんな優しくないわ。もっと毛を抜く時はゆっくり毛を引っ張って、その表情をじっくり見るのが好きなの。その痛みに悶絶してるのが可愛くてしょうがない。」
その言葉に君野が四つん這いで逃げようとするが、スライムのヘドロに足を取られて逃げることもできない。
「さ、行きましょう。」
化け物は君野をヘドロにのせたまま、それを地面にずるずると引きずりながら前に進んだ。
続く。
今、サポートしたいと思いました? 偶然ですね。私もサポートされたいと思っていました。 いや、そう思ってくれるだけでも嬉しいです。ですがサポートしてくれたら寝る前にニヤニヤします。通知きた画面にニヤニヤしながら眠りにつきたいなんて贅沢なことしてみたいなんて思ってたりしませんよ多分…